初恋メモワール | ナノ
※(悲恋?バッドエンド?別れ話注意)
「どういうことだよ?」
俯いたままの恋人に投げ掛けた言葉には、ひどく動揺が滲んでいた。
佐伯瑛は頼んだコーヒーに口もつけないまま、彼女を見つめる。彼女の前に置かれたミルクティーもまた、一口も減ってはいなかった。
「友達に戻ろう」
つい先程、目の前の唇から放たれたその言葉がどうか何かの間違いであるように瑛は願っていた、叶わぬ願いだと知りつつも。
彼女の表情がもう答えを語っているのだ。
「好きなやつができたのか?」
「違う……」
「俺が嫌いになった?」
「違うの……」
彼女は顔を悲痛に歪める。そんな顔をさせているのが自分だと思うと、瑛は行き場のない憤りを感じた。
「じゃあ、なんでだよ! 黙ってたってわかんないだろ!?」
隣の客とウエイトレスが、ちらりと瑛を見る。続いて彼女に同情的な目線が送られた気がして、瑛はその端正な顔を顰めた。
彼女が、引き結んでいた口を弛め、小さく息を吸う音が聞こえた。
「…瑛のこと、今も、大切に思ってる。だけど…特別じゃなくなったの…恋人としては、見られなくなったの…」
ぽつり、ぽつりと零れ出すように、彼女は語る。
――そんな曖昧な理由で、終わるのか。咄嗟に瑛はそう思った。その変化が、彼女をどれだけ苦しめているのか、瑛にはわからなかった。
「…なあ、俺……待つから」
無言で首を振る彼女に構わず、瑛は続けた。
「今は…ダメでも!また…」
「…………」
「…また…いつか……好きに…」
「…ごめん…なさい……」
真っ直ぐに瑛を見る大きな瞳は、夜の海のように寂しく揺れていた。
瑛は言葉を接げなかった。
「どうして、気持ちは色褪せていくんだろうね。好きだった記憶は残っているのに」
微かに笑おうとして、彼女はまた俯いた。髪に隠された顔は見えない。だが歪む声が、見せるより強く、その表情を瑛に見せつけていた。
「ほんとに好きだったのに」
ぱた、ぱた、と膝に抱えたままの革のバッグに、彼女の涙が落ちる。
その涙を拭うことすら、今の自分には赦されないのだろう。そう思うと、理不尽な怒りが沸き上がった。
「……わかんないよそんなの。おまえが被害者ぶるなよ!俺はまだ、おまえのこと……」
悲しみを怒りでしか表現できない自分を、瑛は呪った。
こんな声や言葉で、何度彼女を傷つけてきたんだろう。悪循環に目眩がする。
いつだってそうだ。子供のように剥き出しの感情を投げ付けては、怒らせて、傷付けて、何度も後悔してきた。
自分だけが変わらない。
「ごめん……ごめんね……」
その言葉を言うべきなのは自分なのに。
「…悪い…言い過ぎた。ごめん…」
「いいの。瑛は悪くない。わたしが勝手なんだよ……」
「でも本当はお前だって悪くないだろ…。気持ちが変わっていくのは、自分じゃどうしようもないんだ……」
聞き分けのいいことを言う自分に苛立つ。そんな事わからない、わかりたくもないのに。
「……、本当に終わりなのか?」
「こんな気持ちのまま、付き合い続けるのは、嫌だから……。ちゃんとしたいから」
もう二度と、人魚の手を離さないと誓った。だがそれは、人魚が変わらず若者の手を握ってくれていたらの話だ。どこかの海へ去って行く人魚を追いかける術は、若者にはなかった。
「……わたしより優しくて素敵な人は、いっぱいいるから……瑛ならきっとまた素敵な恋ができるよ」
彼女よりも優しい人がたくさんいることは、瑛も知っている。だけどそれに一体なんの意味があるのか。
「…なぁ、俺の気持ちは変わらないから」
ぽつり零れた言葉に、
「変わらないものなんて、きっとないんだよ」
そう言って悲しげに微笑んだ彼女の瞳は、あの頃と少しも変わらない色をしているのに。
ホットコーヒーはすっかり冷たくなっていた。
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20150419