小説 リクエスト
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▼ 雨の日の出来事

窓へ落ちる雫を眺めながら、コーヒーを啜る。
一週間も前から雨だと予報されていた。こういう雨の日は飲食店等になかなか客がやってこない。喫茶店ラフーテルもその通りで、今日は一人も客がやってきていなかった。
平日の水曜で元々客も少ないと予想していたので、ケーキなどの作り置きは少ない。余計な廃棄物は出さずに済みそうだ。久しぶりに濃いコーヒーと共に于禁に食べてもらうのも手かもしれない。
少々強めに降っている雨が窓を伝っていく。
雨は、正直嫌いだった。

カランカランと低いながらも店内に通る鐘の音がする。ドアに備え付けられたチャイムのようなものだ。
雨に気を取られていた意識が扉の方へ向き、珍しい客に対して笑みを向けようとする。

「すまない。営業中だろうか?」
「……はい。勿論です。お好きな席へ座ってください」
「……邪魔をする」

入ってきたのは二人組。そして同時に噎せかけた。
どうにか動揺ごと呑み込んで、カウンター席に座った二人にメニュー表を渡す。
それと同時に常備してあったタオルを二枚渡した。

「これは……」
「雨の日に来ていただいたお客様には渡しているんです。使い終わったら教えてください。回収させていただきます」
「そうか。ありがとう」

助かった。とでもいうように笑みを向ける表情は、まだ若く見える。
タオルを受け取り、一人を隣で座っている男性へ渡した彼は、濡れたバックや肩を拭っていく。
珍しい赤褐色の髪と高級そうなコート。髪を頭の部分で少し纏めている。
その姿は、見たことがあった。今生ではないところではあるが。

「……すまない」
「気にしないでください」

笑みを作って努めて普通そうな顔をする。
口数が少なく、ゆっくりと喋る男性は帽子を目部下に被っていて表情が読めない。しかし、左目に縦一直線で入っている刀傷のようなものは見て取れた。
彼も、見たことがある。勿論今生ではない。

「(……于禁以外に出会ったのは初めてだな)」

飲んでいたコーヒーのカップを洗いながら、そんなことを思う。
そもそも、于禁も前世で出会った人物のリストには入らないだろう。だから、もしかしたら他の出会った人物はいないかと思っていた。それに、存在するとすれば中国――元々国があった場所のはず。そんな想像が外れたのか、今この店には呉の当主であった人物と主に護衛を担っていた人物がいるが。

しかし、どうすればいいのだろう。孫権という名であったであろう男性とは、前世で話した覚えがある。敵将であった私によくしてくれた珍しい人物だった。前世の私はそれが苦痛で仕方がなかったが、今になって彼がどれほど懐の深い人物であったかが分かる。
もう一人は周泰と呼ばれていた。主である孫権が私と接触する時には、必ず傍にいた。といっても強く警戒するわけでもなく、ただ主を守れるような場所でずっとこちらを監視していた。

「すまない、オーナー」
「――はい。なんでしょう」
「これを頼ませてもらっていいだろうか」
「はい。かしこまりました」
「それから、ありがとう」

注文を受け、礼と共に渡されたのは先ほど渡したタオルだった。
少しだけだが湿っており、渡された時の笑みから役に立ったようだと分かり、笑みだけで返した。
隣の男性も使い終わったのか、礼と共に渡される。最後にぼそりとメニューの一つの品を言われ、それが注文だと気づいた。

「かしこまりました」

注文の品を用意しながら、頭の中で考える。
彼らは呉の人間だった。そんな彼らは日本にいて、日本語も達者だ。中国からやってきているというのなら、日本に慣れ過ぎているように思える。ならば、元々日本で生まれたのだろうか。
私と于禁についてはそうだった。片親が中国人であり、于禁は名はそのままだったが。

そこまで考えて、思考を放棄した。
今、二人はお客様として喫茶店を訪れている。それでいいではないか。

「お待たせしました」
「おお、これは美味しそうだな」
「それは良かった。こちらは、ブラックコーヒーになります」

カウンターに置いたのはケーキとブラックコーヒー。
ケーキのほうは赤褐色の髪色をしている男性。ブラックコーヒーは左目に傷のある男性の方だ。
ショートケーキは長方形型のもので、上に苺が乗っている。一応、見た目にもこだわっているので、美味しそうと言ってもらえると嬉しいものだ。

「……うまい」
「ありがとうございます」

黙ってコーヒーを口にした彼が、ぼそりと言った言葉に思わず笑みを浮かべる。
彼のようなタイプは、本当にそう考えていなければ口に出さなそうだからか、美味しいと言ってもらえると嬉しい。
ケーキを頼んだ男性も、一口食べて目を輝かせていたから、恐らく口に合ったのだろう。

「ここによって正解だったな」
「お二人はお仕事の帰りですか?」
「ああ。早めに終わってしまったので、どうしようかと思ってたんだ」

話を聞くに、取引先と打ち合わせがあったが、それが早めに終わり時間を潰す場所を探していたらしい。
そうして見つけたのがここだったらしいが、少し歩いたために雨に濡れてしまったらしい。
ゆっくりしていってくださいと言えば、嬉しそうに頷いた。

何気ない話をしていれば、似合わない激しい音と共に扉が開いた。
鐘の音も激しく、驚いて扉の方を見てみればそこには見知った人物がいた。
それに、少し慌てる。今は、二人前世で関わりのあった人物がいるというのに。

「……于禁、一体どうしたんだ」
「生江……」

雨にぬれ、片手に傘を持った状態でこちらを凝視している于禁に、思わず刺々しい声が出る。
出来れば、直ぐにでもこの場からいなくなってほしかった。于禁を見た二人がどのような反応を取るか、まったく分からなかったからだ。
しかしその想いも虚しく二人の視線がかち合う。

「于禁さんではないですか」
「む……貴方は、孫権社長。どうしてここに」
「貴方こそ。オーナーと知り合いなんですか?」

目が合い、自然と話し始めた二人に、動揺する。
手に持っていた布巾を落として、慌てて床に落ちた布巾を取った。
思わず、咄嗟に思った事柄を口に出す。

「ふ、二人はお知り合いなのですか?」
「ええ。彼は今日取引先で話した社員の方なので」
「取引先の社長の方だ」
「そっ、そうなんですか」

動揺しすぎて胃から何かが出そうだ。
取引先が于禁の会社であったとか、私の知らないところで邂逅は既に済ませてあったとか、色々と頭が痛いところはあるが、反応をみる分には何事もなかったのだろう。
そこまで考えてどうにか冷静になり、とりあえず于禁をカウンターへ座らせる。
変に距離が近い私と于禁に疑問を持ったのか、孫権社長と呼ばれていた彼が声をかけてきた。

「オーナーと于禁さんは、どんな関係なんだ?」
「兄弟なんです。私が兄で、彼が弟になります」
「兄弟! なるほど、そうだったんですか。失礼しました」
「いえ、私はただ家族というだけですから、畏まらないでください。先ほどまでの砕けた言葉の方が、こちらとしても話しやすいです」
「そうか……なら、そうさせてもらおう」

私と于禁を見て、納得したらしい孫権さんは、堅苦しくしないでほしいという願いに快く承諾してくれた。
しかし、問題はどこかこちらを睨みつけるようにして見てくる于禁である。
先ほども兄弟という単語に反応していた。分かり辛いが、少しだけ寄っている眉間の皺が更に寄ったのだ。
とりあえず、彼も雨に濡れていたのでタオルを渡す。それに礼を言いつつも受け取った于禁だが、それでも機嫌が悪いのは長年共に暮らしていると確認せずとも分かる。
仕方なくブラックコーヒーを入れて、于禁の前に差し出す。

「それで、仕事はどうしたんだ」
「休憩中だ」

直ぐに返された答えに、少し考える。于禁は仕事を無断で欠席するなどは絶対しない。それは彼の性格上そうであるし、私がそう教育したのも理由の一端だ。しかし、今の時間は三時を少し回ったところだ。休憩の時間ではない。
于禁の目を見てみると、確かにこちらを見ていた。于禁が嘘をつくのは、とても珍しい。そうして嘘を言ったときは、嘘をつく気があるのかと思うほどに分かりやすい。こちらを見る目はいつもの通り真面目で、嘘ではないことは確かだった。

「そうか。それで、一体どうしたんだ」
「……」

そういうと、于禁が視線を逸らした。分かりやすすぎる。
しかし、休憩中が本当だとしてもその時間にラフーテルによるというのは初めてだ。
何かあったと思うのは自然のことだろう。先ほどの乱暴な扉の開け方もそうであるが。
眼鏡越しに返答のない于禁を見ていると、観念したようにゆっくりと顔をこちらに向けた。
髪が若干濡れていて、拭ってやりたい気分に駆られる。

「ある女性に」

于禁の口から女性に関連する言葉が聞こえた。
空耳だろうか。いや、そんなわけがない。
しかし、女性。なんだろう。告白でもされたのだろうか。だがそれで休憩中でも喫茶店に来られると困る。何が困るというとそんな調子で交際した時に大丈夫だろうかという心配でだが。
そういえば于禁は女性と付き合ったことがあるのだろうか。あまりそういう所には自分が人のことを言えないので触れないことにしているが。どうしようか、この後に続く言葉によっては少し話を聞いた方がいいのかもしれない――。

「“お兄さんに今後ともよろしくお願いしますと言っておいてください”と言われた」
「……ん?」

考えていたこととは、違うことらしい。
しかし、よろしくとはどういうことだろうか。それから、その女性は誰なのだろうか。
どうやら、于禁ではなく私に対して女性からの伝言らしい。

「私に兄がいるかどうか聞いてきた。どうやらこの喫茶店にも来たことがあるらしい」
「へぇ……もしかして」

若干気が抜けつつ、于禁からの情報で一人の女性が浮かび上がる。
私に弟がいることを知っていて、この喫茶店にも来店したことがある。そして、また来るとも。
確か、そう。

「花が咲くように笑う女性のことか?」

そういえば、于禁の眉間の皺が一気に深まる。
思わず呆けてそれを見れば、横からいいお客さんだったんだな。と声が掛かった。それにどうしてですか?と問えば、嬉しそうに笑っていたと言われ、無意識だったと頬を触った。
于禁はその間ずっと黙っており、孫権さんとの会話が終わった後に口を開いた。

「……その女性で合っているはずだ」
「そうか。それで、彼女がそう言っていたのか」
「……ああ」
「わざわざありがとう、于禁」

礼を言えば、更に眉間に皺が寄る。
随分険しくなった皺に、首を傾げる。流石に、礼を言って不機嫌になるような性格ではなかったはずだが。
そう考えていれば、一口コーヒーを飲んでから、于禁がぼそりと言った。

「……彼女、なのか?」
「…………ぶっ」

ごほっ、ごほごほごほ!!

な、何を、言っているんだろうかこの子は!
思わず咳をして誤魔化す。何を誤魔化すのかと言えば、思わずこぼれ出そうになる笑い声をだ。
顔を背けて口を覆ってどうにか分からないように対処する。しかし、喉が震える。

「っ、于禁は、その女性が、私のっ、こいび、ごほごほッ」

駄目だ。声が出ない。
というか、于禁はその、伝言を伝えてくれと言っていただけの女性を私の恋人だと思ったのだろうか。
随分と昔からだが、この手の話は于禁は苦手、というか妙に敏感である。
私が誰かに告白されると、なんとなくでそれを見破るし、だからと言って何を言う訳でもないがそわそわとしだす。付き合えば変に気を使って家事を率先してやると思ったらミスをしだすし、別れれば理由は聞かないが問い詰めるような目で私を見る。弟は、そういう事に関わると、途端に自分を見失う。
いつの間にか付き合った彼女より于禁の行動の方が気になってくるのだから、不器用な弟である。

今回は自分が関わったからか、我慢ならず聞いてきたか。とそろそろ喉に限界が来そうな時に、今まで黙っていた左目に傷がある男性がぼそりと言った。

「……勘違いだな」
「周泰!」
「っ、あはは!」

今の今まで黙っていたというのに、口に出したその言葉に抑えきれなくなった。
そこで言うのかと、もう腹も喉も限界だった。
しかも、彼の言葉に全て悟っていた上で口を挟まなかった孫権さんが慌てたように名を呼んだのも堪らない。
于禁の顔がだんだんと赤らんでくるが、それでも止められなかった。

「わ、笑いすぎだ生江!」
「ご、ごめ、ふふ、ふっ」

駄目だ笑う。
しかし、于禁が可哀想になってきたので、どうにか咳き込んで笑いを止める。
それでもこみ上げそうになるが、どうにか止める。
ちょっと窓を見ながら冷静になろうと窓を見れば、雨が止んでいるのが分かった。

「……ふふ」
「生江」
「ああ、違うよ。于禁のことで笑ったんじゃない」

于禁が手に持っていたタオルをひったくって、髪についていた雨粒を髪形が崩れないようにしながらふき取る。
そうしてタオルをそのまま引き取った。

「雨、止んでますよ」
「ん? ああ、本当だ」

孫権さんが窓を見て、少し顔を明るくさせる。
于禁を見れば、眉間の皺が少し解消されていた。感情が顔に出やすい弟である。主に眉間に。

「于禁。ありがとう」
「……何がだ」
「于禁のお蔭で、雨が止むまで時間を潰せた」
「……私は仕事に戻る」
「ああ、いってらっしゃい」

于禁が席を立つと、二人も勘定を出しながら席を立つ。

「私たちもこれでお暇しよう。ありがとう、いい店だった」
「それは良かった。また機会があればいらしてください」
「ああ、勿論」
「……また、飲みに来る」
「ええ、お待ちしております」

そのまま三人が店を出ていき、BGMだけが流れ出す。
しかし、一人で店番をしているときよりも空気が軽い気がした。
雨が止み、太陽の陽が出てきた外は雨の雫が陽を反射し、とても綺麗に映った。



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774さんへ捧げます。リクエストありがとうございました!
ギャグでハッピーエンド……になっているでしょうか?
恐らく本編と若干食い違いが出てきてしまいそうなので、番外編という感じになります。
于禁さんの眉間の皺を伸ばしたい今日この頃。
読んでいただきありがとうございました!

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