花冠
珍しく居間に居座った喜助が、部屋に戻ってこない。作業の邪魔をしてはいけないと、近所の美容室で薦められた小説を読み耽っていた彼女はふと、時計を見上げて立ち上がる。
起きるのが遅かった彼に合わせて、早めの昼食を摂ってからすでに三時間は経過している。そろそろ一服すべきだろう。
階下に降りると、しんと、静まり返っていた。
ぴんと背筋を伸ばして正座している鉄裁の背中が見えた。
「鉄裁さん、お茶にしませんか?」
「先程私は先にいただきました。茶菓子は置いてありますので、どうぞ後はお二人でお召し上がりくだされ」
「あら、呼んでくだされば良かったのに」
「熱心に書に向かっておられましたのでな」
「・・・もしかして、呼んでくださったんですか?」
彼女がおずおずと尋ねると男は口許を弛めた。どうやら熱中しすぎていたようだ。決まり悪くなり、彼女が「ごめんなさい」と小さく謝罪すると、彼は「似た者夫婦ですな」と声をたてて笑った。
「もう、鉄裁さんまでそんなこと言うんですから」
「なに、悪いことではありますまい」
「そういう話じゃありません!」
頬を赤らめて台所へ向かう。
作業台に菊を模した練りきりが置かれている。これも鉄裁のお手製であるから、驚きだ。彼に作れない料理はないのだろうか。
すぐに飲まないかもしれない、と少し熱めの茶を入れて、居間の障子を開ける。
「喜助さん、少し休んだら?」
縁側で背中を丸めて座っていた彼が、振り返って壁の振り子時計を見上げた。
「・・・ありゃ、もうこんな時間ですか」
被っていた帽子を傍らに置いて、卓袱台に摺り寄ってくる。
その上に置かれた練りきりを指差して「これもテッサイが作ったヤツ?すごいね」と感心している。
ふと、彼が反対の手に何かを持っていることに気付いた。
「それ、なぁに?」
「ああ、これはね、」
「花冠?」
彼が掲げあげたものは、草花で編み込まれたそれ。
小さいときに彼女も作ったことがある。白詰草を使ってよく編んだものだ。また随分と懐かしい。
しかし。
「・・・にしては、だいぶ長いですね」
「あはは、ごめんね」
そうなのだ。
それは、随分と長く、彼女の頭からすっぽりと落ちてしまった。喜助は誤魔化すように笑っている。
長さの余るそれを、首に二回巻き付けてみたが、それでもまだ余るほどだ。
「どうしたんですか、これ?」
「んー、アナタにあげようと思って作ってみたんスけどね」
ばりばりと頭を掻いた喜助は、視線を縁側の方へ向けながらとつとつと語った。
編みながら、ずっと、彼女のことを考えていたことを。
彼女は静かに語られる言葉に耳を傾けていた。
「最初はね、渡したら、どんな風に笑ってくれるかな、って思って」
明後日に向けていた視線を、今度は彼女の首から垂れ下がったそれに移した。
「そのうち、どんなときに笑ってくれたかな、とか、最近はいつ笑ってくれたかなって、考えるようになって」
喜助は、じっと見詰める彼女の視線から逃れるように、傍らに置いていた帽子を目深に被り直し、反対側の指先で長すぎる首飾りと化している花の花弁を弄んでいた。
「そんなこと考えながら編んでたら、いつの間にかこんな長さになっちゃった。・・・どうもアタシは詰めが甘いっスね」
すぐ作り直すから、と外されたそれに手を伸ばす。
そんな必要はない。
このままで、いや、このままがいい。
「待って、」
「ん?」
「喜助さん、それ貸してください」
「いいけど、どうするんです?」
眉を寄せ怪訝な表情をする喜助に、彼女は「見てて」と微笑む。
「こうして、・・・ほら、これなら丁度良いでしょう?」
彼女と、それから喜助の二人を繋ぐように、頭上からすっぽりとそれが通された。
「ああ、なるほど。確かに二人で入れますね。でも、これ、ボクまで入る必要ないんじゃない?アナタにあげようと思って、」
すぐさま外そうとする喜助の手に、自身の手を重ねて、彼女は首を振る。
「いいんです。これのお礼に私がこれからマフラーを編みます。喜助さんのことを想って、大事に編ませてください。そして、それができ上がったら、今度はそのマフラーに入ってくれませんか?今みたいに、また二人で」
彼女が笑いかけると、喜助は眼を丸くして、それから破顔した。
「はは、本当にアナタには敵わないや」
長く編まれたその数だけ、互いへの想いを募らせてゆく。
二人で歩んできた時間に比例して、形が色褪せ風化していったとしても、想いの鮮やかさは変わらない。
いつまでも、そうして肩を並べて歩いていきたい。
彼女はそう願った。