御彼岸
「彼岸花ですか」

「ええ」

買い物帰りに畦道で見付けた彼岸花を一輪、悪いなと思いながらもその美しさに惹かれて彼女は摘みあげた。それを竹炭で作られた一輪挿しに活けて床の間に飾ってみたのだ。
鮮やかな赤い花が放射線状に花弁を開いている。

「群生しているものばかりを見ておりましたが、一輪挿しも、なかなかどうして。良いものですな」

「昔、よく母が活けてましたから」

「ほう。では生け花を習っておいでで?」

彼女は頭を振る。習っていた訳ではない。
母と歩けば、いつも何かしら草花の名を教わった。母はそれをいくらか摘んで帰っては、いつも生けていた
からそれを辛うじて覚えているだけだ。

「母はあまり、その、・・・道が覚えられないようでして」

「ふむ、」

「それで、よく、違う脇道に逸れてしまったり、逆方向に進んでしまったりしていて」

「ほう」

霞んでゆく、けれど大切な記憶を辿る。
まだ病に臥す前の母は、すぐ外に出たがる方で、よく彼女を連れて練り歩いた。その母娘の帰宅が遅く、日がくれた頃に、霊圧を辿った父がよく迎えにきたものだった。
その日は母が以前見かけたらしい彼岸花の群生を見に行こうとしていのだが。
一向に辿り着く気配がなく、途方に暮れだした頃に父親が姿を現した。

『今日はどこまでいくつもりだったの?』

『どこまでって。近所よ、近所』

『ここは近所じゃすまないよ。この子もまだ小さいのに、無理させて』

『むりしてないよ?おかあさまと、おさんぽ、たのしいの』

『そっか』

気を使わなくていいんだよ、と父が彼女を抱き上げる。足が痛くなっていた彼女は素直にされるがまま父の首に抱き付いた。

『ほら、この子もこう言ってるわ』

『キミはもう少し反省しなよ』

『なによ、いいじゃない。たまの散歩ぐらい』

『たまの散歩の度に迷子になるの止めてくれたらね』

『・・・うるさいわね』

言い合いながらも歩みを止めない母親に、父は何も言わず娘を抱き上げたまま付き従った。
日が傾き、空が爽やかな水色から、濃紺に染まりかけた頃。
小高い丘にたどり着いた彼らは、眼下に広がる一面の彼岸花に圧倒された。
地面の色など全く視界に写らないほどの、緋、緋、緋。

『綺麗・・・』

『わあ、すごい・・・!』

『確かにこれはすごいや』

ここを探していたのかという問いに、けれども母は首を振った。

『そうか・・・キミはこんな話を知ってるかい?』

『どんな?』

『ある旅人が、とても素晴らしい景色を見付けたそうだ。翌年、もう一度その景色を見ようと旅人が訪れると、その景色には出会えなかった』

『・・・残念ね』

『たびびとさん、かわいそう』

『そうして落胆する旅人が顔をあげると、そこにはかつて彼が見た以上の素晴らしい景色が広がっていたそうだ』

『たびびとさん、よかったね』

『そうだね。・・・人生には時には回り道も必要なんだよ、きっと』

『・・・何が言いたいの』

『ん?迷子も悪くはないかもねって話だよ。勿論、どこかの当主様みたいに毎回じゃなくて、たまには、だけど』

『あなた、一言多いのよ!』

片眉を吊り上げて忌々しげな表情を浮かべる母と、気にも止めていない様子で朗らかに笑っていた父を思い出して、彼女の頬も自然に綻ぶ。

「いいお父上ですな」

「ええ・・・とても、穏やかな人でした」

そのせいで、という訳ではないが、彼女もつい道をそれて散歩してしまうことは嫌いではない。残念ながら彼女も母の血のせいか方向音痴な為、あまり推奨されることではないが。


「おや、曼珠沙華ですか」

「ええ、綺麗でしょう?」

そこへ、一服がてら茶を飲みに来たらしい喜助が現れた。床の間に置かれたそれは、色も鮮やかなせいか、普段家のことに興味を示さない彼でさえすぐに気付くものだったようだ。
彼女が笑いかけると、彼は予想に反して複雑そうな表情を浮かべた。


「ちなみに、それ、野生の?」

「あ、はい」

やはり野生とはいえ、勝手に摘んでしまうのは問題があっただろうか。
喜助が座布団を引き寄せて胡座をかいて座る。そこへ鉄裁が熱い番茶を差し出す。

「畦道で見掛けたそうですぞ。一輪程度でしたら問題ありますまい」

見かねた鉄裁が助け船を出してくれた。
だが、喜助はそれには「違いますよ、」と手をひらひらとさせた。

「だから、迷子になって帰ってきたんスよね?"また"」

「それは・・・!」

「どうなんです?」

「・・・ごめんなさい・・・」

素直でよろしい、と彼は嘆息する。

「アナタすぐ迷子になるんスから、もうちょっと地図の読み方覚えて下さいよ」

「はい・・・、」

「でも、まあ。アナタがそうして迷ってくれたから、こんな素敵なモノも見付かった訳ですよね」

「・・・・・・」

「どうしたんスか?二人して」

彼女は鉄裁と顔を見合わせる。
そうして、さっと頬を林檎のように緋色に染めた彼女は「洗濯物!」と叫んで勢いよく居間を飛び出した。

「どうしたんスかね、彼女。雨でもないのに、洗濯物って、」

「ふふ、恥ずかしくなったのでしょうな」

「なにが?」

「いえいえ。御二人が仲睦まじくて何よりでございますぞ」

「いや、そうじゃなくて。ボクに訊かれたら嫌な話でもしてたんスか?」

口髭を揺らした男は、愉快に口許を揺らす。

「さて、それはどうでしょうな」


ーーー秋の夜長はゆっくりと。
これから色濃く深まってゆくばかり。

こんな日は、迷い道も悪くはない。
もしかしたら、新しい何かに出会えるかもしれないのだから。





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