小説 リクエスト
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▼ 天然たらしの更生記(前)

考えてみると、己は物凄い人生を辿っているのではなかろうか。
スラムに生まれ育ち、吸血鬼と呼ばれる化け物に殺されそうになっていたところを師匠という名の化け物に救われ、そのまま力を見込まれたかなんなのか知らないが斗流血法・カグツチの後継者として人間として扱われなかったりと。
今ではヘルサレムズ・ロットという魑魅魍魎と人間が混じり合う世界にライブラという秘密結社の一員として送り込まれて働くことになってるし……。

わ、私に安息の地はないのか……せっかくあの鬼というか化け物というか怪物というか、な師匠から逃れられたというのに、今度は秘密結社になって世界の平和を守るだぁ? 勘弁してくれえええ私はただただ平凡なOLにでもなって誰かに守られている平和な世界でのうのうと平和ボケしながら過ごしたいだけなのに……!

って、思いながら抜け殻のように過ごしていたら、年齢はまだ若いはずなのにおっさんみたいな外見になりました。
整えりゃあ綺麗なはずの銀髪はボサボサで、服装だって白いズボンに黒いTシャツを着て上にしわしわのコートを羽織っていて、無精ひげも生えてこれでスティーブンさんより年下とか自分でも信じられない。
もうだって生きてるのつらぁ……師匠に鍛えられ、ヘルサレムズ・ロットで吸血鬼やそのほかの異界生物相手に戦って。
流されるがままに流されてきたけど、こんなんでいいのか。

そりゃあ、今のライブラの皆と一緒に過ごすこの日常(こんな世界の危機が頻繁に訪れる日々が日常と言っていいのかわからないけど)も嫌いではない。

でも! でも、私は一般人だったのだ。
生まれる前までは日本で普通に過ごしていて、死んだら知ってる漫画の登場人物になってるってどういうことですか!
私はこの世界を知っている。血界戦線だ。そして私は“ザップ・レンフロ”。私は彼みたいに天才じゃないしクズでもない。あんな原作みたいな立ち回りも出来ないし、世界の危機を救うのだってみんなの足手まといになるのが関の山だ。
うう、やだよもう家に帰りたい……ぐすん。



「おいザップ。また死人みたいに過ごしてるのか」
「……スティーブンさん」
「まったく、若いんだからもっとしゃんとしろよ」

ライブラのソファで世界の危機を救ってそのまま力尽きて寝ていたらしい私に、スティーブンさんからの手刀が振り下ろされ、それで目が覚めた。
あーなんかどうしようもなく女々しくて現状どうしようもなくて、でも言ってなきゃやってられないことを夢に見ていた気がするんだけど、忘れたなぁ。忘れたままでいたなぁ。

「ほら、早くそこどけ」
「酷いなぁ、スティーブンさんは」

まるで私を物扱いするスティーブンさんに悲しくなって、しっしと振るわれたその手を取る。
ぎょっとした表情になったスティーブンさんの手を半ば夢心地で撫でながら、綺麗な手だなと思った。

「こんなキレーな手して、そんなキレーな顔して、酷いこと言うんだもんなぁ」

どうにもならない現状に対する恨み辛みが、言葉に影響してしまったらしく、思ったよりも低い声が出た。
それにスティーブンさんの表情が固まったが、疑問に思うほどはっきりした脳内にもならず、ただ思ったことを口に出す。

「アンタみたいな人が優しくしくれたらなぁ……」

そりゃあ、スティーブンさんが私に辛く当たる理由は分かる。
私は現状を嫌がってるからろくな生活をしていないし、現実逃避しているし。見てて苛々するだろう。
スティーブンさんみたいなしっかりしてて、世界を守るっていうきちんとした目標がある人が私のような人間を嫌うのは道理にかなっているのだ。でも別に、だからって言ってライブラの活動を拒否したことがあるわけじゃないんだし、もっと優しくしてくれたって……。
スティーブンさんはしっかりしてるから、そういう人から物扱いされると余計悲しくなるのだ。
綺麗な手をきゅっと握ると、その手が強張った。

「な、ばっ」

と、まるで視界から掻き消えたように手が引っ込められた。
それに、名残惜しくなりながら再び意識が朦朧と――していた所で頭をぶっ叩かれた。

「ぶはっ」
「何また寝ようとしてんすか!」
「……レオか」
「なんすかその声。期待外れみたいな声出して」

元気よくやってきたのはレオで、どうやらスティーブンさんのお遣い後のようだ。
嗅ぎなれたパンの匂いがレオの持っている袋からする。そういえば、レオが出かける前に一度ぶっ叩かれて、引っ張られて、それでもソファにしがみついていた記憶があるようなないような。
一人で買い出しに行かされたことも相まってか、随分とむくれているようだった。
あーにしてもレオは可愛いなぁ。自分より年下だからってのもあるけど、そもそもレオの反応が可愛いんだよなぁ。
それに、こうやって私が寝ているとなんだかんだで起こして昼やら店やらに引っ張っていってくれる。それが純粋な厚意で行われてることぐらい分かってる。
だから、こうしてレオの顔を見ると、今の現状を忘れられるような――気はしないな。だって主人公やし。

「いんや? 期待通りだ」
「は?」
「嬉しいっつってんだ」

レオがやってきてから、一応先輩という立場になっている私だが、もっぱら世話をされているのは私だ。
日々道端の石ころのような生活をしているので(こんな街で正常な生活をしていたら気が狂う)、そんな私に耐え兼ねレオがいつも世話を焼いてくれる。
具体的に言うなら家に食事を作りに来てくれたり、朝起こしてくれたり。あれ、これはもしや……通い妻?

「あー、それだったらいいな……」
「な、なにがですか」
「レオが嫁に来てくれたらな、と思って」
「………はぁ!?」

すっとんきょんなレオの声が頭に響く。
煩いと片耳を塞げば、腹に拳が降ってきてカエルが潰れたような声が喉から出る。
レオからの拳はまったくもって痛くないが、何度も叩かれすぎれば苦しくもなる。
なぜか顔を赤くしながら、あんたはそうやって、とか、自分が何言ってるかわかってんすか、とか詰ってくるレオから逃げ出す。柔らかなソファに後ろ髪を引かれる思いだったが、どうにか抜け出してそのまま事務机に座ってプロスフェアーをしていたのかなんなのか。パソコンに向かい合っている旦那の方へ逃げ込んだ。

「クラウスさんもなんか言ってやってください!」
「旦那はそんなこといわないっすよねぇ?」
「む……」

突然二人に詰め寄られた旦那は困ったようにレオを見て、そのあとに私を見た。
何か言ってやってと言っても、旦那にそういうのは向いてない。それに旦那は天使だ。天使が酷い事言うわけない。ふ、人選を誤ったなレオよ。
しかし、旦那はどうやら困り切ってしまっているようで、汗を流して何か考え込んでいる。
大丈夫だと伝えようかと寝起きで動作が緩いままに口を開こうとすると、その前に旦那が口を開いた。

「その……髭は剃った方がいいと思うが」
「髭?」
「ああ、邪魔ではないかね?」

邪魔。邪魔か、考えたことなかったな。
自堕落な生活を歩んでいると、自身に頓着しなくなる。元はいいんだから勿体ないとは思うけど、中に入っているのが私の時点でいろいろ駄目だ。
自分で顎を撫でると、ざらりとした感覚がする。そして旦那の顔を見る。いまだに困惑気な顔をしているものの、その顔には髭はない。もしかして、旦那髭嫌い?

「俺は別に。でも、旦那が嫌なら剃りますよ」
「私?」
「そうっすよ。旦那に嫌われるのは、悲しくなっちまいますからねぇ」
「何故悲しく……?」
「そりゃあ、旦那がいなくちゃ生きてけないからですよ」

このヘルサレムズ・ロットで癒し成分と言えばもう旦那しか思い浮かばない。あ、あとソニック。
スティーブンさんは綺麗で目の保養になるし、レオは世話を焼いてくれて嬉しいが、癒しと言えばこの人しかいない。
ささくれたこの心を癒す旦那がいなくなったらたぶん私死ぬ。
あ、でも目の保養や世話を焼てくれる人がいなくなっても私死ぬんじゃね?
なるほど、ライブラがなければ私は生きていないのか。新発見。

と、旦那の汗が尋常じゃないことになってて顔が真っ赤になってるが何故だろう。
あーにしても眠い……シャワーでも浴びてこようか――

そこまで考えたところで、力加減なく引っ張られるコートの襟に、思い切り腰が仰け反った。
そのまま一歩後ろへ下がって何事かと思った瞬間に目の前が水に覆われた。
……詳しく言えば頭全体が。びしょぬれになった頭部とコートに、流石に目が覚めた。
ボタボタと水が流れるままに、後ろを向けば、そこには水の中に住むべき生物が何処か怒ったようにこちらを見ている。
どうやら血法で水をかけてくれたみたいで。

「貴方はまた皆さんに迷惑をかけて……!」
「……ツェッド。おはようさん」
「おはようさんじゃないですよ! 全く!!」

ええと。うん、ごめん。
先ほどまで半分夢の中にいるような状態だったからか、自分が何をしたのかあまり覚えていない。
確かスティーブンさんに手刀を落とされて、レオに殴られて、旦那に髭がうざいって言われたんだっけ? え? ちょっと泣きそうなんだけど。
流石にそんなことないだろうと頭を抱えるが、目の前に弟弟子がそれを許してくれなかった。

「ほら、今日こそはその酷い恰好をどうにかさせますよ!」
「なんだよ、俺はこのままでも……」
「僕が嫌なんですよ! 兄弟子がこんな放浪人みたいな恰好しているのは!」

そっか。じゃあしょうがないね。
ツェッドに引きずられるまま、ライブラの部屋から出ていく。
その光景を残った三人に見られていたが、この弟弟子にこうして雑に扱われてしゃんとしろと叱られるのは日常茶飯事なので、いつものことだと思われているのかもしれない。
にしても、恰好をどうにかするってなぁ。もしかして原作の恰好ですか。



予想は当たっていたらしい。
最初は私のアパートへ連れてこられて(私の家なのに)シャワーを浴びて来いと命令され浴び、その後美容院に言って髪を整えさせられ髭を剃られ、服屋に投げ込まれて似合うものを仕立て上げられた(ツェッドも手伝ってくれた)ら、原作通りになった。ぱねぇ。
勿論お金は自分で払ったが、なんだか釈然としないものがある。だって私あのままでいいと思ってたしなぁ。
あ。ツェッドが嫌なんですね。そうですよねーじゃあしょうがないですよねー。

「これで満足か?」
「……これはこれで、いや、でも、しかし……」
「おいおい、これ以上どうするってんだ」

原作そのままの姿になったのに、どうやらツェッド君はまだ不満があるようで。
私の姿を見た後にぶつぶつと独り言を言い出して、折角身ぎれいになったのにこれでいいと太鼓判を押してくれない。
……もしかしてあれか。中身が私だから雰囲気的に似合ってないとかそういうことか。

「……不満なら数日放置しとけば元の姿に戻るぞ」
「そういう問題じゃありません」

ピシャリと返された言葉に、そうか。と何も言えなくなった。そういう問題じゃないからどういう問題だというのだろうか。そこらへんが分からないからツェッドに嫌な顔されるんだろうな。尊敬されてないのは普段の生活から重々承知だが、嫌な顔をされるのは耐える。私だって生きてるんだ。ミミズだって芋虫だってみんなみんな生きているんだ友達なんだぞ。
正直ツェッド君から向けられる感情が怒りぐらいしかなくてそろそろ既に砕けてる心が粉々になりそうだ。どうにかしたい。
でも、私がツェッドの機嫌をとれることなんてたかが知れてる。寧ろライブラのソファで寝ていることが一番の機嫌を損ねない手段なんじゃないかと思う。だって視界に入っただけで怒ってくるし、うっ、泣きそう。

「いいぜ、もっと好き勝手やっても」
「……は?」
「だから、お前の満足するまで連れまわせってんだよ。服を変えるか? それとも気分転換に食事でも行くか。けど俺が知ってる店なんて高が知れてるからな……やっぱダイアンズダイナーに」
「ちょ、いきなり何を言ってるんですか! なんでそんな話になってるんです!?」

なんでって、ツェッドの機嫌を取れるのがこれぐらいしかなかったんだよ。
別に金は全部私が出すし、日頃迷惑かけてるのは自覚しているから、その謝罪だと思ってくれればいい。それで、少しでもツェッドが私に対して嫌な顔をしないでくれるんだったらいくらでもしてやろう。だってツェッドは(一応)私の弟弟子であるし、家族も何もいなくなった私の唯一そういう、距離の近さを感じさせてくれる存在であるわけなのだ。
恥ずかしいので口には出したくはないが、あの人外師匠のことだって、私は嫌ってはいないのだ。怖いけど、めちゃくそ怖いけど。なんだかんだで死にそうだった私を育ててくれたのは師匠だし、生きるすべを教えてくれたのも師匠だ。そんな師匠が手ずから育てた大事な二番弟子なのだから、私も気にはする。
ま、そんな思いも自分のいつもの行動のせいで一ミリも通じていないと思いますがね!! 知ってた。

「お前、俺が勝手なことしてたら怒るだろ」
「そ、それは、貴方が……」
「だからお前の好きなことをやればいい、それに俺がついていく。お前いつも俺に付き合ってばっかだろ」

付き合ってばっか、というのは具体的に私が身に覚えのない女性に刺殺されそうになったりとか、心中しましょうとか言われたりとか、男にストーカーされたりとか異界生物に飲み込まれそうになったりとかしたときに助けてもらっていることだったりする。後は喧嘩を売られ、どうにか相手を鎮静化した後にこの世のやるせなさに路地に転がっていたら見つけてくれたりである。後者はまだいいとしても前者の男女ともども全く身に覚えのない人から――いや、そういえば一回ぐらい話したことがある、か? に――どうして殺されそうになったりストーカーされるんだと嘆いていたら、ツェッドに貴方がそういう雰囲気だしてるからでしょう! とよくわからない突っ込みを入れられた。そういう雰囲気ってなんだ! 人間雰囲気だけで心中しようとしたりするのか不思議! そんなことを言ったら、髪は整えずに無精ひげ、更には皺のコートに生気のない世捨て人みたいな風体でいるのが悪いって言ってるんです! と返されたなぁ。それでもよくわからなかったが。あ、でもそういう意味もこめて今回強制的に整えさせられたのか納得。

そして私の言葉で戸惑った、というか完全に困惑顔をしているツェッド君に畳みかける。
こんなチキンでヘタレで役立たずな兄弟子をもって、ツェッドは本当にかわいそう、というか大変だと思う。でも、だからこそ私は――。

「お前、いつも怒ってばっかだろ」
「だからなんなんですか」
「今日はお前の好きな通りに俺に言えばいい。デートとでも思えばいいんだよ」
「でっ…!? 貴方は一体何を考えてるんですか!」
「別に、簡単な事しか考えてねぇよ。お前の笑った顔、見てぇだけだ」

私の記憶の中で、ツェッドが喜んだり笑ったりしているのは見たことがない。
元々真面目な性格だから、あまり笑わないなんていうのもあるかもしれないが、だからって喜ばないのはどうかと思う。たぶん私がいないときにレオとかライブラの面々と話しながら楽し気にしてるんだろうが、私は見たことがないのだ。
それを寂しいと思わないことはないだろう。そしてその原因が私にあると分かっていれば尚更だ。
ツェッドの笑った顔、いや、そこまでいかずとも、楽し気な姿が見たい。

「あ」
「あ?」
「貴方って人は……!」

目に入ったのは真っ赤に染まってわなわなと震えるツェッドの姿を見て、アッと思った。
これは失敗した。惑う事なき失敗だ。なんかすごい怒ってる。こう、制御できない怒りが身体から噴き出すのを待っているかのように顔が、いや、体が赤く染まっていく。というかツェッドって怒ると赤くなるのか。やっぱ血が赤いからか。でも肌色が違うから赤くは――ってそれどころじゃねぇ。怒り心頭の弟弟子をどうにかしないと。

「そんな物言いだから貴方は――ッ!」

しかし、ツェッドの怒りの声は途中で遮られた。
地面を揺るがす轟音、そして咄嗟に視線を転じれば盛り上がる大地。

「(夜逃げしたい)」

そうして突如地面から出現した凶暴な異界生物に対し、ツェッドと和解も出来ぬままに立ち向かうのだった。


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