神の怒りを地にぶちまける
集団昏倒事件は結局のところとあるベンチャー企業が開発した殺虫剤が原因だった。殺虫剤のガスを積んだトラックが交通事故を起こし、中のガスが噴出した際に殺虫剤の副作用として生物の意識を奪う性質が起こした集団昏倒事件だった。
この事件をきっかけにそのベンチャー企業は過激な住民からの抗議の爆薬により本社ごと吹き飛ばされる事となってしまったが、世界の危機とはまた違った別種の事件であったことは確かであった。
態々足を運び、悪態をついているのはスティーブンだった。
「なんだってんだ。本当にここは意味が分からないな」
「そうだな。まさか私たちが本社の人間だと間違われ襲われることになるとは」
来たからには事態の収束を、と動いた私たちに対し、住人達の認識は“事件を有耶無耶にしようとする企業の手先”だった。勘違いにも甚だしい! と怒るスティーブンを宥めつつ、私も対処に追われてしまった。
身分を証明しようにも作成した名刺を渡すのはスティーブンに止められてしまったし、テレビクルーが真実をいち早く報道するまで謂われなき暴言を当てられることとなった。
戦闘もしていないというのに疲労困憊である私たちは、そのままライブラ本部の活動拠点としてのビルの屋上へ帰ることにした。
「まったく、世界の危機と企業の不正が紙一重なんて、シャレにもならないな」
「しかし順調にライブラの人員も増えてきている。悪いことばかりではない」
「まぁ。それもそうなんだけどさ」
ろくに寝られもしないよ。と苦く笑いながら言うスティーブンに、私もだと返した。
危険と隣合わせというよりも、常に危険が足元に転がっていると言った方が良いこのヘルサレムズ・ロットは、異界と融合してから半年が経つが漸く警察機関が整ってきた程度で、治安は頗る悪い。
異界生物が起こす騒動は日に何度も発生し、人間が原因の騒動も少なくない。
「あんまり考えたくないけどさ」
呟くようにそう言ったスティーブンに、視線で続きを促す。
スティーブンはチラリとこちらを見ると、続きを口に出した。
「もしかしたら、人間が原因で世界滅亡なんて有り得るかもな」
「……今までも冷戦や核戦争が起きかけることはあったが、人間は調和を保ってきた」
「今まではね。でも異界との接触によって、本格的な破壊を望む輩も出てこないとは限らない」
そうだろ? と同意を求める声に、暫し思考する。
確かに、我々が出動した騒動の中で、人間が起こしたものもある。それは事実だ。
一人であったり、時には集団で平気に残虐な行為をしようとする者たちも存在した。
これからそれらが減っていくとは考えにくい。寧ろ、異界の物が人界に流れ出ていくごとにその狂気は人々を蝕むことだろう。
「人間が原因で世界が滅ぶなんてことになったら、俺たちの意味がないよな」
自虐的にそう呟くスティーブンの瞳は、何処か濁っていた。
世界を救うという抽象的な行為には、理解は得られない。そして協力も得辛い。寧ろ、活動していれば恨みを買うことが多いだろう。この街では尚更だ。
しかし、と思う。
しかし、それがどうしたことか。
「スティーブン」
名を呼べば、今の“相棒”の目がこちらへ向いた。
「人類が過ちを起こそうというのなら、罪のない人類の為に尽力するのが我らだ」
そう。罪を犯そうというのなら、それを止めなければならない。
「人類の弱さに絶望するのではなく、人類の強さを信じるのだ」
人は弱い。脆いほどに。
だが、それが人類を見捨てる理由になろうか。見切りをつける理由となろうか。
私はそうはならない。そうであってはならない。そうであれるはずがない。
私は見ただろう。何よりも強い姿を。全てを諦め戦いに往く姿を。微笑みながら絶望を映す姿を。
あれ程に、強靭で、真摯で、気高いものはなかっただろう。
人類は“そう”だ。弱くもあるが、恐ろしい程に強くもある。
突き付けられた未来を、微笑みながら抱擁し、そうして命を投げ出せるほど。見ている者を恐れさせるほどの強さを人間は持つことが出来るのだ。
そう、畏怖を覚える程に。
「そ、そんな怖い顔しないでくれよクラウス」
「む……そうだろうか」
「はは! 君らしいな。そうだな、僕も疲れてたみたいだ」
焦って顔を通常通りに戻そうとするが、どこがどう変わり怖い顔と称されるようになっていたかが分からず困惑する。そんな様子に笑ったらしいスティーブンが、少し晴れ晴れとした表情になった。
それに安堵する。ただ、私の考えを述べただけとなってしまったが、それで気が紛れたのならいい。
「にしても、君は本当に頑固というか、一途だな」
「一途?」
「ひたむきってことさ」
そうなのだろうか。己の事だからか、実感がわかない。
しかし、頑固というのは納得がいった。言われ慣れていたからだ。スティーブンからも時折言われていたし、彼からもよく言われていた。
――ひたむき。それは良い事なのだろうか。
人類を救うことに善悪はない。それが私の使命だ。
だが、私は何にひたむきになっているのだろうか。
『そうでなきゃお前じゃねぇよクラウス』
彼の声が脳内で反響する。私は、一体何に一途となっているのだろうか。