甘い罠
※2016ミュゲの日SS


「いつの間に、」

ふと彼女が洗い物を終えて振り返ると、テーブルの上に白い花が置かれていた。
小さな白い花を鈴なりにつけたそれの根元に、何やら金色のリボンが括られている。
視線でそれを辿ると、台所の外の廊下へと続いている。

「喜助さん?」

呼ぶ声に応える者は居ない。
しかし、これを置いたのは間違いなく彼だ。
彼女はエプロンを外して椅子に掛けてから、テーブルにおかれていたその花をそっと拾い上げた。
リボンを辿って家の中をふらふらと散策する。
風呂場、居間、店先、彼女の部屋などなど。
瞼を閉じていても歩けるほど、見知った我が家の中だというのに、こうしてきらきらと輝くリボンを追っていると、見知らぬ世界を探検しているような気さえしてくる。
もしかしら、本当に、この道標なしには帰れない世界に迷いこんでしまったのかもしれない、なんて。
彼女は脳の片隅に浮かんだそんなお伽噺のような空想を払って、また白い花を拾い上げた。

行く先々に置かれていた鈴蘭が花束となり、彼女の小さな手にはそろそろ纏めて持ちづらくなってきた頃。

漸く寝室兼喜助の書斎の前に辿り着いた。
これで最後だろう、と彼女が襖に手を掛けたときだった。

「ーーーきゃっ、」

「つーかまえた♪」

突然開いた襖の奥から伸びてきた手に手首を捕られて、気付けば喜助の腕の中にいた。

「もう、何なさってたんですか?」

「何って、奥サン捕獲大作戦っスよ?」

至って真面目な顔で彼はそう嘯いて、帽子の影に隠された翡翠の瞳を愉しげに歪めた。

「あら、じゃあ私捕まっちゃったんですね。残念だわ」

「そうっスよ。こんな簡単に捕まっちゃうようじゃあいけませんねぇ」

「ふふ、困ったわね。どうしたらいいのかしら」

くすくすと笑う彼女の額に柔らかいモノが触れ、小さな音を立てて離れた。

「そうですねぇ、ボクの特別授業を受けてみるのはいかがです?」

「謹んでお断り申し上げます」

「えー。折角考えてあげたのにィ」

特別授業、と言い出した辺りでするりと彼の掌が腰を這い回り始めた。
上目遣いに軽く睨んでみたものの、彼は意に介した様子はない。それどころか、彼女の掌から白い花束を抜き取って、一体いつから持っていたのか、腰を撫でていた掌の中に用意されていた花瓶の中に活けてしまった。

「喜助さん、待って、」

「だぁめ。アナタに拒否権はないの」

顎先を擽る長い指先に誘われるように上を向かされる。

ーーー悪い虫に捕まっちゃったんだから、ね。

彼女の耳朶は、男の燻った低い声と襖が閉まる音を背後に聞いたのを最後にして、その後は濡れた吐息と衣擦れの音を届けるばかりだった。


数刻後に、花を口実に使われたことに彼女が機嫌を損ねてしまうのは、また別の話である。





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