新規作成
2012/10/07 17:55


寂しいって感情は簡単に心を虫食み、悲しいって感情はやがて怒りに変わる。ガキじゃないんだからって自分に言い聞かせても、俺の感情は悲鳴を上げている。
「就職、おめでとうございます」

*****

最低だ。
五限目の授業を受けながら、俺は窓の外を眺めていた。先輩が就活頑張っていたのは俺が一番知っているのに。お昼休みわざわざ一年の教室まで来て俺に『一番に内定が決まったことを知らせたかったんだ』と嬉しそうに笑った先輩に、全てが嘘であって欲しいと感じた。

考えたくなかった。

あと数か月したら、先輩は卒業して、ここからいなくなってしまって、もう、一緒に部活したり、一緒に下校したり、できなくなるって。考えたくなかった。先輩がいない高校生活だなんて。いらないと思った。時間がとまってくれたらいいのに。未来なんていらないから、永遠に、この時が続けばいいのに。だなんて、俺は自分勝手なことを考えて。自分が嫌になる。ああ、嫌になる。
明日なんか来なければいいのに。

*****

『ダメだった』
部室の扉を開いたら、先輩はそう言って笑った。その瞳には涙があった。
『なんでだろう。たった一回の面接落ちただけで、こんな気持ちになるんだろう。大学生はもっと大変な就活してるのに、工業高校の俺がたった一回でこんなに落ち込むだなんて笑い話じゃん。でもさ、なんか、辛いんだ』
『だったら、笑わないで下さい』
『笑わなかったら、どういう顔したらいいんだろう』
『素直に、泣いて、いいと思いますよ』
『そっか』
『そうですよ。俺しか見ていませんし、俺だからこそ余計な気遣いしないでください』
『ありがとう』
先輩はそう言って大泣きした。俺はそんな先輩を支えながら、先輩を傷つけた面接官を憎んだ。先輩ほどいい人がこの世界のどこにいるって言うんだ。
『先輩の良さをわかってくれる企業にきっといつか出会えますよ。だから』
そんなに傷つかないで。先輩の良さはわかりにくいだけで、先輩は何も悪くない。俺が証明してあげる。だから、だから、そんなに泣かないで。
『ありがとう、俺頑張るよ』
ぐぃっと涙を拭いて先輩は未来を見据える。
『俺、工業高校選んだのは就職のためだから』

*****

就職が決まったら、家を出るんだ。
先輩は嬉しそうに俺に語ってくれた。あざのついた頬を隠すことなく。

*****

「今日は部活来てくれないの?」
下駄箱で靴を履きかえて帰宅しようとしたら、先輩に声をかけられた。まるで、俺が部活に顔を出さずに帰ることが予想できていたかのようなタイミングだ。
「あ、そういえば、今日部活ありましたよね」
ああ、先輩に会うのは辛いと思って逃げようとしたが、実際に先輩に会ってしまうと離れたくなくなる。これは何かの病気なのだろうか。
「先輩、今日は先輩の内定祝いしませんか?」
「え?」
どうしてそんなことするの、という顔で先輩は俺を見つめる。俺は無理に笑うと「念願の内定ですよ。先輩が頑張った結果ですよ。祝うしかないじゃないですか」と半ば強引に先輩の手を取った。
「そうと決まれば、帰りましょう。先輩もちょうど荷物持ってきていることですし。久しぶりに俺の家でパーッとやりましょう」
「わ、楽しそう。行く、行く!」
にっこりと先輩は笑う。グサッと俺の心が痛む。
俺の暗い感情なんて知らない先輩は本当に楽しそうに俺の隣を歩く。もしも、俺が先輩の内定が決まってさびしいだなんて考えたって言ったら、この関係はどうなるんだろう。考えたくもない。一生このままでいたい。これ以上の幸せなんてどこにもない。今が全てでいい。この時が、全てで。

*****

「そうだ。俺、ケーキ作りたい!」
急に歩みを止めて何か思い出したかのように先輩はそう言った。俺は「ケーキですか?」と、聞き返す。すると先輩は満面の笑顔で「そう、一度作ってみたいって言ってたじゃん」と俺を指差した。かわいい。でも俺がケーキ作りたいって言ったのは、ただの憧れ。たまたま見たドラマのワンシーンに感動して俺もあんな風にケーキ作ってみたいなって、そんなバカみたいな話であって……
「先輩、俺はただ、ただ、その」
今更恰好悪くて言い出せない。本当はケーキが作りたかったんじゃなくて、ドラマのワンシーンのような笑顔あふれるやり取りを先輩としたかっただけだったなんて。言えない。しかし、俺、ケーキ、実は苦手だ。甘いもの苦手。
「どうしたの?」
「いえ、なんでも。さっそくそこのスーパーで材料買いましょうか?」
「おう!」

*****

先輩は楽しそうに笑う。俺の隣で。
「え、なに?」
「別に。ただ、ちゃんとつかんでないと先輩はしゃいで迷子になりそうだから」
「ならないよ!」
ああ、俺は手放したくなくなる。ずっと俺の隣で笑っていて欲しい。
俺が先輩を幸せにしてあげたい。
「だいたい、心配しすぎじゃない? 俺、女の子じゃないし、お前の彼女でもないし。そんなに過保護にしなくていいと思うぞ?」
「……」
先輩は俺の顔を見ることなく言う。もしかしたら、気持ち悪いって思われたのかもしれない。
「すみません」
俺は心の底から謝った。
「でも、俺、先輩の心配したりしていたいんですよ」
そう、たとえばただの先輩後輩だとしても、俺がこうして先輩のことを心配していると、まるで親しい関係のように感じられるから。
「まぁ、嫌じゃないから、いいけど。て、いうか、ぶっちゃけ、嬉しくて照れてるんだよな、俺。おかしいだろ」
「おかしくなんてないですよ!」
「……い、顔近いって」
「す、すみません」
先輩の笑顔に勢い余って顔を近づけてしまった俺。申し訳なさ過ぎて落ち込んでしまう。俺は先輩をただ好きでいると決めたのに。俺は自分勝手な感情を押し付ける恋愛はしないって、誓ったのに。ダメな俺。バカな俺。簡単に先輩が欲しくなってしかたない。自制心どこに行けば売っていますか?

*****

その日。俺は先輩と楽しくケーキを作って一緒に食べた。ケーキは甘くて甘くて耐えがたい味だった。だけど、大好きな先輩と一緒に作ったケーキ。たったそれだけのことで愛おしいって気持ちになって、たくさん食べてしまった。味がどうとかじゃなくて、もう、なんていうのか、幸福感に笑顔が止まらなかった。
もしも俺と先輩が一緒に暮らせたらこんな毎日が続くんじゃないかって、妄想して。先輩を見送った後、一人泣いてしまった。

*****

「おい、話がある!」
休日、俺の家に殴り込みに来たかのように先輩は怒っていた。めずらしい。普段楽しそうにニコニコ笑っている天真爛漫な人がどうしたんだろう。俺は寝癖のついた髪の毛を触りながら首をかしげた。
「なんですか? 話って」
「お前、甘いもの嫌いだって、部長から聞いた」
「はい」
「はい、じゃないだろう。嫌いだったら嫌いだって言ってくれたらいいじゃないか。俺何も知らないでこの前ケーキ作って一緒に食べさせたじゃんか」
「……そうですね」
だから、なんだっていうんだろう。先輩が必死な顔をしている意味が俺にはわからない。
「お前な……俺をなんだと思っているんだよ」
「え?」
ものすごい剣幕で、今にも泣き出しそうに涙をためて。
先輩はじっと俺を見つめる。
俺は「大好きな先輩ですよ」と答えた。嘘ではない。100%真実でもない。
「……だったら」
「?」
「だったら言えよ。だったら、ちゃんと言ってくれよ。俺のこと思ってくれるなら」
「せんぱ…」
「いい顔してんじゃないよ。恰好つけてんじゃないよ。そんなの、ちっとも嬉しくないよ。俺はちゃんとお前の本音が聞きたいんだよ。仲良しってそういうもんだろ。少なくても俺は悲しかった。お前に隠し事されて気が付かないで、一人楽しくなってお前とケーキ食べていたなんて」
「……先輩だから、いい顔したいんです」
「は?」
好きな人だから、恰好よく見られたい。そんなの当り前じゃないか。
「意味わからない」
先輩はぼそっとつぶやいた。俺は「わからなくていいですよ」と笑った。
「だって俺はただ先輩が好きだから、先輩のしたい様になんでもかなえてあげたかっただけですよ」
「それは、ありがとう。でも、俺は、お前の言う、そういう優しさじゃなくて、その、あのさ、本当の気持ちが知りたい。俺だってお前のこと好きだし、お前の願いだって」
「叶えてくれるっていうんですか?」
ぐいっと先輩の腕を引き寄せて俺は言う。しまったと焦る俺はここにいない。ただただ、わかってほしいと、願ってしまう俺がいる。
「俺、先輩の特別になりたい」
「?」
「俺の本当の気持ちが知りたかったんでしょう。教えてあげますよ。そんなにも言ってくださるなら。いいですか? 俺はあなたが好きです」
「俺も好きだよ」
「違いますよ。そうじゃなくて、俺は」
「何?」
「……」
先輩は優しく微笑む。まるで俺が言おうとしていることがわかっているかのように。そしてそれが先輩の望んでいる言葉であるかのように。
「すみません、この気持ちをどういったらいいのかわかりませんが、ずっと一緒にいたいっていう好きです。一緒に暮らしたいっていう、感じの」
「……なぁ、俺さ、就職決まっただろ。一人暮らしするんだけど、さ、一人ってさびしいって思っていたんだよな。お前、よかったら、来る? 俺の家に」
「はい、行きます!」
行きますが、それってどういう意味ですか。俺はその言葉を飲み込んで笑う。するとさっきの先輩の言葉が胸の中で暴れた。俺の本当の気持ちが聞きたいって先輩は言ってくれたんだ。ちゃんと伝えたい。
「行きますが、俺、先輩のこと恋人にしたいって考えていますよ?」
「え、ああ。それなら、俺も考えている」
「そうですか、一緒です、ねって!?」
あれぇ?
「お前ずっと自分の気持ち隠すのに必死で俺の気持ちまで考えたことないだろ?」
「……おっしゃる通りです」
「だと思った。でも、これからは、考えてくれるかな?」
不安げに小首をかしげる先輩に俺は抱きついた。
「頼りない俺ですみません。俺頑張って」
「あ、頑張らなくていい」
「へ?」
「俺、お前のこと好きだし。ちゃんと好きだし。だから安心して甘えて欲しい。お前は強がってばかりじゃ、疲れるぞ?」
「別に強がってなん」
「そうか? 格好つけている姿はどうも強がっているしか思えないが」
「……先輩、忘れてくださいぃ」
「嫌だよ」
「そんなぁ」

「当たり前だろ。どれも大切なお前なんだから」




prev | next

以下はナノ様の広告になります。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -