- ナノ -

七人の天使が神の怒りの満ちた七つの鉢を受け取る


『何故なのですか、まだナマエは見つかっていないはずです……!』
『あまり動くな、まだ塞がってないだろう!』
『しかし……! なら、なら私が探しに行きます、それならば!』
『駄目だ。……仕方がない、あまり、お前には見せたくなかったが』
『なんのことですか』
『アイツの血体術の事はお前も詳しいだろう。血と同化し相手を攻撃する。怪我も傷も、大きなものでなければ急速に治癒が可能だ。しかし、同時に大きすぎる傷を受ければ、回復もままならならず、血に成ることも不可能だ。つまり、攻撃を受け続ける他ない』
『ならば、直ぐにでも探し出さなければ――!』
『聞け! 見つかったんだよ』
『――何が、何が見つかったというのです』
『ここまで言えば分かるだろう

――茂みから見つかった。あいつの襤褸切れみたいな腕がな』






紐育(ニューヨーク)と異界が融合し、半年が経過していた。突如として出現した異界は紐育を破壊した。しかし術者によって異界との融合が止められ、紐育は変わり果て、ヘルサレムズ・ロットという街へと変貌を遂げた。
ナマエが亡くなってからは、何年もが過ぎ去っていた。彼がいなくなってから、スティーブンと出会い、ヘルサレムズ・ロットが出現し、そして秘密結社ライブラが設立された。
長いが、嵐のような日々だった。そうであって良かった。世界に混乱が訪れたことは歓迎すべきことではないのは勿論であるが、役目に追われ、過去を想う日がなかったのは有難かった。そうでなければ、私は毎日のように彼を思い出し続けなければならなかっただろう。
向日葵のような笑みと優雅な諦観を孕んだ微笑みは、胸の内でいつも私の方を見ている。

ナマエが一人吸血鬼の元へ消えた後、エイブラムス氏が事態を把握し数名の牙狩りと共にエルダー級の元へ走った。牙狩りの精鋭数名との戦闘の後、分が悪いと思ったのかそれとも飽きたのか吸血鬼はその場から去った。

彼は、見つからなかった。
姿が見つからない。どこにもいない。死んだのだ、とエイブラムス氏は言った。
腕だけが見つかったのだと、そう言ったエイブラムス氏は白い布で包まれた細長い物体をカバンから取り出した。それをエイブラムス氏は彼だと言った。唯一残った彼だと告げた。
そうして私に“それ”を見せた。
彼の右腕だった。皮膚が裂け、筋肉が切られ、白い骨が垣間見える。指は二本取れ、残った指はねじ曲がっていた。肩の付け根がらもぎ取られたようなそれは、血を流してはいなかった。



「クラウス! ニュース見たか?」
「いいや、何かあったのか」
「この街じゃあ何かない方が可笑しいだろ。集団昏倒事件だそうだ。何かあるかもしれない。行ってみよう」
「ああ。分かった」

この街では何でも起こる。有り得ないことはないのだという様に、本当になんでも。
多種多様で、対処不可能であるような出来事さえ日常のように発生するのだから仕事は次から次へと舞い込んでくる。異界と混ざったヘルサレムズ・ロットではふとすると世界の危機が目前に、などという事態はよくあることだった。
だからこそまだまだ何処までが世界の危機である範囲なのかを把握できていない私たちは、どんな事件にでも足を運ぶ必要があった。

「お坊ちゃま。お帰りまでにブレッツエルを用意しておきましょう」

ブレッツエル、ドイツ菓子で、ひも状の生地を八の字にさせ焼いたものだ。ギルベルトがよく学生時代の頃、学園から帰省すると作ってくれていた菓子だった。
しかし、ギルベルトが菓子を作って帰りを待つことはあっても、その内容を態々伝えておくことは稀だ。そういう時は必ず何かしら意味があった。その為に何故かと視線で問えば、ギルベルトは小さく微笑みながら言った。僅かな悲しみがあった。

「ナマエ様のお好きなものでしたから」
「……ああ。頼む」

胸に突き刺さる。ブレッツエルを見て、綻ぶ顔が浮かんだ。
ギルベルトはいたく悲しんでいた。もう彼の顔を見ることはないのかと嘆いていた。そしてそれ以上に私を心配した。彼に倣うように大丈夫だと何度も言ったが、ギルベルトは心配することをやめなかった。

――ああ、そうだ。今日は。

「ナマエも、きっと喜んでくれるだろう」

彼が死んだ日だ。