秋刀魚
「秋っスねぇ」
香ばしく焼かれた秋刀魚の塩焼きを前に喜助が呟く。
卓袱台の中央に更に大皿を置いた男が口髭を揺らす。
「手前味噌ですが、今日はまた一段といい具合に焼けましたぞ。こちらも身が締まっていて扱い易いものでした」
「へぇ。それはお造りっスか?」
「ええ。お隣の大岩さんからいただいたの」
隣に座った彼女が徳利を掲げ、猪口に酒を注いでくれる。秋になったとはいえ、未だ夜になっても湿度の高い夜に合わせてよく冷やされた酒を喉に滑らせる。酒精で熱くなるのだが、それでも胃に滑り落ちる酒の冷たさが心地よい。
「造りに合わせて、肝醤油を拵えてみました。いかがですかな?」
「いただきます」
鉄裁から小皿を受け取り、それに合わせて刺身を口に入れる。
肝の独特の苦味に、大豆と秋刀魚本来の甘さが混ざり合う。肝の苦味が後を引く旨さだ。
「うん、美味しい」
「それはよう御座いました。まだまだありますので、お好きなだけ召し上がってくだされ」
「たくさんいただきましたものね」
にこやかに厨房担当の二人が笑い合いながら酒を酌み交わしている。
彼女は相変わらずよく冷えた酒を好み、今宵も酒器ごと冷やしていたらしい。猪口に霜が降りているのが見えるほどだ。
対する鉄裁は、一等、燗を好むようで、湯煎に付けた徳利をその鍋ごと畳の上に置いて楽しんでいる。
三者三用、好きに呑んでいるのはいつもの光景だ。
きゅっと喜助が盃をあげると、隣に座った彼女がすぐに次を注いでくる。その酒は香りは華やかで、舌に甘さが残るものだった。
眼前に置かれた焼き秋刀魚に添えられた大根卸しにポン酢をかけて、解した身とそれを口に含む。
程よく塩が効いた秋刀魚の身とさっぱりとした大根卸し、そして米の香りが広がる日本酒との相性は抜群だ。
「んー、美味いっスねぇ」
「ほんと、美味しい。さすが鉄裁さんだわ。この肝醤油も、苦味が効いていて、すごく美味しいわ」
「いえいえ、それほどでも」
「そんな謙遜しなくても。小料理屋さんとか開けそうですよ?」
「そのときは是非女将をお願いいたしますぞ」
「あら。私でいいんでしょうか」
「何を仰いますか」
彼女が目を丸くする横で、鉄裁が朗らかに笑う。
鉄裁が店主の小料理屋で、彼女が女将を務める様子を想像してみる。
ーーーうん、悪くない。
「そうなったら、ボクはずうっとその店に通うよ」
「もう。喜助さんたら」
「本当だよ?」
彼女が頬をほんのりと赤くして微笑む。
盃を両手で持ち、上品に笑うその仕草にそそられる。
二人きりならこのまま褥に縺れ込みたいところだが。
「その前に仕事をなさってくださいますな?」
「ええっと、」
「店長、」
残念ながら今はもう一人いる。
彼のお陰でこんなにいい肴をアテに楽しんでいる。
それは確かなのだが。
「ハイ、すみません、仕事します」
「ちゃんと終わるまで、晩酌の相手は御預けですぞ」
「そんな殺生な」
「なりません!ただでさえ仕事をなさっていないというのに」
「・・・はあ、」
今は邪魔だという感想の方が上回りそうだ。
肝の苦味が妙に舌に残るのは気のせいか。
それに構わず秋刀魚の身をもう一欠片口に放り込む。それ自体は美味しいのに、状況が舌を鈍らせるようで、素直に美味しいと言いづらくなったのは気のせいか。
隣で彼女がこっそりと笑っていて、苦虫を噛み潰したような気持ちで、脂身を口の中で転がしていた。