鈍色の歯車

※オリキャラ視点









じゃり、と砂を踏む音がした。

目を閉じてすうっと深く空気を吸い込む。
久々の空気だ。

「・・・帰ってきた、んだよ・・・な」

まだ俄に信じがたい。
旅立つ前は正直いって不安しかなかった。
現世に行ったから、という理由だけではないが、実際に彼より先に現世に派遣された同期が死んだという話は聞いていた。
それが仕事だと言われてしまえばそうかもしれない。
入隊前から分かっていたことではある。
けれど、実際にその意味を正しく理解できるようになったのは、結局死の瀬戸際に面して初めてのもので。
言葉で聞くことと、体感することは違う、と改めて思ったものだ。

砂利道を歩く歩幅は決して広くない。
一歩一歩、確かめるように歩を進める。
まだ生きていることを確かめる為に。
この先、何度死線に見えようとも、同じようにこの帰り道を見る為に。
脳に、身体に刻み込むように歩く。

白く高い壁が見えてくる。どうやら裏手に出ていたらしい。
自隊の隊舎には近いが、正門にはほど遠い。
溜め息を一つついて、足に力を入れて屋根に飛び上がる。正面まで廻るのも煩わしい。

すたり、と飛び降りた。

「お前!清春か!?」

「へぇ。生きてたんだ。偉いね」

懐かしい声に顔をあげると、何か眩しいものに視界が遮られる。
思わず手を翳しつつ、耳に覚えのある声に返事をする。

「斑目先輩、綾瀬川先輩、お久しぶりです」

立ち上がると眩しい光が和らいだ。けれどまだ網膜に焼き付いた光の粒が片隅でチラチラと弾けている。
おそらく磨きあげられた曇り一つない一角のつるつる頭のせいだろうが、それは指摘してはいけない。ならばなぜ、つるつるにしているのかという疑問も口にしてはいけない。物怖じせず、誰とでもざっくばらんに話せる性格というのも考えものだと、思い知らされたのはそう昔の話ではない。

「なんとか帰ってきましたよ」

「無事で何よりだな!よし、今日は呑むか!」

がっし、と肩を組んできた男をかわす。

「いや、チビ達が寂しがってると思うんで、また今度。というか斑目さん、俺、下戸だって何回言ったら分かるんすか」

「ああ、そうだったっけな」

覚える気もないのか、会うたびにこれだ。
このやり取りもいい加減に飽きてきた。

「お前の顔見ると、つい呑めそうな気がしてよ」

「顔は関係ないでしょうが!」

「鏡あるよ?みる?」

「先輩、それ、どっちの味方ですか?」

弓親が差し出した手鏡を丁重に押し返す。
この二人に掴まると長いのでさっさと戻るべきだ。
挨拶もそこそこに踵を返しかけた桑折を「待ちなよ」と弓親が綺麗に切り揃えた髪を揺らして呼び止めてきた。

「報告書は?書けてるなら預かっとくよ?」

「あざっす!」

弓親が手を差し出してくる。
桑折はまとめた書簡を渡す。これで漸く終わったと言える。

「しかし、新人にしちゃあ、かなり長かったよな」

「途中で連絡つかなくなってちょっと騒ぎになってたぐらいだからね。本当、何もなくて良かったよね」

「ああ、そりゃあ、」

ーーーーそりゃあ、何?
ーーーー今、何を言おうとした?
ーーーー考えろ。落ち着け。
ーーーーそう、向こうで虚に不意をつかれて、それで。
ーーーーそれから・・・どうなった?

「おい、清春、どうした?」

「顔色悪いよ?」

「あ、あはは、ちょっと急に疲れがでたみたいっす。戻って休みます。報告書、頼みます」

「いいけど、本当に大丈夫?」

まだ弓親が食い下がっていたが、平気だと軽く手を挙げて逃げるようにその場を離れた。

最初は早足だったものが、部屋に着く頃には駆け足になっていた。
部屋に着くなり、寝台に荷物をぶちまけた。
散らばった荷物を、掻き分けた。

「・・・ない・・・ない、ないっ!!」

がさがさと漁って、荷袋を何度ひっくり返しても出てこなかった。
報告書とは別に書いていたはずの、日記帳。
報告書には書きづらいことも纏めていたそれが、ない。
いつ無くしたのかも思い出せない。

「っ、くくっ、あははは・・・ッ!!」

訳がわからなかった。
彼は困惑したまま、暫し、一人笑い続けた。

おかしい。記憶を辿っても辿っても、思い出せない。
靄に包まれていてはっきりしない。
確かに誰かの助けを借りたはずなのに。

だんっ、と文机に叩き付ける。
爪が食い込むほどに滲んだ拳の痛みなど、どうでも良かった。

「やられたよ、御両人ッ!!」

訳もなく頭を掻き毟った。そんなことをしたってどうにもならないことは分かっている。
けれど、思わず叫んだことで気付いた。
そうだ、あれは二人組だった。夫婦だったような気がする、と思い起こされた。しかし、年若い夫婦だったようにも、老夫婦だったようにも思える。
分からない。
自身の記憶が改竄されているかもしれない。一大事だ。けれど、それ以上に落胆しているのはそんな理由ではない。

「・・・そこらの石ころと、変わんなかったってことか」

仕事以外にも、その主人と色んなことを話した気がする。
現世の暮らしや、人々の想い、それから、日常のたわいもないことも。たくさん、話した気がする。
桑折自身もある程度気を許していたし、向こうもそれなりに気を許してくれていた。
そう勘違いしていたということか。
そう思い込まされていたということか。
それでも彼は、この期に及んでまだ、そんな相手ではなかったと確信していた。
既に記憶の詮は外されて、さらさらと指の合間から砂が落ちるように、名前や顔、声はおろか、話した内容も思い出せない。
それなのに、なぜ確信しているのか。
分からない。

ばふっと寝台に仰向けに倒れ込む。
壁際に簡素な書棚が置かれただけの殺風景な部屋。
上を見上げても、そこには何もない真っ白な天井しかなかった。

ふと固い何かが触れて取り出す。
白い飴玉のようなもの。
夢でも見ていたかのように、曖昧になる記憶の狭間で、それが食べなければならないものだということだけは分かった。

「・・・美人の頼みは黙って聞くのが、男ってモンだよなァ」

美人、だった。名前も顔も声も何一つ思い出せないのに、彼女は綺麗な人だったと。そう、確信していた。
それから、この飴玉を口にすれば完全に忘れてしまうのだということも確信していた。
なぜそう思うのか。
すべてが、分からない。

寝転がったまま天井に向かって、それを高く放り投げた。
放物線を描いて、それが口の中に収まる。

がりっと、噛み砕いて跳ね起きる。

「よしっ!チビどもの相手に行くとするかっ!」

それは裏通りにある、桑折が勝手に面倒をみている身寄りのない子供達の溜まり場だ。長らく不在にしていたから、寂しがっていることだろう。
三日ほど非番になると聞いているし、今日はとことん遊び明かしてやろう。ふふん、と鼻を鳴らして気合いを入れる。子供というのは加減をしらないから困る。


口の中に残った薬草の苦さを振り払うように、彼は腕を大きく振り回した。


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