追憶の歯車

最後に見た彼の背中から早数年。
友の笑顔も徐々に色褪せ始めた頃にそれは起こるべくして起こったようなものだった。

「さてと。仕事に行きますか」

皆一様に頷いて表へ出た。

星明かりも疎らな、羽虫さえ寝静まった深夜。
ぱしん、と扇子を閉じた喜助に続いて彼等は店を飛び出した。
近場である為に僅かな時間で目的の場所に辿り着く。足を止めた瞬間に鉄錆の臭いが鼻をつく。
からん、と響いた喜助の下駄の音に黒衣の娘が振り返る。

「誰だ・・・!?」

「なーに、怪しいモノじゃありませんよ。ただちょーっとお困りのようでしたから?」

いつものように扇子で口許を隠す喜助に、娘は鋭い眼光を向ける。彼女が今朽木家でお世話になっているというご令嬢か。旧き友人である黒猫の声が脳裏に木霊する。

『妻の忘れ形見なのじゃろう』

『・・・忘れ形見?』

『左様。若くして亡くなったようじゃ。ちょうどお主の母君のようにな。美人薄命というやつかのぅ』

風華の膝の上で丸くなり、長い髭を手入れしつつ、片眉をあげる黒猫を、喜助は低く名を呼ぶ。

『夜一サン』

『いいのよ、喜助さん。気にしないで』

『でも』

『風華の言う通りじゃ。過去のことを気にしても仕方なかろう。それに美人薄命とやらがあるのであれば、真っ先に儂の命が尽きておるわ』

『あら、本当。それは大変だわ』

くすくすと笑う彼女の膝の上で黒猫が満足げに前肢を伸ばし、それは何か言いたげにじぃっと喜助が見つめていたが眺めるだけに止めたらしい。
彼女の母が、いや両親共に早くに没したのは事実であるし、寧ろ、それがあったからこそ死神になる決心がついたと言えよう。
目の前の娘が、果たしてそれと同じかは分からない。分からないが、真っ直ぐでいい瞳をしていると、そう感じた。

「何者だと訊いている・・・!答えによっては・・・!」

刀に手を掛けた彼女の目の前で、喜助は慌てたように扇子を閉じて両腕を大きく左右に振る。

「やだなァ、あっしらはただのしがない駄菓子屋一家っスよ。そんなに怪しまなくてもいいじゃないっスか。よ〜く見てくださいよ。こんな女子ども連れのあっしらに何か出来ると思います?」

「・・・何が目的だ」

「何って、たまたま皆で散歩してたら、ドンパチやってる音がしたんで野次馬宜しく覗いてただけっスよ」

へらりと笑う喜助など信用出来ないとばかりに、彼女は鍔に手を掛けたまま、まず鉄裁を、次に風華と雨、最後にジン太を素早く一瞥し、また喜助に視線を戻す。
居合いの構えを解こうとしない彼女の腕からは、けれど血がぽたり、ぽたりと滴っている。
周囲にも至るところに血痕が散り、虚の爪痕が強く遺されていた。出血してから幾らか時間が経っているようだ。敵の気配を感じてから、月も確かに角度を変えていた。
暫く互いに牽制しあうように微動だにせずに誰も彼もがじっと息を潜めていた。
しかし、風華にはそれ以上耐えることなど出来ずに喜助の背後から一歩踏み出した。
通り抜け様、彼の唇が『風華、』と形作ったのを視界の端に捕らえたが、それも素知らぬ振りで血を流す彼女の側に屈んだ。

「あなた、血がーーー」

ーーーーーひゅ、
空気を薙いだ音と共に、ぴたり、と喉元に切っ先が突き付けられた。
迷いのない、いい太刀筋だ。相当厳しく鍛えられてきたのだろうと、風華はどこか他人事のように関心していた。

「触れるな・・・ッ!!」

「だめよ」

あと数ミリ違えば刺さるであろうそれに臆することなく、風華は彼女の腕に手をかける。
意識を集中させると、掌の内側に熱が集っていく。
その力を受け入れた皮膚はじわじわと塞がり、溢れ出る血の流れを止めた。

「きちんと手当しないと、このままでは形を保てなくなるわ」

「・・・・・・」

傷口が徐々に塞がり、血痕の痕さえなかったものとなる。
ものの数分で、負傷したことさえ疑われてしまう程に跡形もなくなってしまった。
唖然としてそれを眺めていた娘に、眉尻を下げて微笑む。

「信じて、なんて言われても困るとは思うけど、・・・今は信じて。お願い」

手負いの獣を相手にするときはまず敵ではないことを伝えなければならない。風華は切っ先を突き付けられたまま、努めて優しい笑顔を向ける。
娘は、悪意なく向けられた笑顔と完全に塞がった傷口とに視線を落として、まだ呆然しつつも彼女は小さく、とても小さな不明瞭な声で「・・・すまない」と頭を下げた。

「いいのよ。警戒させてしまってごめんなさい」

項垂れる彼女の背中を擦りながら、ちらりと背後の男を振り返る。喜助もまた、仕込み杖を拳が白くなるほどに握り締めていたその手を漸く離したようだった。
脅しではなく、その切っ先が実際に風華に危害を加えていたのなら、容赦なく切り捨てるつもりだったのだろう。
彼女が間違えなくて良かった、と風華はこっそりと胸を撫で下ろす。本当は喜助の行動を諌められたらいいのだが、何年経ってもこれがなかなか巧くいかない。手負いの獣より余程扱いづらい。ひどく聡いようで、肝心なところで鈍かったり妙な勘違いをしたりと困ったものである。

「さてと、救護は風華と雨に任せて、鉄裁とジン太は現場の処理をお願いします」

「承知」

「っしゃァ!任せろ!!」

倒れた電柱や不自然に凹んだ外壁などを修繕する二人に指示を飛ばす下駄の男はもうすっかり普段の通りだ。

「次はそこの男の子かしら」

「恩に着る」

「ふふ、そう固く構えないで」

その橙色の少年は初めての力の解放に疲弊したのか、黒髪の娘の背後で倒れていた。
娘は立ち上がると彼の髪をそうっと、撫でた。慈しむような、懐かしむような、細められたその瞳の奥に誰かが映っているのかもしれない。
彼女の手が繰り返し撫でる合間に、風華は少年の傷痕を治療する。傍らでは雨が救急箱を広げては畳み、畳んでは広げている。時折風華の手伝いをするようになったものの、元々戦闘の為の体だ。救護には不向きなようだった。
少女を安心させるように肩に手をおいて目配せをする。
雨がほっとしたように息を吐き出すのと時を同じくして、気を失ったままの少年の頬に赤みが指し始める。もう大丈夫だ、と示すように。
彼がこの先辿る道の全てを聞き及んでいる訳ではない。
けれど、ほんの少し聞いただけでも彼の行く末を案じてしまうには十分なもので。

ーーーどうか、強く在って。
ーーー貴方と、貴方を想ってくれる人の為に。

風華は、ただそう願って少年の横顔を見つめつつ、傷口が消え失せるまで鬼道を施し続けた。

「・・・なんなのだ、お前達は」

目の前で起きている事象を未だに受け入れがたいといった苦悶の表情で娘は一同を見渡す。

「だぁーから、ただのしがない駄菓子屋一家ですって。ただし、ちょーっとばかりアチラの事情に詳しい、ね」

「ただの駄菓子屋の一家が、訳アリとは言え、なぜこんなことを・・・」

「そりゃ訳アリだからっスよ」

へらりと相好を崩した喜助に呆気にとられたように口を半開きにしたまま言い澱む娘に、風華は追い討ちを掛けた。

「さ、これを飲んで」

だが、手渡されたそれをじっと持ったまま娘は微動だにしない。ふう、と一息ついて、風華はそれを半分に割ってその片割れを口に含んだ。「これでも無理かしら?」と小首を傾げてみせると、彼女は数回瞬きを繰り返して、風華の掌に残された半分の丸薬を手にする。

「・・・あ、ありがとう」

「ふふ、気にしないで。疑わないで、とは言えないけど、敵ではないから」

彼女がそれを飲んだことを確認してから、風華は立ち上がると次に一心の側へ膝をつく。
記憶を奪わなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。死神の力を喪うだけで、記憶が残っていれば、こんなことには。
しかし全ては結果論だ。
後から「こうすれば良かった」などとは幾らでも言える。
だが、彼等が求めているのはそれではない。
それに、どんな結果であれ、きっとこの男はそれすらも受け入れてしまうのだろうと確信にも似た思いで掌を翳す。
頭の片隅で『本当、自分のことは顧みないで無茶ばっかりするんだよね』と呆れたように、けれどどこか嬉しそうに笑う声がした気がした。

「そんじゃ、まァ、今宵はこんなところで」

「ま、待て!どこへいく!?」

「あっしらが気になるんなら、ここへドーゾ?」

喜助はにたりと口角を歪めるなり、ひらりと一枚の紙飛行機を飛ばした。
くるり、と宙で一回転した紙飛行機はそのまま娘の膝の側へ不時着する。

「これは...?」

「招待状ですよ、招待状」

『また会いましょう』と結びの言葉を遺して、夜の散歩と称されたその一夜は再び静まり返り、ゆっくりと幕開けを告げるのだった。



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