- ナノ -


05


ホークス、少年を誘拐! ――という報道は出ず、ホークスは相変わらず福岡でヒーローをしているし、No.2ヒーローとしての人気も盤石だ。
そして私は、無茶をしたことをたっぷり両親に怒られ、泣きながら謝ってようやく許してもらえた。最後はほぼ泣き落としだったが、久しぶりに食べた手料理の味は本当に美味しかった。ちょっとしょっぱかったけれど。
そりゃあ、猫を助けようとして道に飛び出して、監禁中に逃げるために後先考えず行動して、目下犯人とされている相手と話しに行って傷を悪化させたら、まぁ、三コンボおめでとうございますということで心底叱られもするだろう。後者二つは言い訳もあったのだが、愛情を持って叱られるのが若干嬉しかったこともあって黙って叱られることにした。心配させたことは間違いないのだ。
ホークスの凶行は市民から受けた個性による事故として内々で処理された。塚内警部が上手く説明してくれたらしく、両親からホークスへの評価は悪いものにはなっていない。両親への説明は『個性を受けて子供を保護しなければと言う欲が増長された結果、トラックにはねられかけた火花君を強制的に保護してしまい、二日間世話を焼いていた。』ということになった。そして私も特に否定せず、ヒーローにお世話になっていた。ということにした。で、逃げ出したのは外の空気が吸いたかったから、となった。
そう説明されてしまうとヒーローと言うこともあって納得した両親は寧ろホークスに菓子折を贈っていた。少し気に障るが、納得してそういうことにしたのだから仕方がない。

そして数週間後、保育園で一人新聞を読んでいたときにあいつは現れた。

「園児には見えませんよ、それじゃあ」
「……」

私が新聞を読んでいるのは先生たちは皆知っている。最初は驚かれたが、今更誰も指摘しない。
それに、先生が見ているときには四コマ漫画部分やテレビ欄を見ているふりをしているのだから、問題ないだろうに。
赤い羽根を持った男はヒーローコスチュームではない私服姿で目の前に立っていた。

「保育園に不審者がいるって通報しても良いんですよ」
「ちゃんとスタッフさんに許可貰ってるんで」
「ヒーロ〜〜児童誘拐犯が〜〜〜」
「ちょ」

ポイと新聞を放り投げて、男から逃げるように走り出せば後ろから追いかけてくる。
室内では走らないようにといわれているので結局早歩きだが、後ろの男は後ろをついてくるだけで捕まえようとはしてこなかった。
ぐるぐると室内を二週ほどして、振り返る。

「いい加減捕まえてください」
「……いや、怪我させたら怖いし」
「痛かったら焼くんで大丈夫ですよ」

ウェーブのかかった髪が萎れているように見える男に、指先に火をともして見せる。
驚いたように息をのんだ男は、そうですか。と安心したように声を零した。

「見てたじゃないですか」
「ええ、火だるまになってましたね」
「うるさい」
「自分から言ったんじゃないですか……」

まぁ、確かに。でも、個性がうまく扱えなかったのを指摘されると恥ずかしいのだ。一応、四十年以上の付き合いはあったはずなので。

「今日はどうしたんですか」
「……敬語やめません?」
「そっちだって敬語じゃないですか」
「そりゃあ、そうでしょ。貴方ですよ」
「明堂火花ですが」
「……分かりました、いいですよ。敬語でも」
「今何歳ですか?」
「俺? 俺は、二十七ですけど」
「おじさんにため口はできませんね」
「おじさ、」

言葉を失うとはこのことか。顔を引き攣らせて固まった男を鼻で笑う。と、思わず口を手で覆った。この癖、直したいんだよな。私生活で出るようになってしまって、本当に困っている。目ざとくそれを見つけた相手が突きだす。

「その動作、五歳児には見えませんよ」
「もうすぐ六歳なので」
「おっさんみたいですよ」

おっさんは言い過ぎだろ。
むっとすれば、降参のジェスチャーをした後に軽い謝罪をする男。反省してないだろ。こっちは気にしてるのに。
男はそのままその場にあぐらで座って目線が同じぐらいになる。

「謝りにきました」
「む」
「病院に連れ込まれて、そのまま個性が解除されるまで拘束されてたんで。その間に帰っちゃうんですもん」
「旅行で来てただけですから」
「ええ。で、菓子折が贈られてきて。あと、なんですかあの手紙」
「父さんと母さんに書けって言われたので」

お礼の菓子折には、子供の手紙がつきものだろう。『ありがとうございました。髪型短いのカッコイイですね』とか書いた気がする。何も考えずに書いたので内容は詳しく覚えていない。

「あの絵、俺ですか?」
「ん? ああ、そうです」
「いや、ただのヒヨコだったじゃないですか」

そういえばクレヨンで絵も描いてたな。ヒヨコにゴーグルつけさせたやつ。いちいち細かい奴だな。

「それより、俺はなんて呼んだら良いんですか」
「はい?」
「ホークスと、啓悟。どっち?」

閉口した相手に、じゃあショタコンはどうだ。と提案して、勘弁してくださいと慌てた声で返された。

「じゃあ……今のところは、ホークスで」
「(今のところ?)分かりました。で、謝るって誘拐のことですか?」

引っかかりは覚えたが、底に突っ込んでいたら話が一向に進まなそうだったのでスルーする。
話題を戻せば、ホークスは座りをそそくさと変えて、正座になった。
こちらを見つめてくる瞳はまっさらで、ちゃんと正気だと内心安堵する。

「あの時は、本当にすみませんでした」

スッと頭を下げられて、綺麗な土下座姿を披露したホークス。
まぁ……今回は色々と事情が事情だったから示談にもせず解決したが、普通だったらもっと面倒なことになっていただろう。

「……頭を上げろ。気にしてない」
「けど、トイレを」
「気にしてないって言ってるだろ!!」

蒸し返すんじゃない! と、ため口になっていることに気づいて咳払いをした。
顔を上げたホークスは、しかし情けない表情をしていた。そんな顔をされても困る。別に怒っていないのに、これ以上何を許せというのか。

「……どんな個性にかかってたんですか?」
「その……強欲っていう個性でした」
「ごうよく?」
「はい。欲が深くなるそうで。胸の内に秘めている欲ほど、強く表れて見境がなくなるそうです」

それはまた恐ろしい個性だ。ヴィランが悪用したらいくらでも事件が起こせそうな個性である。
しかし、説明を聞いてみるとそれほど効果が強い個性ではないらしく、元々の欲が強力でなければ直接的な効果は現れないとのこと。個性の所有者も一般市民で、事件に巻き込まれたことで個性が暴発し、周囲の人たちに個性がかかってしまったとのことだった。そしてその騒動を対処したホークスにも個性がかかっていた、と。

「特に異常はなかったので、個性はかかっていないかと思ったんです。かかっていたとしても、数日で消えるっていう報告でしたし。けど、トラックに飛び込んでいく貴方を助けて、顔を見た瞬間に、何か紐が切れたみたいに思考がおかしくなって」
「よく俺だと分かったな」
「顔もよく似てましたし、後はもう、直感でしたけど」
「凄まじい直感だな」
「貴方のことぐらいですよ」
「普通、生まれ変わりなんて思わないだろ」
「だから、直感ですって」
「……というかお前の欲は、俺の世話を焼くことだったのか」
「まぁ……ちょっと違いますけど、似たようなもんですね」
「……あそこはお前のセーフハウスか?」
「はい。全然使ってないところだったんですけど」
「……あの天蓋ベッドは?」
「あー……ベッドは元からあったやつで、天蓋は……」

買ったのか……。
なぜ、買ったのか。聞きたいが、飲み込んだ。相手の趣味をどうこう言うまい。色々引っかかるところだらけだが、それも問うまい。個性で無理矢理ひけらかされたことを聞くのは野暮というものだ。

「ともかく、本当にすみませんでした」
「だから、別に良いと言ってるだろう。そもそも、お前がいなければ俺は死んでいた」

後先考えず飛び出した先、トラックにはねられて。そう考えれば、ホークスは命の恩人というわけだった。
まぁ、トラウマ級のことをされたはされたが――喉元過ぎればというやつだ。個性にかかって正気を失っていたというんじゃ、責められもしない。
だから、眉を八の字にするな。目を潤ませるな。縋るような目を向けるんじゃない。

「けど」
「けどもないもない! こっちが許してるというのに、他に何をさせたいんだお前は!」

前世のようにキーキーと怒れば、ハッとしたホークスが恥じるように顔を伏せた。

「あー……気づいてたんですか」
「お前がそういう顔をするのは、他にも何か要求があるときだろ」

夕食を食べに言ったかと思えば家に泊まりたいと言い出したり、何度その顔に折れたと思っているのか。
それでも、大事なところでは折れてなどやらなかったけれど。
口を開くまで待っていれば、やはり情けない顔をしてこちらを見てくる男。

「だって、許して貰ったら、もう会いに来る口実ないじゃないですか」
「口実?」
「俺、ずっと会いに来たかったんですよ。すぐに飛んできたかったんです。けど、許して貰ったら、もう完全に赤の他人じゃないですか。あんたは、ヒーローじゃない。ただの子供で、なのに俺はヒーローで」

切ないのか寂しいのか、端正な顔を歪ませるホークスに、深々とため息が出そうになってこれまた飲み込む。
強欲で暴走するくせに、こういうところは嫌に常識的だ。いや、だから個性であんなに狂っていたのか。
腕を組んで鼻を鳴らした。ああ、くそまた出た。

「俺は、ヒーローになろうと思う」
「え」
「記憶を思い出す前もなりたいと思っていたが、個性が発現しないので諦めていたんだ」
「そう、なんですね」
「だが個性が発現したといっても、使い方が分かってるわけじゃない」
「えっ、そうなんですか?」
「当たり前だろう。身体の使い方はそもそも肉体が違うし、記憶も全て思い出したわけじゃない」
「全て思い出したわけじゃない?」
「ああ。お前に関する事と、塚内に関することは多少思い出したが、それ以外は曖昧だ。そもそも四十数年間の記憶が直ぐに全部戻るわけないだろう」

言葉通り、思い出したのはホークスについてと塚内警部についてぐらいだ。
どうにか頭を悩ませて思い出そうとすればそれ以外のことも徐々に思い出せもするが、それにはかなりの気力が要る。実際、やろうとして知恵熱をだしたりもしていた。
おそらく、自然に戻るのを待った方がいいのだろう。下手に思い出すとまた火だるまになりそうだ。
正直にいえば、思い出したいことはたくさんある。私には家族がいただろうし、妻や子供たちのことも知りたい。漫画のような関係だったのだろうか。離婚はしていたようだが、それは円満なものだったのか。心配事は山のようにある。
けど、時間もまた山のようにある。生き急ぐことはないだろう。

「だから、まぁ、本業のヒーローに教えてもらえたら、嬉しいとは、思います」
「……それって」
「公私混同だ。本来ならばあり得ないが……」

それを言ったらオールマイトの緑谷への指導もアウトになるし、そこは大目に見て欲しい。
チラリとホークスを見てみると、ホークスの潤んだ瞳からほろりと涙が零れ出ていてぎょっとした。

「お、おい」
「なんだって教えます、なんでもします、させてください」
「いや、別にそこまでは」
「してあげたいことなんて、いくらでもあるんです。前は、全然、できなかったから」

拳を握りしめてボロボロ泣くホークスに、困惑しながら近寄る。
確かハンカチは、あったあった。
顔に押し当てつつ、布でもごつく口で言葉が続けられる。

「貴方のためなら、なんでもしたいんです」

そんなこと、前にも言っていたな。
ふわりと漂う記憶の中で、若いくせに大人びた愛情を持って若者が言うのだ。
あげるだけあげて、一切要らないと。ただ与えるのを許可してくださいと。健気に態度で伝えてくるのだ。
そしてそれを私は突っぱねた。こいつはまだ若いし、私はおっさんだし、エゴのためだけに生きていたから。
私は酷い奴だったのだ。自分勝手で周囲を顧みない。だから、近寄ったらその人も酷い目にあわせてしまう。そしてホークスは酷い目に遭った。私は失敗して、一人で死んだ。様々な事件が丸く収まったのが唯一の救いだったけれど、自分の身という大事なものが守れなかった。
男前が台無しになっている顔に近づいて、丸いおでこにキスをする。

「好きだ」

涙に濡れた目がこちらが驚くぐらいに見開かれて、こちらを凝視していた。

「は、ぇ、あ、え」

意味のない言葉が唇から漏れるのを聞きながら、ふと、不安が過る。

「(これは、もしかしてセクハラでは……)」

許可なく人の額にキスをしてしまった。家庭内が良好な家族同士なら普通の場合があるが、ホークスは赤の他人だ。
しかも好意を伝えてきていると思っていたが、もしかしてそう受け取っているのは私だけなのでは? ホークスはそういう意味じゃなく、本当の厚意としてああ言っていたのでは? じゃあ今のこれは完全に勘違い男のセクハラなのでは……。
不安が確信へと変わり、慌てて手に持っていたハンカチを額に当てて思い切り擦りあげた。

「ッ、ちょ、何するんですかーー!!?」
「む、大人しくしてろ。拭いている」
「やめてくださいよ!! なんで自分からキスしておいて拭くんですか!」
「う、うるさい! 黙って拭かれていろ!」
「嫌です!! 止めてください温もりが消えちゃうじゃないですかァ!」
「気色悪いことを言うな!」

ぎゃーぎゃーと騒ぎながら両手で額を守るホークスと、額を拭こうとする私で子供じみた喧嘩をしていれば、騒ぎを聞きつけた先生に見つかって何故か私が叱られた。
なんでだ、納得がいかない。ホークスは私が悪いなどと証言をして更に私の怒りを買っていた。
全く、馬鹿らしい。いい大人二人が何をやっているんだか。まぁ、私は肉体が完全に子供になってしまったが。
けれど、悪くない。あの寂しそうな顔をみるよりは、よほど。
惚れた弱みだ。あいつが寂しくなくなるまでは側にいてやりたいと思う。それがあいつの想いを顧みず、先に逝ってしまった私にできる精一杯のことだろう。

「毎日来ますからね」
「無理だろう。どれほど離れてると思ってるんだ」
「前よりは近いです」
「比べる対象がおかしい。仕事も忙しくないわけじゃないだろ」
「……週一で、来ますからね」

週一か。それならば大丈夫かも知れない。この世界は、ヒーローに少しの暇を与えてくれるぐらいの時間はあった。
騒ぎが終わって、なぜか私が叱られ、ホークスがこちらに滞在できるタイムリミットが訪れた。
名残惜しそうに手を握ってくるホークスに、同じように握り返せば嬉しそうに破顔する。

「……待ってるから、早く来い」
「えっ、え、エンデヴァーさ」
「火花だ。いい加減覚えろ」
「覚えてますよぉ」

ふにゃふにゃとした表情のまま、ゆっくりと手を離したホークスはこちらの顔をじっと見つめた後に顔を上げた。

「じゃあ、また」
「ああ」

手を振るホークスに、同じように手を振った。角を曲がるまで、何度も何度も振り返るホークスを律儀に見続け、手を振られる度に振り替えしてやる。
ああもう、子供かお前は。二十七だろうに。そう思うのに、可愛らしいと思ってしまうから惚れた方が負けとはこのことだ。
幸せそうな表情を目に焼き付けて、ついに角を曲がって去って行った男の顔を思い浮かべて、知らず笑みが浮かんだ。
前世は一つではなかった。この世界を漫画と異なる流れにしたのは私自身だったらしい。思い出してもあまり現実味がないけれど、違いを考えるに確かに私なのだろう。
記憶を呼び起こしたことがいいことなのか、悪いことなのかは分からない。知恵熱どころか、火だるまになるような頭を悩ます出来事がきっとたくさん出てくるだろう。けれど、あの顔を見てしまえばそれでもいいと思えてしまう。

「俺も、何でもしてやりたい。啓悟」

そう呟いて、カッと顔が赤くなって熱を発散させるように顔を左右に振った。
これは、言わなくていいことだ。うん。
すっかり忘れていたくせに、溺れきっている自分に心底呆れつつ、その場から踵を返した。


prev next