百年の恋の唄

皮膚を焦がす程のじりじりと降り注いでいた熱が、じくじくと生温く覆う。
じぃわ、じぃわと絶え間なく囃し立てる蝉の声が、ふつりと途切れる。
民家の風鈴をちりん、ちりんと鳴らしていた風が、ねっとりと絡み付く。

真夏の昼下がりに、それが如何に異様な空間であるかということは議論するまでもない。
だが、とかく人間というのは危険に疎い生き物らしい。

数キロメートル程先に姿を見せている灰褐色の異形のことなど、誰も気付いてはいない。
いや、気付く気配すらない。
建物の間から頭一つ、いや、二つ分も突き抜けていて、あんなにあからさまだというのに。
先程姿を見せていた地区担当者は別の司令で動いているはずだ。同時に現れたそれを纏めて屠れる実力があるのなら、とうに一部隊を率いているに違いない。
駄菓子の礼か、はたまた先ほどの言葉通りにただの肩慣らしか。
何れにせよ、誰もが気のせいだったと思う内に終わらせるつもりでいる。

その場で喜助以外に異形に気付いていた他の生物達は、ひっそりと息を潜めて固唾を飲む。
何も認知していない道行く人間たちは太陽光にうんざりとしつつ、道の中央で足を止めた喜助と擦れ違ってゆく。
幾人かの人が、彼に一瞥を向けるが、それでも誰も立ち止まることはしない。
母親に手を引かれた幼子が、往来に立ち尽くした喜助を何度も何度も訝しげに振り返っていた。

対象との距離、目測凡そ百メートル弱。

喜助は目深に被った帽子に手を掛けて、空高く放り投げた。
緑と白の縞模様が、ふわりと宙を舞う。
幼子がそれを目で追い掛ける。

ーーーーーぱきん、

微かに陶器に罅が走る音がして、白刃が煌めく。
それは投げられたそれの軌道が、ちょうど放物線の頂点を描いたときだった。

ーーーーーぽすり。

空気の抜けた音と共に喜助の手に舞い戻る。
蜃気楼のようにさ迷っていた異形があるべき場所へ還る為に霧散していく。

「・・・?」

何してるの、と強く母親に手を引かれて幼子が引き摺られるように歩いていく。
喜助はまた目深に帽子を被りつつ、ひらひらと手を振り返してみせた。
きっとあの子どもには、ただ帽子を投げただけに見えたことだろう。
余計な記憶操作を行わずに済んだことに、喜助は肩の力を抜いて息を吐いた。そのことに自身で驚く。
そんなことを気にしていたのか、と。同時に、陽溜まりに綻ぶ花のようにふわりと微笑む女性の姿が浮かんで、喜助はくつくつと一人笑いを噛み殺す。随分と彼女の甘さにやられてしまっているらしい。これは重症だ。

「ーーーーーあーッ!!!」

「!」

突然、背後から大きな声が襲ってきて、喜助はびくりと肩を跳ねさせた。
振り返ると、つり目に木製の野球バットを握り締めた少年がこちらを指差している。
胸元に鎖があり仮面がないところを見るに、整だ。
気付いていなかった訳ではないが、整の魂葬は後でやってくるであろう担当者に任せてこのまま帰るつもりだった。

だが、目の前の少年は喜助に用があるらしい。
念の為に廻りを見渡してみる。誰もいない。元々そう多くない住宅街の裏路地だ。僅かな人の波が途切れてしまえば、見事に人気がない。

「やっと見付けたぞにーちゃん!!あんときのにーちゃんだろ!!?」

「あのとき?」

首を捻る喜助を他所に、少年は喜助の問いなど無視してさらに矢継ぎ早に質問を重ねてくる。

「あのねーちゃん無事だったのかよ!?怪我はちゃんと治ったんだよな!!?あの後も結構アンタらのこと探してたんだぜ!」

「えーと、スイマセン。初対面っスよね?」

何の話か皆目見当がつかずに首を捻ると、少年は更に人相悪く目を釣り上げる。

「覚えてねーのかよ!?ハクジョーなにーちゃんだな!」

「いやいや、薄情も何も、」

「だから、向こうで会っただろ!?今みたいにあのバケモノをずばーっ!て斬って、オレと髪の短い美人のねーちゃんと助けてくれただろ!」

「向こう?」

「そうだよ!」

「あ、」

地団駄を踏む少年を見下ろして、喜助はぽんと手を叩いた。漸く思い出した。
そうだ。以前風華の救難要請を受けたことがあり、そのときに少年を一人助けたのだった。風華のことばかりですっかり忘れていた。
そう言えばあのときの彼女は髪が短かったのだっけ。随分と懐かしい話である。

「よし!ここで会ったが百年目だ!!」

「ハイ?」

「オレ、今日からにーちゃんの弟子になるぜ!!」

「・・・いやいやいや、何言ってんスか!?」

「イヤだっつっても着いていくぜ!もう決めたからな!」

強くなるには強い男に弟子入りするのが手っ取り早いだろ!?と息巻く少年に、喜助が何を言っても焼け石にみずだった。
これだから子どもは苦手なんだ、と拉致の明かない押し問答に喜助は踵を返して暫くしたら諦めるだろうとぐるぐると街をさ迷ってみたのだが、少年は「置いていくな!」と叫びつつバットを肩に担いで後を追ってくる。
万が一にも、瞬歩を使おうときに担当の死神に見られでもしたら厄介だ。いや、そもそも、この少年が記憶を持っていること自体問題になるのではないか。

「ーーー驚くだろうなァ、あの子」

結局。喜助は町内路地裏一周旅行の後に、傍らに少年を引き連れて自身の商店の前に立っていた。

「なんか言ったか、にーちゃん」

「いんや、こっちの話ですよン」

「あ、そうだ。ええと・・・」

「ジン太。花刈ジン太だ」

「ああ、そうそう、ジン太クンね」

これから世話になろうという相手に対する態度としては些か失礼が過ぎる気もするが、それはこの際置いておこう。

「一つ、訂正しておきます」

喜助は背を屈めてぴんっと人差し指を伸ばす。
ジン太は思いきり眉をひそめて睨むように見上げてくる。

「あ?」

「風華の髪ですけど、今は肩下ぐらいまでありますよ」

「へ?」

ーーー拾った、なんて言ったら怒るかな。
ーーーそれともいつもみたいに"仕様のない人"って笑ってくれるのかな。

「ただいま〜」

二人分の人影が、商店の入り口を潜っていった。

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