小説 リクエスト
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▼ 神は泣いた

少女は後悔していた。何を、と考えることさえ馬鹿らしい。現在の保護者的立ち位置にいるスティーブン――彼女はスカーフェイスと呼んでいる――に大嫌い等と叫んで飛び出してきてしまった事だ。
しかし、彼女に感情は抑えられなかった。彼女は良くも悪くも人間的だった。当たり前かもしれないし、ありえないことかもしれない。なにせ彼女は冒涜的な神であり、数えるもの忘れるほど昔に人間であったのだから。
人間の姿はただの隠れ蓑に過ぎない。その姿でないとヘルサレムズ・ロットでは歩けないからそうしているのだ。いくら異形が多いヘルサレムズ・ロットと言えど、本来の姿に成ってしまえば世界崩壊は免れない。

そんな、奇跡と邪悪の塊であるような彼女は触手を縦横無尽に振るいながら、後悔に顔を曇らせていた。

自分(生江)を檻の代わりにする――それは、きっととても合理的なことなのだろう。
それは生江も分かっていた。真剣に頼まれたら、うん分かったやってみる。と頷いてしまいそうなほどの案だった。ならなぜ彼女が啖呵を切って飛び出してしまったのか? 生江も面と向かって言われたのなら、恥を忍んでスカーフェイスが言うのならと了解していたことだろう。しかしそれをしなかった――出来なかったのはその行為が酷く羞恥心を煽るものだったからだ。
いくら元々が粟立つ醜悪な塊だったとしても、それは元々の姿である。人間体になった彼女は、やはり自分をなんとなくではあるが人間と同じように考えていた。周囲はそうやって扱うし、正体を知らないのであれば尚更である。何度少女の姿に侮って襲ってきた暴漢を再起不能にしたか生江はもう覚えていなかった。
だからこそ、生江のいない状態で、本音が出てくるであろうクラウスとの会話で“生江を犯罪者や血界の眷属の檻に使えたら”なんて発言を聞いて感情が振り切ったのだ。
勿論、スカーフェイスだって生江がいる状況ならば間違ってもそんなことは言わないだろう。それは生江も分かっていた。が、なまじ神な彼女はチェイン・皇という人狼の存在希釈を身に着けてしまっていた。

少し驚かせようとしただけなのだ。それがあんな会話を聞くことになろうとは。

人間である今の身体に犯罪者や血界の眷属たちを入れる。檻としての役割でしかないのは承知の上であった。が、どうにも体の中に自主的に生物を入れるのは、抵抗があった。
死んでしまうかもしれないし、物量的に入らない。それに、自分という中に取り込むのだ。抵抗がない方が可笑しいのだ。と生江は考えていた。
それに内部を見られることになるのだし、やっぱりもう恥ずかしい以外にないじゃないか!

しかし、なら人間体でなかったとしても、中に普通に入れていたスカーフェイスはどうかと言えば

「すかーふぇいすは、べつだもん……」

そういうことだった。
生江は顔を真っ赤にし、唇をきゅっと閉じながら、口をぽっかりと開けた。



生江に渡した携帯も、生江を見たという目撃情報もない。
途方にくれながらライブラへ続く扉へ戻ってきたスティーブンが見たのは、信じられない光景だった。

まず、人の山があった。
多数が折り重なったそれは、まるで人型のマネキンが折り重なっているようで、言うならば人扱いされていなかった。そして、それらは確かに人ではなかった。
人型であるものもいるが、大体は人外であり、異形だった。一目で異界生物だと分かるそれらの生物たちは、しかし一応に口部分から泡を吹いたり、白目をむいていたり、ともすれば生きているのか分からない状態だった。

だが、それに視線を囚われたのは一瞬で、すぐさま眼が止まったのはそこへ佇む一人の少女だった。
幼い背丈にゴスロリ調の服装。長いウェーブの掛かった黒髪を揺らす彼女は、気配の気付いたのか後ろを振り向いた。

「すかーふぇいす……」
「生江……」

互いに名前を呼び合った二人は少し距離を置きながら見つめ合う。
明らかに沈んだ様子の生江と、困惑したような顔をしているスティーブンの間に数秒沈黙が流れたかと思うと、生江はおずおずと口を開いた。

「ぁの、ごめんね」

出てきた言葉は明らかな謝罪だった。
それに、スティーブンはよろめいた。
交渉中に、何を言われても涼しい笑みで受け流す男が、衝撃に応えきれず足を一歩動かしたのだ。
それはまるで雷にでも打たれたような衝撃であり、そしてなぜ己がそんなにも驚愕しているか、スティーブンは分かっていなかった。ただ、まるで泣きそうな表情をして謝る彼女をそのままにしてはいけない――そう思う事ぐらいはできた。

スティーブンは一歩近づいて、真っ白になる脳内のままに生江の言葉を否定した。

「あ、謝らないでくれ。生江は何も悪くないだろう」
「でも」

スティーブンの言葉に、生江がふるふると首を振る。そして、服をぎゅっと握って言い切った。

「わたしが、こどもだったから」
「ッッ!」

今度は口にまで衝撃が走った。
子供、子供だったから。
そう。彼女は子供ではない。真実の姿は、この世界の醜悪さをすべて集めてだって叶わない、絶対の神なのだ。子供の訳がない。子供というのは生まれてから時間のたたない、庇護されるべき状態の事だ。
だから、彼女は間違ったことは言っていない。言っていないというのに、スティーブンは恐ろしいほどの衝撃を受けてその場に倒れそうだった。

スティーブンは、彼女と短いながらも共に暮らしていた。
その日々は、言ってしまってはなんだが、自分に子供が出来たようだとスティーブンは感じてしまっていた。
それほどに、生江が無邪気で人間らしかったのだ。何も知らず、物事をすべて楽しみ、人間らしく笑い、そして驚き悩み、スティーブンへありがとうなどと言う。
それに、スティーブンは馴染みつつあった。悪くないと思う自分がいた。

そうして自分の発言が、それらを全て失うかもしれない言葉だったのだと漸く気付いた。

「生江、僕が悪かった」
「すかーふぇいす……」
「君の気持ちを考えずに、馬鹿な事を言った。本当にすまなかった」

スカーフェイスと自信なさげに口にする少女は、しかし少女ではない。人間でさえなく、スティーブンなど一捻りで殺すことさえ可能な神でさえある。
だが、それとこれとは別だった。生江は生江であり、一人の少女であったのだ。
理性的な部分が、そんなわけがないだろう。あの空間での出来事を忘れたのかと囁くが、その空間でさえ彼女に助けられていたのだから、もう何を考えることがあるのか。

生江は突然の謝罪に目を瞬かせた後に、堪らなくなったように笑った。
それに、酷く安堵する自分にスティーブンも笑った。

「もう、おこってなぃよ」
「そうか……良かった」

それは心からの言葉だった。スティーブンは安堵した心地のままに、その長い足で少女へと近づいていく。

「それに、すかーふぇいすにあやまろぅとおもって」

少女は安心したような可憐な笑みを浮かべながら、そっと腹部へ手を置く。
謝ろうなんて、いじらしいな、とスティーブンが目を細めたとき――その手がおもむろに服を突き抜けた。

「……え?」
「すかーふぇいすがいってたの、」

スティーブンと同じ色の瞳が彼の固まる表情を映し続ける。
彼の眼には、ただただ少女が映っていた。その少女は、肘へ辿り着く中ほどまで腕を腹へ侵入させていた。音はない。ただスティーブンの脳内だけでずぶずぶという効果音が再生される。
少女の腹部が、歪に歪む。埋まっていた腕が、ゆっくりと引っ張り出される。目を逸らすことが出来なかった。その後に訪れる光景がどれほど冒涜的なものか、スティーブンなら理解しきっているというのに。

やがて現れたのは骨張った異形の腕。それが、少女の柔い手に導かれて出てくる。ずるずると、それはもはやただの幻聴ではない。確かにスティーブンの耳へと入ってくるのだ。耳に、視界に、五感に――叩き付けられる、彼女が、人間などという矮小な“モノ”ではないと。
開く――口が開く。それは口だった。小さな幼い、いつも大きなものを食べるのに苦労している可愛らしいものなのではない。腹が裂け、漆黒から這い出る混沌。

「なかなぉりするために、がんばったよ」

嬉し気で、柔らかい声は這いずる音と共に脳内を犯し、暗黒との対比にショートした頭は現実を放棄した。




その後生江を探し回り、結局見つからずにライブラへ戻ったレオナルドとザップが見たのは、泣きながらスティーブンの助けを求める生江と、その後ろに山積みにされた異界犯罪者たちと泡を吹きながら痙攣するスティーブンであった。




「にしても、こいつがオーラを追っていく先に破壊の跡があったのはああいうわけだったのかよ……」
「ははは……行く先々でビルが丸々一棟無くなってたりしたから、ビックリしちゃったよ」
「すかーふぇいす、ごめんね! ごめんね! もうおなかからだしたりしない! ぜったいしなぃ!」
「いや、悪いのは僕だから……けど、そうだね。もう出すのは、いいかな」

ベッドで横になりながら、涙目で必死で謝罪する生江の頭を撫でるスティーブンは、もう嘘でも馬鹿げたことを言わないことを一人誓いながら、それでも笑みを浮かべていた。




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「クトゥルフ番外編」
蒼さんに捧げます!!
番外編、とだけだったので好き勝手書かせていただきました!
はじめてのけんか(だが結果は笑えない)になりました。相手が悪いですね。
でもちゃんと謝ろうとしての結果なので、誰が悪いんでしょうこれは。ザップですかね!
最後の冒涜的部分はクトゥルフTRPGを意識して書きました。ちゃんと冒涜的にできているでしょうか。心配です。
クトゥルフ主的には、たぶん慣れたら四次元ポケットから出してる感じでしょうか。
でもやっぱり生物を入れるのはお気に召さないようです。物なら今後も出し入れしている(見られないように)気もします(*´ω`)
珍しく場面転換が多くなりましたが、楽しんでいただけたでしょうか?
不安を抱えつつ、これで切りたいと思います!
では、蒼さんリクエストありがとうございました!!

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