相合い傘

「・・・降ってきちゃった」

ぱしゃぱしゃと降り落ちてきた水の粒を、彼女は商店街のアーケードの下から眺めていた。
朝から空の色は優れず、いつ降っても可笑しくはなかった。
けれど、天気予報では夕刻からだと言っていたから、午前中なら、と思ったのだが。
予想以上に雲の流れが早かったのだろう。
降り始め、どころではなく、本降りのようで止む気配を見せない。せめて折り畳み傘でも持っておけば良かった。
諦めて傘を買おうか、と商店街の奥へ踵を変えそうとしたときだった。雨音に混じって、からん、ころん、と聞き覚えのある音がした。

「喜助さん!?どうして、」

「どうしても何も。アナタ、傘持って行かなかったデショ?」

下駄を鳴らしつつ大きな番傘を差して現れた喜助は「だから、お迎え」と目尻を柔らかく下げた。
しかし、お迎えという彼の手元にはそれは一本しかない。

「喜助さん、私の傘は?」

「へ?」

喜助はきょとんとした後に、「あれ?」と手元を見た。
続けて彼女に視線を向ける。

「・・・もしかして、忘れたんですか?」

「アハハハ・・・」

彼に限って、そんな馬鹿な。
彼女は目を丸くして男を見るが、彼は後頭部に手を置いて曖昧に笑う。帽子の影に逃げた視線はおそらく明後日の方向を向いたまま。
彼女がじっと見詰め続けると、喜助は観念したように「スイマセン、忘れました」と小声で呟いた。

「もういいですから、帰りましょう。喜助さんの傘大きいですし」

彼の番傘はかなりの大きさがある。彼女が身を寄せて入れば、二人ともほぼ濡れずに帰れるだろう。

「ごめんね、」

喜助は申し訳なさそうに頭を下げ、それから彼女の買い物袋を手に取ると、その大きな傘を広げた。傘の下に入ると、途端にばたばたと水滴が打つ音が騒がしく響く。
からん、ころんと普段よりゆったりとした足音を聴きながら帰路を行く。
水溜まりを避ける為に、意識を足元に集中させていた彼女の鼓膜を低く掠れた声が震わせる。

「早く行かないと、アナタが濡れて風邪引いちゃうんじゃないかと思って」

突然の話に、一瞬何のことかと首を捻りそうになったが、すぐに結び付いた。傘を忘れた理由のことだろう。

「もう、心配しすぎだわ」

「心配するよ」

間髪いれずに返ってきた言葉に視線をあげると、翡翠色の双眸が横目に見下ろしていた。「アナタのことなんだから、心配するに決まってるじゃない」と早口に続けてふいと拗ねたようにその視線が逸らされる。

「喜助さん、」

彼女は脚を止めて喜助の羽織の袖を引く。
釣られたように彼も脚を止める。
帽子の奥で、怪訝に潜められた眉根が見える。
背を伸ばして、彼のかさついたそれを自身のものでそっと食むように重ねる。来る前に燻らせていたのだろうか、唇に苦い草の香りが広がった。

「有り難う、迎えにきてくれて」

踵を地に降ろして、ふわりと微笑む。
喜助は驚いたように目を丸くし、それから彼女と同じように柔らかく微笑む。

「どういたしまして」

雨によって徐々に大気が冷えていく中、一つ傘の下、繋ぐ二人の手は変わらぬ熱を分かち合っていた。


*****************

(ーーーところで、喜助さん)
(ハイ?)
(傘忘れたのって本当ですか?)
(どういう意味っスか?)
(だから、口実なんじゃないんですか)
(口実?なんの?)
(例えば相合い傘がしてみたかった、とか、雨の中だと外で堂々とキスできる、とか)
(・・・アハハハ、まっさかァ)
(喜助さん、どうしてこっち見ないんですか)
(ホラ、雨だと視界が悪いから周りもちゃんと見ないと危ないじゃないっスか!?)
(ふふ、そうね。そういうことにしておきます)
(・・・キスはアナタからしてきたんじゃない)
(?何か言いました?雨の音でよく、)
(いーえ、なーんにも!ほら、早く帰りますよ)


((ーーーー本当、アナタには敵わないな))







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