- ナノ -


第三の鉢

水が血に変わる


優美な絶望だった。その吸血鬼は若い私たちが探索へ出かけた先の小さな村で虐殺を行っていた。大きな池が近場にある慎ましい村だった。村人は私たちに助けを求め、私と彼は戦った。ナマエの血体術で切り裂き、私の血闘術で粉々にした。「黒いお兄さん」と呼ぶ声にナマエは振り向いた。「助けて、子供を」泣く女性にナマエは私に周囲を警戒するようにと言って駆けて行った。倒壊した建物の木材を懸命に取り除いていたナマエの方へ、一瞬だけ視線を向けた。子供を助けられたかどうかの確認だった。そこに映ったのはナマエの身体を切り裂く肉塊になったはずの吸血鬼だった。声をかけた女性は頭を抱えながら膨れた腹を庇うようにして叫んだ「子供を助ける為だったのよ」。彼は血反吐を吐きながら、そして優美な絶望を視界に収めながら言った「ならしょうがない」。ナマエの方へ駆けだした私を、漆黒の狂犬が襲った。



「クラウス!!!」
「ッ!」
「行けるな!?」

ナマエが叫ぶ。目を限界まで見開き否定不可能の確認をする。首を縦に降る以外の選択肢は端から存在しない。それ以外に選ぶものなどない。以前とは違う。明確に、決定的に。
逃げるという選択ではない、力不足はもうない。経験は詰んだ。技術も磨いた。仲間もいる。闘う以外の選択肢があるだろうか!

「スティーブン、ナマエ、援護を頼む!」
「え゛っ!? 俺もか!?」
「待てクラウス!! コイツは何者だ!」
「仲間だ!!」

両脇でスティーブンとナマエが視線を交わしたのが分かった。
時間はない。スティーブンの名を呼ぼうとした瞬間に、ナマエが駆けだした。それに私も続く。

「おいっ、ま――!」
「俺じゃねぇ! クラウスを信じろ、現相棒さんよぉ!」
「っ!」

ナマエの叫びに、胸が熱くなる。彼は、何も変わらない。その機転の良さも、人を協力させる手腕も、私の前を走る姿も。
スティーブンの舌打ちが聞こえ、駆け出す気配を察する。全ては揃った。踏み込む足に力が籠る。久々の感覚だった。滾り、満ち、高揚する。どこまでも登り詰めて良いと肯定される。私を制御するのは彼だ。彼がいる。手綱を掴む彼がいるからこそ、全てを解放出来る!

「俺ぁ血体術使えなくなってんだけどなぁ!!」

初耳だ。その包帯に理由があるのかもしれない。だがしかし彼は笑っていた、獰猛に、しかし理性の光を瞳に宿しながら。駆けながら手に取ったビルの窓から突き抜けたパイプを力づくで引き抜いたナマエは、全身をバネのように引き絞った。

「即興ッ、血槍(けっそう)通常版!」

矢のように目で追うことさえ困難な速さで吸血鬼へと飛んでいったパイプに彼の技を思い出す。
身体を血液に同化させ、流動させ攻撃する身体全てを血と変換させる術。それ故血と同化出来る体の治癒効果は素早く、しかし程度を超え衝撃を受けると死に直結する諸刃の剣である血体術。
腕を振り絞り矢のように放つことによって豪速の血を槍を相手へ見舞うその技は、私の心を躍らせた。そうしてそれは今も――!

「いけ、クラウス!」

パイプに胸を撃ち抜かれた吸血鬼は、しかし笑みさえ浮かべながら両腕から狂犬を出現させる。
しかしそれをスティーブンが氷漬けとし、四肢を絡め捕る。
肉薄する吸血鬼の顔はほんのわずかに歪み、そして――その顔を自ら捻じり開け顔面から涎を吐きだす両顎を産みだした。
しかし止まらない。拳は振り絞り用意は出来た。喉から出る音は、その名を紡ごうとすることをやめはしない。
影が私と吸血鬼の元へ落ちる。両顎の合間に僅かに残った目玉が、その影を見た。

「こっち見ろや犬吸血鬼ィィイ!!」

頭上から、串刺しになる瞬間を収めながら、口に出す。

「グルゾ・ルガド・ヴォッゾ・ムルギュルァ・ロロ・ヴァンドウズ」

その優美な笑みは恐ろしかった。圧倒的な強者であった。絶望であった。
しかし、それよりも恐ろしかった。去ってゆく彼の優雅な笑みが、絶望よりも巨大な恐怖として根付いている。あれよりも、恐ろしいものは後にも先にも、私には存在しない。

「貴公を『密封』する」

だからこそ、絶望を封じなければならない。

「ブレングリード流血闘術―999式―久遠棺封縛獄(エーヴィヒカイトゲフェングニス)」




「赦し給え、憎み給え、諦め給え」

吸血鬼を突き刺すことで支えられていたパイプが転がり落ちる。それに従う様に、それを握っていたはずのナマエもその場に倒れ伏した。
その口から、言葉が漏れる。
それは私が想い、彼が賛同し、そうして共に胸の内で唱えた言葉だった。

「人界を護る為に行う我らが蛮行を――ってな」

ビルの橋に大の字になり寝ころぶ彼の頭の隣に、封印の十字は落ちていた。
彼は、向日葵のように笑った。