百年の恋の唄


首筋に彼女が鼻先を刷り寄せてくる。柔らかな姿態に、仄かな花の香りが混ざる。微かに甘い香りがした。
彼女が香水などは好まないことは知っている。
けれど、ふわりと漂ったその香りは濃厚な花の香りだった。

その花の香りごと敷布に押し倒そうと徐々に体重を掛ける。
しかし、はたと何かに気付いたように女の細腕が喜助の背中から離れ、彼の胸板を押し退けてくる。

「待って、喜助さん。貴方、その後・・・」

「あー、やっぱりそこ訊いちゃう?」

柔らかな体から身を離すと、風華はきょとんとした様子で瞬きを繰り返す。
透き通った琥珀の瞳も、それを縁取る長い睫毛も、血色のいい頬も、薄く開いた桜色の唇も、歳を経るごとに色香を増していくというのに、あどけないその表情は出逢った頃から一向に変わらない。変化しないものなどない。変化がなければ進むこと戻ることも出来ない。けれど時折、変化していないものに触れることで安堵するのも確かだ。

「喜助さん?」

「・・・誤算だったんスよ」

「誤算?」

首を捻る風華の緩く波打つ髪を鋤くように後頭部を支えながら、そうっと柔らかな肢体を組み敷く。白い喉が蛍光灯の元に晒されてより肌の白さを際立たせる。
喜助はその首筋に鼻先を寄せる。甘い香りを漂わせるその肌は絹のベールを纏ったように滑らかだ。

「そう。あの日から、ふとしたときにアナタの唇を思い出してしまって、抑えが効かなくなってね」

あんな状況だったというのに、心の何処かで彼女に触れられることを喜んでいたのだろう。
それこそ、初めて彼女を抱き抱えて介抱したあの夜以来、当時見た夢の多くは彼女を暴くものばかりだった。それぐらい既に風華に溺れていたと言っても過言ではなかった。

「・・・それで、あんなことしたの?」

「ええまァ・・・若気の至りっスかね」

「もう」

風華の指摘に喜助は苦笑いで返した。
あんなこと、とは初めて床をともにした日だ。
あのとき彼は風華をほぼ無理矢理組み敷いた。彼女の気持ちも確認せずに。
喜助が当時、どれほど風華に焦がれていたか。
それを知るのは彼女とは対照的なまでの褐色肌の昔馴染みだけだ。
やれ風華が誰と会っていただの、やれ何番隊の男と懇意にしているだのと頼んでもいないのに彼女の動向に対する文が届いていたのだ。それも毎日のように。

「そんな貴方に、ジン太くんから伝言です」

「ハイ?」

「"人前でいきなりあんなことしないように"ですって」

「・・・以後、気を付けます」

くすりと笑った風華の頬がほんのりと薔薇色に染まる。

「ふふ、そうしてください。私も怒られちゃいそうだから」

「えー、一緒に怒られてくれないんスか?」

口づけを強請ると、彼女の柔らかな掌に阻まれる。

「・・・だめよ、喜助さん」

「それ、どっちの意味で?」

「さぁ、どうかしら」

くすくすと笑う風華の指を咥えて、「しょうがない。今日は大人しくしてますよ」と転がる。
転がるだけのつもりだったのに、それまでの疲れが随分と溜まっていたのか、はたまた彼女の花の香りに包まれたからか。
久々にその翌日は一度も夜中に目が覚めることなく朝を迎えた。

珍しく清々しく朝日を拝んだ喜助は、午前中に自ら店番を買って出た。

「ーーーージン太ホームラン!!」

「こらこら、箒を振り回すもんじゃないっスよ」

「ヒモで甲斐性ナシの店長に言われたくねェな!」

「またそんなこと言って。ロクな大人になりませんよ〜?」

言いながら、はてさてロクな大人とはどんな大人だろうかと考える。少なくとも自身のような不甲斐ない男ではないはずだ。

「・・・甲斐性ナシ、ねぇ・・・」

事実そうであるのだが、どうも他人に指摘されるのは癪だ。
癪だ、ということが、尚のこと事実である証拠であってそれも認めたくない。

「にーちゃん、」

「おや、どうしました?」

喜助が顔をあげると、振り回していた箒を正しい位置に下ろした少年がじっと見上げて、こちらに拳を突き上げている。

「約束、ちゃんと守ってたんだな」

「当たり前じゃないっスか。なんせ"男の約束"ですからね」

「へっ!分かってんならいいんだけどよ」

その小さな握り拳に、自身の拳を付き合わせて、互いに口角を吊り上げる。

遠い昔。この手に彼女を掛けようとしたことがあると言えば、彼はどんな顔をするだろうか。
ふと過った思考を振り払う。
仮の話を今さら持ち出して何になる。
当時の喜助には、そんなことは出来なかった。
そして、今もーーー。

「忘れんなよ、これからも」

「肝に命じておきますよ」

にかりと歯を見せて笑う少年は、また箒を振り上げて裏庭へと駆けていった。
彼と交わした約束をこれから先も違えることがないように、そう願って、喜助は握った拳をもう一度高く空に向かって突き上げた。


6/10


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -