手を付けていた仕事が一段落して、わたしは小さく溜息を吐き出す。それから、椅子の背もたれに体重を預けてぐっと伸びをすれば、椅子と一緒にわたしの背筋もぎしりと軋んだ。
 今日は朝から座りっぱなしだったからなあ。そろそろ、コーヒーでも淹れて少し休憩しようか――なんて、そんなことを考えていると、研究室の扉が開いて、見慣れた人物が顔を覗かせた。

「あ、中尉。こんにちは」
「やあ、なまえ。カタギリはいるかな」
「ああ、はい――」

 グラハム・エーカー中尉の言葉に応えながら視線を巡らせたその先で、カタギリさんは真剣な表情でデスクに向かっている。どうやら、中尉の来訪にも気が付いていないらしい。結局、声をかけることを躊躇ったわたしは、そのまま中尉に向き直る。

「……あー、カタギリさんに何かご用ですか? よろしければわたしがお聞きしますが」
「いや、そう大した用件でもない。たまには差し入れでもと思ったものでね」
「ふふ、ありがとうございます。お渡ししておきますね」

 差し入れだという白い箱(中身はおそらくドーナツだろう)を受け取って、中尉に一礼。けれど、中尉はまだ立ち去る気配を見せなかったから、「そうだ、コーヒーでもいかがです?」。わたしのその提案に、中尉は「気遣いは無用だ」と頭を振って。「私のことは気にせず仕事を続けてくれ」。そう続けると、空席だったわたしの隣のデスクに腰を下ろした。
 ……そんなこと言われても。一応、モニターに向き直ってキーボードを叩き始めてみるものの、どうしても隣が気になって頭が上手く働かない。しかも、だからと言ってちらりと隣を盗み見れば、その拍子に、ばちんと音がしそうなくらいにはっきりばっちり視線がぶつかってしまった。

「なまえ。こうして君の横顔を眺める機会というのはそうなかったように思うが、これはこれで悪くないな」

 ああもう、うるさいうるさい! そんなことを面と向かって言われると、あまりの気恥ずかしさにうつむきたくなる。けれど、このひとの翡翠のような瞳はそれを決して許さない。
 苦し紛れに、わたしは固く瞼を閉ざした。すると、左の頬に熱が触れる。わたしのそれよりもずっと大きくてあたたかい中尉のてのひら。瞳を開くことを催促するみたいに親指がわたしの瞼を這ってくすぐったい。でも、ここで応じたら負けだと思って我慢した。「頑なだな」。ふ、と小さく笑う声が聞こえて、それから。
 音もなく、本当にほんの一瞬触れるだけの、ひどく優しいキス。驚いたわたしは思わず瞳を開き、「グラハムさ、」。そのひとの名前を呼びかけたところで再び口を塞がれる。「階級を付けて呼びたまえ。仕事中だろう」。あなたこそ仕事中に何やっ、て、!

「……あなたがいると、仕事になりません……」

 絞り出すように呟いたわたしの言葉に、グラハムさんが小さく笑う。そして、「それはすまなかった。カタギリによろしく伝えておいてくれ」と、最後にそう言い置いて、ようやくそのひとは立ち去った。そんなこと言ったって、もうさすがにカタギリさんも気が付いていると思うのだけど。
 ……ああ、あとでカタギリさんに何て言い訳しよう。



愛して欲しいけどそれを強要するつもりはないのでまずは手始めに想う存分愛させて下さい
title:選択式御題
20110725
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