餅つき

『一年の計は元旦にあり』


「はいっ、」

「む」

「はいっ、」

「ふん」


寒空の下、うっすらと積もった雪で塀や鉢が白く染まった庭先で、その雪の白さに負けないほど白く柔らかな物がぐにゃりぐにゃりと自由自在に形を変えていた。


「なぁ。風華姉、まだかよー」

「ふふ。もうちょっと、待っててね」

「大人しく待てないなら、ジン太くんの分はなし・・・」

「ああ!?ウルルのくせに生意気言うんじゃねー!」

「これ、ジン太殿。雨殿の言う通りですぞ」


大層不満げに唇を尖らせた少年を、他人事のように笑いながら見下ろしていた喜助は、考えうる限り最もこの場に相応しくない不埒なことについて、至極真面目にその非凡な頭脳を巡らせていたのであった。


━━━━うーん、あの餅、風華の胸とどっちが柔らかいんスかねぇ・・・。アレに負けず劣らず、彼女の胸も揉んでると結構自在に形が変わるけど。ああ、でもさすがにあそこまで潰れたり伸びないはしないか。


袖の中に両腕を仕舞うようにして腕を組んだまま、じっと臼の中で付かれている餅を見つめていた喜助の視線に気付いたらしい風華がこちらを振り返る。


「どうしたの?喜助さん」

「え?いや、なんでもないっス」


まさか、“アナタの胸とお餅のどっちが柔らかいのか考えてました”などと素直に口にするわけにもいかず、へらりと笑って誤魔化す。


「何が“なんでもない”じゃ」


彼女一人ならそれで十分に誤魔化せたのだろうが、残念ながらそうは問屋が卸さなかった。これも日頃の行いだとでもいうのか。多少不謹慎な行動や発言もあるが、それ以上にあらゆる分野で貢献しているはずなのだが。


「夜一さんは、何か心当たりがあるの?」


右隣で同じく腕を組んで眺めていた褐色肌の女が黄金の瞳を細めてじとりとねめつけるように睨んでいた。


「良いか、風華。よく聞いておけ。この男はその餅とお主の━━━」

「ハーイ!!夜一サンのお腹が限界らしいんで交代しまショ〜♪」


咄嗟に悪友の腕を掴んで天高く振り上げて、「夜一サンてば、本当せっかちサンなんスからぁ〜」と大袈裟なほどに声を張り上げる。
尚一層瞼を細め、その瞳をぎらりと光らせた友人は、喜助に捕まれた腕を振りほどくと、成り行きを見守っていた鉄裁から槌を奪い取る。


「どれ、喜助。ひとつ勝負をせんか」

「勝負?」

「一度でもお手付きをした方が敗けじゃ。簡単じゃろう?」


夜一が向かいに立った為に、何の話をしているのだろうかと長い睫毛を瞬かせて交互にこちらを窺ってる風華の傍らに膝をつく。
振り返れば、まさに宣戦布告と云わんばかりに、鼻先に槌をびたりと突きつけられていた。


「敗けた場合は、お主の恥ずかしい過去を風華に暴露する。百物語にして、一晩中な」

「なんスか、それ!?」

「あら、面白そうね」


思わず声を荒げた喜助とは対照的に、自身の愛しい妻は「どんな話を聞かせてもらえるのかしら」と楽しげに眼を輝かせている。そんな彼女の様子に更に気を良くしたらしい無二の親友は「よいか、風華。今夜は寝かさぬから覚悟しておくことじゃ」と軽く手を振ってみせている。
過去の暴露話はいい。いや、良くはないが、それ以上に聞き捨てならない公約を宣言されてしまった。
このままでは、最愛の人が友人の毒牙にかかってしまう━━━!!

ひゅんひゅん、と鋭く空を切る音を響かせながら、肩慣らしとばかりにそれを縦横無尽に振り回す肩慣らしてみせた夜一は、最後に一際大きく振りかぶった槌をぴたりと喜助の鼻先に突きつけた。


「お主が勝ったら、屋敷を一棟やろう」

「ハイ?」

「別荘でもなんでも好きに使うがよい。お主と風華の別荘にでもするがよいわ」


鉄裁や子どもらがいては休めないこともあるだろう、という提案に風華は「別荘なんて素敵ね」と手を叩いて喜んでいる。


━━━欲しくはないか?誰にも邪魔されぬ“愛の巣”とやらが。


にたりと口角を吊り上げた夜一は、彼にだけ分かるように音を出さずに唇を動かしてみせる。


「・・・受けて立ちましょう」


妻と二人きりになれる別荘など、願ったり叶ったりだ。
気の置けない友人の息のかかった場所、というのが少々、いや、かなり気掛かりではあるが、最中に邪魔をしてくることはあるまい。
いざとなれば、時空ごとずらしてしまえばいい。
そうすれば、使い勝手のよい最高の隠れ別荘になるのではないか。
どんなことが出来るだろうか。どんな服装で過ごしてもらおうか。煩悩まみれの想像を巡らせるだけで、彼の胸はかつてないほどに高鳴っていた。


「でも、いいんスか、夜一サン。流石にボクも本気でいきますけど」

「大層な口を利くようになったものじゃのう。この“瞬神”夜一を、早さ競べで負かせると思うてか?」


ギラギラと眼を血走らせて睨み合う二人を遠巻きに眺めていた子どもたちが「なあ、ただの餅つきだよな・・・?」「きっと、大人には、譲れない闘いがあるんだよ・・・」と交わす言葉が聴こえてくる。
確かに譲れない闘いなのだが、今はそっとしておいてほしい。幾分か冷静になった頭の片隅で、突っ込んでおいた。


「それでは、僭越ながら、私めが仕切らせていただきますぞ。餅つき一本勝負、夜一殿は餅をつき損ねた場合、店長は餅を返し損ねた場合に負けとします」


よろしいですかな、という答えに無言で頷き、臼の傍らに膝をつく。
袖を捲りあげて、側に置かれた水桶に右手をつけていると、すっと眼前に白い襷が差し出される。
くすりと楽しげに笑う風華から、視線だけで“頑張ってくださいね”と無言のエール。
任せてください、とゆるく視線を流して答え、受け取ったそれの端を口でくわえて、さっと襷掛けをした。襷掛けなどいつ以来だろうか。


「始めっ!」


風華が立ち上がり、見物客となった子どもたちとともに少し離れた場所に移動したのを見届た鉄裁が、低く太い掛け声を発した。
その掛け声が発せられると同時に、喜助の手が餅を返し、返し終わる寸前に夜一の槌がずどんと振り下ろされる。
それを寸でのところで見切り、臼の中でひしゃげたように伸びている白い塊の端を畳むように折り返す。
その喜助の手が餅の上に覆い被さり、水桶に戻る直前の瞬間を狙うように、また槌が振り下ろされる。

━━━━ここまで、僅か一秒にも満たない間の攻防である。


「は、速ぇ・・・」

「二人とも、真剣・・・」

「そ、そうね」


おそらく外野にいる三人にはほとんど何が起きているのか把握できていないのであろう。

たかが、餅つき。
されど、餅つき。

全力でそれに挑む隊長格同士の、刹那をも超えんとする攻防。
実力は、残念ながら拮抗している。
このままでは、槌の衝撃に耐えきれずに臼が先に砕けてしまいそうだ。


「喜助!お主は儂に対する敬意が足らん!」

「そんなことないっスよ」


どうしたものか、と喜助が首を傾げるより先に、夜一が仕掛けてきた。


「風華を連れてきてやったのは誰じゃ?」


この友人の唐突な物言いは昔からだが、それにしてもまた随分と昔の話を持ち出したものだ。
何か意図があるのだろう。
返す手のスピードは徐々に上げながらも、腹の探りあいをするかのように口先は慎重に返す。付き合いが長過ぎるが故に、適当な言葉ではすぐに嘘だと知れてしまうからだ。


「そのことは感謝してますよ、モチロン。でも、風華サンだって呼べばすぐ着いてくるつもりだったって言ってたじゃないっスか」


未だに一言一句違わず暗唱できるほどに記憶に刻まれてしまった彼女の告白を脳裏に浮かべながら答えた喜助に、友人は心底呆れたように高く結い上げた長い髪を左右に振った。


「女心の分からぬ奴よのぅ」

「?どういう意味っスか」

「何も言わずに、拐っていって欲しかったに決まっておろう」


確かにそれも考えないこともなかったが、風華には風華の生活があったのだ。何も言わずに、というのは度が過ぎた行為だろう。
重罪人として逃亡生活を余儀なくされることを隠したまま連れ去るなど、到底許されることではない。


「いやいや。さすがにそんな無理矢理ってのは、」

「うつけめ。お主じゃから許されたものを」


話にならないとばかりにそれは見事な溜め息をついてみせた友は、それでも喜助をひたりと見つめてこう告げた。


「骨の髄まで惚れ込んで、添い遂げたいと願った男じゃからこそ、有無を云わせず連れ去って欲しかったのよ、風華は」


「━━━へ?」


無意識に、胸の前で手を組んだままの彼女がびくりと肩を跳ねさせたのを視界の端に捕らえていた。

瞬きよりも短い一瞬。
しかし、瞬神と呼ばれる人物には、その一瞬で十分だった。喜助の気を逸らし、勝利の鉄槌を下ろすには。


「〜〜〜〜イッタァ!!!!」

「勝負あり!」


あーあ、と子どもたちが落胆する声と共に、高らかに槌を掲げて勝利を宣言する友人の声が重なる。


「ふふん!儂の勝ちじゃの?」


一切の加減なく振り下ろされたせいで、じんじんと痛み赤くなった手の甲を抑えつつ、その痛みよりも気になる方へ視線を向けた。


「・・・風華サン、さっきの」


彼女はひどく困ったように眉尻を下げて、胸の前で掌を固く結んだまま喜助の傍らに膝をついた。
ふわりと広がった菫色のスカートが砂利をそっと掃いた。


「夜一さんが言った通りです。他の誰でもない、貴方だから。誰よりも愛している貴方だからこそ、何も言わずに連れ去ってほしかった。私は貴方なしでは生きていけないぐらい、貴方に溺れていたんだもの」


━━━━愛する人の身勝手な我が儘で、振り回してほしかった。
そう告げた風華は寂しげに微笑んだ。

「・・・風華、」

「それにね。喜助さんは、あんまり言ってくれなかったでしょう?」

「何を?」

「“愛してる”って。だから、余計に不安になったのかもね」


確かに、当時、いや今もあまりそういう言葉を口にすることは少ない。
以心伝心、と云えば聞こえはいいが、結局彼女に甘えているだけなのかもしれない。


それまで静観していた夜一が、はああ、とこれ見よがしに盛大な息を吐き出した。“情けなさ過ぎる”とばかりに見下ろしてくる友の視線はあまりにも冷たい。


「仕方ないのう。どれ、喜助。罰ゲームを変えてやろう」


その言葉に、風華が不安げに顔をあげた。夜一が何を言い出すのだろうかと気になったのだろう。そう心配せずとも、親友のことだから、焦る喜助をからかって楽しみたいだけで、彼女に害が及ぶようなことは言い出さないはずだ。
“そんなに心配しなくても大丈夫ですよ”と風華の肩を叩こうとしたその手が、ぴたりと中空で止まった。


「毎日風華へ“愛してる”と伝えることじゃ。この一年毎日な」

「ま、毎日!!?」

「どうせお主のことじゃから、まだ今年の目標も掲げておらんのじゃろう?」


肩に掲げていた槌を鉄裁に預けた夜一は「喜べ!儂が直々に決めてやったのじゃからな」とその豊満な胸を更に強調するように誇らしげに張っている。


「ああ、それと、必ず誰か証人が居るときに言うようにの」

「いや、でも・・・!」

なんとか別の罰ゲームに変えられないものかと言い募る喜助の後ろから、賛同票が寄せられた━━━あろうことか、夜一の意見に。


「店長、すぐサボるしな」

「見張りは、必要・・・」


つまり、適当な言葉で誤魔化すのではなく、きちんと伝えろということである。

彼女への、感謝と愛を。


「これは、とんだ目標っスねぇ」


やれやれ、と顔を隠すように、帽子を目深に被り直す。
鍔にあてた掌の端から、その愛しい人が、こちらを見上げている様子が窺えた。
冬の弱い陽射しの中でも燦然と輝く琥珀の瞳に、期待の色を滲ませながら。
簡単な言葉なのに、未だに身を固くしてしまうのは。
彼女の混じりけなく直向きに向けられる愛情が、嬉しくもあり、こそばゆくもあるからだろうか。


「━━━逃げ場は、なさそうっスね」


観念した喜助が、木枯らしよりも細い声で囁いたその五文字の言葉に風華が嬉しそうに破顔して。


その後、“周りには聞こえていなかった”とやり直しを求められて一悶着の後、第二回戦に発展したのはあったのは、また別の話である。




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