小説 リクエスト
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▼ 「承りました。Master」

* 「……F○ck」「――ミンチにしてやろう」から続いております



レオナルドは見ている光景が信じられなかった。
男が一人、立っている。
そして、その男の周囲には血の池が広がっていた。色としては赤が八割、他の奇怪な色合いが二割といったところだろうか。そうして血肉と骨がまるでミンチのようにまき散らされ、全ての者が原型を留めていない。それだけ見ても、そのことを行った首謀者が狂気的な人物であり、生物をミンチにできる技術と技量があるのだと窺い知れることが出来るだろう。
建物の表面や地面が、まるでペンキで塗りたくられたようにその場所だけ異質な空間となっている。
だが、レオナルドが驚愕したのはそこではなかった。勿論絶句はしたものの、このヘルサレムズ・ロットでは生物が紙切れのように死んでいく。ヘルサレムズ・ロットで生活をし始めてから長らく経ったレオナルドにとっては、これぐらいだったら許容範囲だった。
だが、その池の中心に佇んでいる人物見た自分の目玉を信じることが出来なかった。
その目は神々の義眼と呼ばれる芸術品であり、その目で見れないものはないともされる程の逸品だ。だが、その目で見たとしても、レオナルドは唖然とするしかなかった。
池の中心に、しかし血液一つ付けずに優雅に佇む男は、黒髪を紐で一つに纏めていた。オールバックの前髪はしかし前髪が少々流れ出ている。顔は美形であり、鋭い目付きは目が合うだけで射抜かれるように思えた。しかしその左目だけをモノクルのガラスが覆っている。衣服は英国貴族然としており、クラウスと似通った格好であるとも思えた。しかしストライプの入ったワイシャツは黒く、衣服の全てにおいて黒を基調としていた。

「死神……!」

無意識に吐き出されたレオナルドの言葉は、確実にその男を指示していた。
手に何も持たないでいるように見えるのに、彼を捕えようとした者たちを全て殲滅した彼は、その異様さも相まってまさしく『死神』と称されるに値する。ヘルサレムズ・ロットには人間もいるが、それ以外の生物もいる。それは普通の人間が太刀打ちできるような相手ではなかったり、人間という個体であっても改造され、集団となり襲って来れば一たまりもない。だが、彼はその全てを殺し切った。跡形もなく。
『死神』と称されるべきだろう。その証拠に、レオナルドとともにその現場へとやってきていたクラウス、スティーブン、ザップ、ツェッドの面々は内心であったり頷きを返し同意した。
だが、レオナルドの本意は違った。自分以外気づいていないことその反応で察しながら、一人混乱の中にいた。
どうして彼がいるのか。どうして、だって彼は!
彼の目が、レオナルドへと向いた。

「ウォルター・C(クム)・ドルネーズであっているな」
「……いかにも」

スティーブンが混乱しているレオナルドを置いて話しかける。
それに、レオナルドの方を向いていたと思われた目線がスティーブンを射抜く。
思わず後ずさりしそうな目にも余裕気に見つめ返したスティーブンは、そのまま口を閉じた。
ライブラのリーダーであるクラウスが一歩ウォルターと呼ばれた男へと近づく。その一歩は大きく、しかし警戒を怠っていなかった。
レオナルドをその様子を少し後ろで見つめながら、額に汗をかいた。ダメだと思ったのだ。これから何が起こるか、レオナルドはわからない。だが、予想はつく。それがどうしようもなく不正解な事柄だと思えたのだ。

「……あなた方も私をあの能無しの所へ連れてゆきたいのですか?」

丁重な言葉遣いに、そのレオナルドの思いは増長した。
クラウスの方を勢いよく見る。クラウスは交渉事には向かない性質だ。思っていることはそのまま言ってしまうだろうし、今回はスティーブンもそれを良しとしたから譲ったのだろう。だが、ダメだ。レオナルドは知っている。本で見たことがあるのだ。彼がどういう人物か、そして、どれ程に強いかを。
静止しようと口を開く、しかし、それは虚しくクラウスの力強い言葉に先を越された。

「必要ならば」

それは、ライブラのリーダーとして当然の言葉だ。彼が危険人物であり、どうしようもない人物なら拘束し、事によっては今回の事態を収束させる為に、そして堕落王への交渉材料として彼を差し出すかもしれない。今は彼が殺した者たちで被害は収まっているが、これから堕落王がどんな手を使って彼を捕えようとするか、堕落王の賞品欲しさに誰がどのような事態を起こすか想像ができない。堕落王に差し出さないとしても、その身を拘束することはあるだろう。
だが、それは。
この街でも己の力で生きていけることが出来、そして誇りを持つ彼には。

「そうですか。ならば、仕方がない」
「待っ――!」

レオナルドが叫ぼうとした瞬間、周囲に潜んでいた鋼線がライブラメンバーを囲っていた。




最初に捕えられたのはリーダーであるクラウスだった。踏みしめている地面から蠢いた鋼線が足首を拘束し、そのまま上半身を地面へと叩き付けた。その上で両手の肘を地面へと括り付け一瞬にして身動きが取れなくなる。

「クラウ――ッッ!?」

驚愕に目を瞠ったスティーブンはまるで吹っ飛ばされたかのように建物へと叩き付けられた。声もなく息とともに血を吐き出したスティーブンはそのまま壁に背を埋め込みながら、座り込むような体制で地面と壁に絡めとられた。
事態を即座に飲み込んだのはザップとツェッドだった。血の刃を伸ばしクラウスの腕の線をザップが、ツェッドがスティーブンの拘束を切り捨てようと伸ばす。だがそれを嘲笑うように鋼線が二人の周囲を舞った。

「ぐぅッ?!」
「がッ!」

決して近い距離にいたわけではない二人が、鋼線によって強制的に背からぶつかり合う。二人を一緒くたにした鋼線はそのまま二人をスティーブンとは逆側の建物へと激突させた。逆さづりにされ衝突した二人の頭や体からは血が流れ出る。

一瞬だった。
全てが一瞬。しかし、その全てを見ていたレオナルドは神業というべき所業に戦慄していた。
腰を抜かし、歯をカチカチと鳴らすレオナルドはしかし鋼線での拘束を受けていなかった。
その瞳がレオナルドを映す。刹那、銃弾が空を切り裂いた。

「――煩わしい」

確実にウォルターを狙った銃弾は鋼線の盾によって防がれる。まるで冗談のような光景だ。何重にもクロスされた鋼線が男を守る盾のように展開し、彼を銃弾から守っている。
続いて何十発もの銃弾の嵐が降ってくるが、その全てが盾によって防御される。火花を散らしながら銃弾が弾かれていく。
ずっと続くかと思われた銃弾が停止する。それにウォルターが銃弾が降ってきた方を見つめるが、追撃はない。
それに、再び彼の目がレオナルドへ向くかと思われた時――その場にいる者たち全ての耳に音が響く。

「ロケット弾か……!」

初めて男の声に感情が滲む。音はどんどんと巨大となり――銃弾が降ってきた方角とは全く異なる方向から実体が降ってくる。

「ってK・Kさん僕らもいるんですけどおおおおおお!!」

そんな哀れな少年の悲鳴が爆音にかき消された。

煙と炎が着地点から濛々と上がる。それを見ながら、レオナルドは茫然としていた。
ロケット弾が衝突した地点から数十メートルほど爆発し、ライブラメンバーはギリギリのところでその被害を受けずに済んだ。スティーブンは煙を吸い込んでひどくむせ、ザップとツェッドは瓦礫が降りかかってきて、それを仲良く血法で弾き飛ばしている。
男の攻撃で意識が朦朧としていたメンバーたちも爆音とそれに伴う煙や瓦礫によって意識ははっきりさせていた。クラウスは距離が離れていたので爆風による風に晒されることはあったが被害を受けることはなく、レオナルドは一番距離が遠かったのでその光景を眺め、茫然としていた。

そうして、茫然としていたレオナルドの目に、やはりそれは映り込んだ。

「街中ですることじゃあないな」

平然と、しかしはっきりと聞こえた言葉に全ての目がそこへと向く。
煙と炎に揉まれる道は、だんだんとそれらを消していく。煙は風に流れ、炎は火へと変わっていく。
その中で、男はモノクルを手に取っていた。そしてどこからか取り出していたハンカチでガラス部分を丁重に拭く。少し顔から離し、曇りがないかをよく確認してから、再びそれは元の位置へと戻された。
服に汚れの一つさえ存在しない。燃えた後も、灰に汚れた部分さえも、何もかもがロケット弾を発射される前の姿をしていた。
洗練された足取りは本人の上品さを映し出し、無表情で一つも変わらぬ顔色は彼の余裕を見せつけていた。

レオナルドはそれを見つめながらやはり腰を地面から持ち上げることが出来なかった。
やっぱりだ。と、やっぱりあの人は。
そんな“あの人”は、レオナルドをふと見て、そして目を丸くした。余裕を見せつけていた表情が、まるで驚いたように変わってしまったことにレオナルドは驚いた。そして、

「よお、執事さん。こいつの命が惜しかったら俺たちと一緒に来てもらおうか」

後頭部に押し付けられた何かの感覚に――それが銃だということと、堕落王のゲームに巻き込まれたことを察した。
どうやら爆発で視界が遮られ、この場にいた者たちがそちらに意識を奪われていた時にレオナルドの背後に回っていたようだ。だが、レオナルドは激しく混乱した。

「(俺を人質に取ったってあの人が行くわねぇじゃん!!)」

自明過ぎる。レオナルドたちはレオナルドの背後にいる輩と同じ連中だとウォルターに思われているのだ。自分を堕落王の元へ連れていく無礼者。そんな一味のレオナルドを彼が助けるわけがない。むしろ良い気味だと思うことだろう。
混乱する頭の中で、現在の配置を考える。ストリートで発生した執事との鬼ごっこは、その執事の手によって仲間一人と二人が両方の建物へと括り付けられ、クラウスがその少し後ろで地面に張り付けられている。そしてそのさらに背後にレオナルド。そして銃を持った男たち。レオナルドとクラウスの十数メートル前に執事が佇んでいる。
そして、先ほどのロケット弾を思い出し、レオナルドは感づいた。つまり、ロケット弾を防御した執事との位置関係だ。前方からの弾丸を全て弾いた彼に、ここからは姿は見えないが、K・Kは痺れを切らしロケット弾を発射した。しかし馬鹿正直に弾丸を打っていた場所から発射したのでは避けられる。ならばと操作式なのかは不明だが、銃弾の道筋を変えられるように工夫したロケット弾で彼の背後当たりから衝突させた――傍から見れば、クラウスやレオナルドを庇っているようにも見える。

「(勘違いかよッッ!!)」

レオナルドは泣きそうだった。というか半泣きだった。彼の返答は半ば予想がついている。その答えを聞いた瞬間、背後の物騒な連中は邪魔な餓鬼をどうするか。すぐに予想がついてしまったのだ。
そして、問われた当人は丸くしていた目を元に戻してその視界にレオナルドの背後に陣取る輩を映した。数は十数人。全ての人間が重火器を持っており、人間ではない生物もいる。
執事は後頭部に銃口を押し付けられ動けない少年と銃を向けている男。そしてその後ろに控える者たちを見て、ふう。と息を吐いた。仕方ない、とでもいうように吐き出されたその息に、誰もが眉を顰める。

「その少年から銃口を外し、すぐさま私の前から消え失せろ」

その口から発せられた言葉に、レオナルドは瞠目した。
そんな言葉が発せられるなど、一欠けらたりとも思わなかったのだ。自分たちは彼にとって敵である。そうであるはずなのに、彼は確かにレオナルドに危害を加えるなと言い含んだのだ。
しかしその目はまるで肉食獣のように鋭い。こちらの意に反する答えを口にしたら――殺す、と殺せるのだと、その瞳は相手を威圧していた。まるで豹が薄汚い鼠を相手にでもするように。
その事実に気づき、しかしレオナルドに危害を加えるなという意思を読み取った男が、怒りに顔を引きつらせる。

「いいだろう、なら――」

そうして、怒りを覚えつつ表情に笑みを浮かべた。
男のグリップに添えられていた指が、微かに動く。
レオナルドの予見はある意味で正解だった。レオナルドが使えない、用無しだと判断されれば殺される。しかしその逆もあり得る。いつでも殺せるのだと執事が男たちを馬鹿にし、レオナルドの後頭部に銃を突き付けても交渉の材料にならないのなら――見せつけに殺す。
怒りに歪んだ笑みのまま、男はその指を引いた――。


その男の行動は、終わる前に停止させられることとなった。
それは男の腕を切り裂こうとした二つの血の刃の為であったかもしれない。それは男の動きを全て停止させる氷の為だったかもしれない。それは鋼線で拘束された男がその拘束をもぎ切って出された血の十字架の為であったかもしれない。
だが、その行動は、男の全てが肉塊になることによって制止された。

「Yes以外の答えは聞いていない」

そう、冷めた声で述べたウォルター・C(クム)・ドルネーズは、両手を僅かに動かしていた。
その指の一つ一つに絡まった鋼線は、男に、そして男たちへと繋がっていた。銃口を突き付けていた男は、その腕だけを残し、鋼線によって人の形も残さず肉塊となった。
引き金を引く人間の意思をなくした銃を握りしめた手首がレオナルドの背後に転がり、血しぶきが頭上から降りかかる。まるで、それは血の雨のように。
血の雨に、レオナルドは反射的に背後を見やった。そこには、刹那ごとに、レオナルドの目でしか見えない短時間にまるで冗談のように肉塊になっていく生物たちがあった。

「……う、うぁ……」

あまりの光景に全てが終わり、肉塊しか残されなかった残骸を見て、レオナルドは呻いた。
四肢が飛んでいる。首が飛んでいる。胴が千切られている。そして、レオナルドに銃口を向けた男は、本来の形さえ失くし肉の塊と成り果てた。
べったりとついた赤い血に、ガタガタと奥歯が震える。
そんなレオナルドの耳に、音が響いた。
コツリコツリと、靴裏が地面をたたく音。ブリキの人形のようにその方面を見たレオナルドは、自分へ向けてその足を進める執事の姿を見た。
洗練され、優雅ささえ感じる。だが、同時に死の糸を操り、人を人とも思わず肉塊にする力を持っている。
それをレオナルドは知っていた。知って、震えた。
レオナルドの元へ男がたどり着く。その冷めた瞳はレオナルドを睥睨していた。腰も抜け、動くことさえできないレオナルドは、ただただその男を見つめることしかできなかった。
男は一歩、足を後ろへと引いた。そしてその膝をゆっくりと折る。その動作一つ一つが完璧で、レオナルドはただ目が離せなかった。そのまま男は片膝を地面へと付けた。腰を少しだけレオナルドの方へと折って、目線を同じくし、手を差し伸べた。顔はまるで優しげな近所のお兄さんのように微笑んでいる。

「大丈夫ですか」
「……へ」

漏れ出た声はか細かったが、誰もがわかるほどに呆けていた。
そして、それを見守っていた周囲も。
まるで、姫を助ける騎士のように膝をついてレオナルドに手を差し伸べた男は、極々普通の人の顔をしてレオナルドの安否を気遣った。

「怪我はなさそうですね。ああ、申し訳ない。さすがに血しぶきまでは考慮する時間がなかったので」
「え、あ、あ、あれ? え?」

男がしゃべっている内容が理解できないレオナルドは、真っ白になる頭で疑問符の言葉ばかり発していた。
それに、男は構わずレオナルドの手を掬い上げ、少々強引に立たせる。

「ほら、しっかりしなさい。男子でしょう」
「へ、す、すいません」

反射的に謝ったレオナルドは、ふらつきながらもどうにか自分の足でその場に立ち上がる。
立つと身長差が浮き彫りとなる。スティーブンほどの背丈だろうかと思ったレオナルドはようやく正気戻った。

「あっあのッ、な、なんで助けてくれたんですか……」

ある意味で助けずとも良かったとも聞こえる自分の言葉にだんだんと語尾を落としていくレオナルドを、その様子を見ていた男はにこりと笑った。
先ほどまでの、鋼線を扱っていた時の表情とは別人のような表情。それを、レオナルドは見たことがあるような気がした。勿論現実でではない。紙面上で、彼が年老いて、彼の主や同じ元ごみ処理係やその僕と喋っていた時、こんな柔らか気な顔をしていた。それをまだ年若い彼が、紙面では鋭く殺意に溢れた顔等しかなかった顔に浮かんでいる。

「貴方が私を捕まえようとする意思が見えなかった。それだけです」

そう、柔らかいとも思える口調で言う執事に、レオナルドは場違いだと自覚しつつ顔が赤くなった。この人美形すぎる。
レオナルドが場違いに顔を赤らめているのを眺めていた執事に誤魔化すように言葉を続けた。

「あ、あの! ……貴方ってその、イギリスの、王立国教騎士団の所の執事さん、ですよね?」
「“私”を知っているのですか?」
「は、はい。あっ! あの、そのですね、説明が難しんですけど、漫画っていうか、なんていうか」
「……この世界にも“HELLSING”という漫画がある。ということですね」
「そッ、あれ!? そ、そうです!」

平然とレオナルドの言葉を理解する執事に混乱が招かれる。レオナルドは、ウォルター・C・ドルネーズという人物を知ってる。そしてそれは彼にとっては考えられないツールによって知りえた情報のはずだ。だって思いもしないはずだ。自分たちが関わった出来事が“漫画”になっているなんて。
だが、それを当然のように受け止め、更にはその漫画のタイトルまで当てて見せたウォルターというキャラクターにレオナルドは理解が及ばない。
レオナルドが一人で慌てていれば、執事の名が呼ばれた。

「Mr.ドルネーズ」

だがそれは今までの者とは違い“きちん”と彼を呼んでいた。
それに呼ばれた男が振り返る。口に出したのは地面に縛り付けられるクラウスで、その腕は血に塗れていた。
男は拘束する際、腕を傷つけた覚えはなかった。攻撃の重要な手段だと知っているからこそ、慈悲として負傷はさせなかったのだ。だが、その腕は拘束を破ろうと腕を引っ張ったせいで鋼線が肉に深く食い込み大量の血が流れていた。“そうした事態にならないように”早急に銃口を向けた男へ手を打ったはずなのだがと男は内心思う。

「なんだろうか」

礼儀をもって呼ばれた名に答える。拘束されたライブラのリーダーはその体制のまま丁重に頭を下げた。

「貴方を拘束すべきと考えたことを赦してほしい」

誰が聞いても誠意に溢れた謝罪だった。しっかりと後頭部を見せた謝罪に、執事は暫し無言となる。
そうして、僅かに指を動かした。レオナルドはその指に絡まった鋼線がクラウスを拘束している糸へと繋がっているのが見えた。その糸は、まるで拘束など最初からしていなかったとでも言うようにふわりとクラウスの体から離れた。
呆気なく自由になった体にクラウスが目を瞠るが、すぐに表情を戻す。

「感謝します」
「交渉の場は平等に。それだけです。それで、何を申し出たい」

即座に言葉を返す男はレオナルドに向けたものとは違う、やはり冷めた目でクラウスを見る。
それに、拘束がなくなり立ち上がったクラウスは堂々と告げた。

「貴方を我らライブラで保護させて頂きたい」

嘘偽りなく、本気でそう告げているクラウスに、壁に拘束されたスティーブンから「クラウス……」という声が漏れるが、それによってクラウスが前言撤回をすることはなかった。
男はその言葉に何も返事を返さない。男のすぐ隣にいるレオナルドがビクビクと二人の様子を窺う。
執事は一つ目を閉じる。瞼に隠れた瞳は、次に現れた時にはクラウスを試すように射抜いていた。

「それは有難い。が。あの能無しが私を諦めると思うか?」
「……それならば、堕落王フェムトが貴方を諦めるまでライブラに身を置いて頂きたい。それならばどうだろうか」

クラウスの言葉に、スティーブンとは反対側の壁から「ええ!」やら「マジかよ!」という声が発せられる。だが、それもクラウスが言動を撤回させる要因にはなりえなかった。
ある意味で自意識過剰とも思える男の発言だが、その指摘は的確だった。あの堕落王がテレビをハッキングし、ヘルサレムズ・ロットの全ての生き物たちへゲームを申し出た。ウォルター・C・ドルネーズを捕まえれば“なんでも”作ってやるというあまりにも法外な報酬のゲームを。そして、期限は“ナシ”。つまり、いつまでも彼を追う追手は出続け、そして堕落王は彼を待ち続ける。
それでもクラウスは前言を撤回しない。その理由を二人の会話を慄きながら眺めていたレオナルドはわかっていた。彼が、ウォルター・C・ドルネーズが悪人ではなく、被害者であると明確に判明したから。その理由は――自分、つまりレオナルドという仲間を助けたからだ。
クラウスとウォルターは暫し見つめあった。まるで二人の獣が相対しているような現状に、レオナルドは体を縮み上がらせる。しかしそれも、長くは続かなかった。

「……承った」

目を伏せ、どこか呆れた、という雰囲気を出した男がそう告げた。
それに、クラウスの顔がわかりやすく晴れる。しかし、水を差すように男が続けた。

「だが、ただ世話をされるのは身に合わない」
「む。では何を……」

困った風に逡巡するクラウスに、男は表情を一変させ、にこやかに言い放つ。

「簡単です。私を雇っていただけますか、クラウス様」

それに、目を瞬かせたクラウスは数秒してから困り果てた。

「私には執事がもういるのだが」
「ならば、組織専属にしてしまえばいいのです。それか、そこの特殊な目を持つ少年の護衛役などでも」
「ぼ、ぼくですか!?」

ペラペラとセールストークをし始めた男に、周囲がおいて行かれる。
ただ矢面に立たされたレオナルドと、交渉相手のクラウスだけが内容を把握していた。
クラウスはレオナルドの事を指摘したウォルターに少々考えるように顎に手を置いた。

「貴方ほどの者がそうしてくれるなら助かるが……」
「ならば、契約は成立ですね」

口角を上げ、優雅に微笑んだ男に、クラウスは少しだけ口を噤んだ。
しかし顎においていた手を下すと、ウォルターをしっかりを見据えた。

「……そうだな。Mr.ウォルター。君をわがライブラの執事として歓迎しよう」

その言葉に呼応するように鋼線がクラウスの周囲を漂う。いや、それは持主の意図を表している。
鋼線そのまま血が流れるクラウスの腕を囲い、包帯のように何十にもクラウスの腕を包み、あっという間に応急の止血を行った。
鋼線を辿り、クラウスはその持主を見やった。

「承りました。Master(我が主)」

ウォルター・C・ドルネーズは完璧な礼をして見せ、拘束していたライブラメンバー全員の拘束の糸をふわりと解いた。



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「血界戦線のウォルターの短編続き」
聖yesさんへ捧げます!
続き物第3弾となりました。とても長くなりました!
第3弾で、最後となります。続きというかやっぱり前の話になってしまっているので、続きとして「帰りもお気を付けください」を書かせていただきました(;^ω^)
正直力だけはめっちゃ入れて書きました……(;'∀')
楽しんでいただければ嬉しいのですが……。
では、聖yesさんリクエストありがとうございました!

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