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▼ 彼女の命日

「こい、びと……?」

ゆっくりと吐き出された言葉は私の発言の復唱だった。それに内心冷や汗を湯水のように流しながら優雅に頷いて見せた。

「ええ。実は昨日からお忍びでヘルサレムズ・ロットに来ていたのですけれど、雨に降られてしまって。生江に案内されてここまで。服を貸していただいたんですが、動揺していたのかそのまま日常品を買いに行くと出かけてしまって、まだ戻ってきていないのです」

く、苦しい! これは苦しい!
でも私にはこういうしかない。他にいい誤魔化し方もあったのかもしれないが、咄嗟に思い浮かんだのがこれしかなかったんだ。もうこれで突き通すしかない!
スティーブンは片手顔の半分を覆って、それから苦しそうに呟いた。

「つまり、いい所のお嬢さんである君はこっそり恋人のいるヘルサレムズ・ロットへやってきたけどロクに伝手もなくて生江に迎えに来てもらった――ってことか?」

お、おお。うん、そう、そうだよ! 流石スティーブン、私の足りない部分を上手く補強してくれる。いつも助かってる。ありがとう。
伝わらない感謝の気持ちを内心で呟いていたら、スティーブンが凄まじい目つきでこちらを見た。まるで親の敵を見る様な表情で、怖すぎる。何人か眼光だけで殺せるぞ。あまりの怖さにビビり過ぎて震えることもできずにその目を見返した。目を逸らすこともできない、す、スティーブン、そんな怖い顔もできたんだね。いつも優しげな表情をしているから思いもつかなかったよ……うわああああ怖いいいいい!

「そんな怖い顔をなされないで。私は生江の恋人で、あなたの敵ではないのですから」

ふふふ、と令嬢を気取って微笑んでみせる。
私は生江の大切な人だよー彼女だよーだからそんな怖い顔しないでー敵認定しないでお願いします切実に。

スティーブンは指摘されてから自分の表情の豹変具合に気づいたのか、慌てていつもの見慣れた面持へと戻した。しかしその頬は若干ひきつっている。

「申し訳ない。いきなりだったものだから」
「ええ。スティーブンさんが驚くのも無理はありません」
「……名前」

スティーブンの眉がピクリと動く、先ほどの恐ろしい表情になる前兆と悟った私は即座に返答した。

「はい。生江がいつも言っております。頼りになる相棒だと」
「……相棒」
「ええ。いつも支えてくれて、助かっていると。貴方がいてくれて本当によかったと言っていましたよ」
「……生江が」

思案しているようで口数の少ないスティーブンを見ながら、いつでも動けるように足に力を入れる。これは疑われているのか、それとも納得しているのか。納得されておらず、今までの情報から私が部外者であり生江の関係者でないとスティーブンに思われていたら、私は終わりだ。この状況ではスティーブン相手に勝ち目はない。だからこそ逃げる準備をしなければ。スティーブンに誤解されたまま拷問ルートになんて突入したら生きていられる自信がない。絶対無理だ。
私が一人身構えていると、スティーブンが難しそうな顔をしてこちらを見た瞳と視界がぶつかり合った。
これは、なんだろう。納得していないのか、疑っているのか、そのどちらでも有りそうだけど、苦しげなのは何故なのだろうか。
私を敵のように憎々しげな瞳で見ながら、しかし縋り付くような表情にも見える。
つ、つまり……どっちだ。

「君は……無力そうだ」
「え。あ、はい」

思わず素で答えて慌てて姿勢を正す。私はいいところの令嬢(という設定)だ。がんばれ私の演技力。培ってきた高貴な姿勢(笑)を全力で駆使するのだ。
だが、突然の無力発言に驚きはする。どうしていきなりそんな話題に。見た目からしても中身としても無力なのは折り紙付きだ。しかし、今ここでその発言をするのはどうしたことか。

「生江と共にいるには、無理があるんじゃないか?」

……しゅ、姑……?
あ。いや、そうじゃない。きっとスティーブンのことだ。ライブラのリーダーという役職の人間がこんな紙切れみたいな女と付き合っていたらそこを弱味として利用されかねない、と遠回りに言っているのだ。
確かにその通りだ。だが、そこは問題ない。
私は、できるだけ堂々としながら、胸を張って答えた。

「スティーブンさんの言いたいことはよく分かります。生江という人間の隣に立つには、私は紙切れのようでしょう。彼に守ってもらわなくては、きっとココではすぐに命を落とします。しかし、それがどうしたことでしょうか。私は彼に守ってもらうことを、なんの恥だとも思いません。力無き者が強者に助けられる、それは当然の理です」

あ。スティーブンの顔がまた恐ろしい形相に。
だが、ここで怯んではいけない。さぁ、しゃっきりしろ私! これからこっぱずかしい、自分への愛の告白をするんだから!!!

「ですから、私はあの人を支えるのです。貴方のように、彼の執事のように、彼がリーダーを務めるこの組織のメンバーたちのように。私はあの人を恋人として支えるのです。力ではなく、想いで、あの人の心を。あの人は強い。それは確かです。しかしそれは肉体だけです。貴方も長年彼といるのなら、知っているでしょう。あの人は心が弱い。私は、そんなあの人が捨て置けなかったのです。そんなあの人が愛おしいのです。世界を守る役目を負っているというのに生江は哀れな程に心が弱い。だからこそ、私がそんな彼を肯定し、そうして支えなくてはならないと思っているのです。そうして彼がまた戦いの中に身を投じることができるのなら、後ろを、私を振り返らずに己が役目に邁進できるのなら、私は彼を支え続け、愛し続けます。誰に、なんと言われようとも」

ぶっちゃけ。
これは、私の理想像の女性である。
私の弱い心を知って、私の本当の姿を知って、そうしていつか死ぬかもわからない場所へと繰り出す私の背をやさしく押してくれる人。逃げようとしても慰めてくれて、もう嫌だと泣いても貴方は頑張ってると微笑んでくれる。そんな――自分が女々しいってわかってるよ!! それでもこんな人がいればなぁって思ってしまうのはしょうがないだろ! 私だって日々擦り切れる生活で辛いんです! ああもう早く引退したいいいいい!

物凄い表情のスティーブンの眼光を、しかと見つめ返しながらハッキリと離れるつもりはない、と告げる。胸を張り、背を伸ばし、両手は膝に優雅において、内心は自分の女々しさに泣きつつ。しかし、今の服装は生江のだっぼだぼの服装なので決まらないにも程があるのだが。

スティーブンと見つめあうこと数十秒。
スティーブンの背後にあって扉が、ガチャリと音を立てて開いた。

「おや、スティーブンさん。どうか――貴方は」
「(やばーーーーーい)」

やばい。なんて言ったってやばい。だってギルベルトは生江に恋人がいないことを知っている。私がため息交じりに「愛し愛される人がほしい」とか言ってたことを知っている。そのたびに冷たい目線をもらい「生江様の妻になる方はお可哀想ですね」とか言われてたぐらいなのだ。っていうかギルベルト酷くね? そこまで言うことなくね? ギルベルトがいうことは間違いないので、何も言い返せなかったが。
ってことでやばい。何がどうってやばい。
なので、先手必勝。

「ギルベルトさん、で合っていますか?」
「ええ。如何にもそうでございますが……なぜ生江様の服を着ていらっしゃるのでしょうか」
「実はヘルサレムズ・ロットにお忍びでやってきたのですけれど、雨に降られてしまって。生江に借りたのです」
「そうでござますか」

当たり前だが、信じていない。
さすがにギルベルトとは長い付き合いだ。平然としているギルベルトが私の発言のなに一つも信じていないことぐらいわかる。
ゆっくりと、だが明らかに警戒しつつ近寄ってきたギルベルト。
まずい。このままだと拘束されかねない。そうすればスティーブンに対して行った対策も泡に帰す。どうすればいい、どうすれば――!
ここで、背に当たる小さな固い物体を思い出した。ソファの隙間に押し込んで、そのままだった物。咄嗟にそれを引っ張り出した。
表情は変えず、ギルベルトだけに見えるように、チラリと体の脇から瓶を示した。
それをギルベルトが発見した瞬間、一瞬だけギルベルトの歩が鈍った。それに、やはり見覚えがあるかと察した。原因はこの瓶なのだ。そしてギルベルトは常日頃からライブラの整理整頓をしてくれている。つまり不可解なものがあれば一番その物体について知っているということだ。
お願いだから、どうにか私が生江であると察してくれ――!

「しかし、生江様もこのような美しい女性をそのままとは、いけませんね」
「いいえ。彼は私に必要な物を買いに行ってくれたの。あまりあの人を悪く言わないであげてください」
「ほっほっほ。そうでございますか。しかし、いつまでもその恰好では都合が悪いでしょう。こちらへどうぞ。代えの服を用意しましょう」
「それは有り難いわ」

因みに、女性用の代えの服などない。
よかった。どうやらギルベルトは察してくれたようだ。にこやかな表情を作りながら、私という人物を敵対していない人物として扱ってくれている。これならばスティーブンの疑惑もぬぐえることだろう。
証拠に、スティーブンはどこか暗い顔をしながらも、私たちのことを黙って見守っている。先ほどの凄まじい相貌はそこにはない。
私は瓶をさっと服の裾に隠しながら、ギルベルトに誘導され部屋の奥へと案内される。
ああ、とりあえずよかった!!!




「どういうことですか」
「それが」
「いえ、きっと詳しく調べもせずに飲んでしまったのでしょう」

その通りです。
まるで飼い犬が散歩中にゴミを漁ってしまったのを呆れる様に、ギルベルトは深い溜息を吐いた。
……ごめんなさい。
私が項垂れている中、ギルベルトは頭を振って、これからどうするかを考えましょう。と提案した。
それもそうだ。落ち込んでいる暇などない。私は気を張ってから、スティーブンとの経緯を話そうと口火を切った。

「スティーブンには私は“ミナ”という恋人ということに」
「貴方はなんということをしてくれたのですか」

な、なんで!? まだ私そもそもの序盤しか話してないんだけど!?
ギルベルトの突然の、しかも厳しすぎるダメ出しに動揺する。あの状況でむしろこれ以外の説明は無理だと思うんです。
私は必死に説明をして、ギルベルトは顔を顰めながらもとりあえずは私の判断を受け入れてくれた。説明し終わるまでまるで先生に叱られる生徒の気分だった。どうしてこんなことに……私がちゃんと確認せずに瓶の液体を飲んだからか。

「……それならば、仕方ないかもしれませんね」
「だろう?」
「そうですね、正直に瓶の液体を飲んだせいだと言うよりは……いえ、どっちもどっちでしょうか」

どうすればよかったんだ私は。
というかもしかして。

「スティーブンは瓶の液体の正体を知っていたのか?」
「ええ。ザップさんがお持ちになって、レオナルドさんに勧めておりました」
「ザップ……」

もしかしなくても碌なもんじゃなかったのか。
肩を落としながら、少し動揺している風なギルベルトを見る。余程のことがない限り冷静さを失わないギルベルトも今回のことは少々驚いているらしい。僅かに早口になっているし、口調が少し乱れている。
珍しい姿を見ながらも、更に珍しい姿になった自分の体について訪ねる。

「それで、薬はどんな効果が表れるものだったのだ?」

もしかして前世が表れるものとかだろうか。それだとギルベルトに前世が女性って知られたことになるな。少し恥ずかしいような。もしかするとだからこんなのなのかと納得されただろうか。
答えを待っていると、当然ではあるがギルベルトと目が合う。

「生江様が一番理解していらっしゃるのでは?」
「それは……」

やっぱり前世の姿になるってことだったのか。
そう納得しかけた時に、ギルベルトが正解を告げた。

「愛している相手になる薬だそうです」

ほう、私はナルシストだったか。

……。

「な、どういうことだ!?」
「ザップさんがそう申しておりました。意中の相手になる薬であると」

ギルベルトからの視線が痛い。や、やめてくれ。私はナルシストじゃない。ナルシストじゃないんだ!
混乱する頭をどうにか働かせる。オーバーヒートしてしまいそうだが、今はそんなことをしている暇はない。
ギルベルトの言葉を整理しよう、愛する相手になる薬。その効果が表れるなら、私がなるのはきっとクラウスだ。だって愛してるもの。可愛い可愛い弟だ。彼の為にライブラのリーダーをしているという節も多分にあるのだ。幼い彼にこんな役目はさせられないし、可愛い弟を守ってやりたい。この世界の中で一番愛しているのは誰かと聞かれれば、私はクラウスと答えるだろう。
だから、愛する相手になる。というのは間違いだ。そして、次はどうして“私”の姿になったかという問題だ。意中の相手になる、ということを考え、そして自分の姿を考える。
意中――つまり、意識の中にある人物。私は今は生江であるが、しかし意識は“私”のままだ。
そう、つまりはこうだ。この薬は意中の相手――つまり、一般的に自分とは姿かたちが違う、例えば愛おしい相手に姿を変える薬ではある。だが、私の場合は愛おしい相手ではなく、自分であるが自分でない前世の姿を色濃く記憶しており、愛しさではなく回帰願望のような形でその姿になってしまったのではないか。
そうだ、これだ。そういうことだ。そういうことにしておこう。

ギルベルトの肩を掴み、力強く説得する。
ギルベルトより背が低くて肩を掴むのも勝手が違く一苦労だ。

「この女性は私の意中の相手ではない」
「いつこのような女性と会われたのですか? どうやらアジア系のようですね。生江様はこのような方がお好みでしたか」

あああああああギルベルトおおおお勘弁してえええええ!
ギルベルトは思案気な顔をして、私を見た。

「しかし、その女性は大丈夫ですか? 何か被害にあってなどはいないのですか?」

何か被害って何の被害ですか。
今回の私の姿が変わったことなら“私”しか被害者はいないので大丈夫ですが。
というか。

「この女性はもう存在していない。被害などは応じて存在しない」
「……それは」

察してくれただろうか。これは私の前世の姿なのだ。だからもうこれ以上突っ込むのは勘弁してくれ。
そんな私の思いが通じたのか、ギルベルトは口を噤んだ後に、わかりました。と言った。

「一つだけ聞いてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「生江様は、その女性を愛しておりましたか」

いやだから、傷口にこれ以上塩を塗るのは本当に勘弁してくれ。
しかし、ギルベルトの表情があまりにも真剣だったので、そんな言葉は出てこなかった。もしかすると、ギルベルトなりに前世の姿となった私の心情を想ってくれているのかもしれない。それならば、こちらも真面目に答えなければ、か。
少し真剣に考えて、答えを出す。

「……そうだな、嫌いではなかった。楽しい、穏やかな日々だった」

自分を嫌ってはいなかった。確かに日々の中で失敗などをすれば、どうしてもっとうまく出来ないものかと悩んだりしたが、それは平凡な悩みだ。平凡なりに生きて、笑って、泣いて、悩んで、楽しんでいた。その生活と比べてみると、今の生活は物凄くエキサイティングだ。
……考えていたら平凡な日々が恋しくなっていた。ああ、できるならば――

「あの日々に、戻りたいとも……少しだけ思う」

少し、少しだ。今の私もやるべきことは山積みだし、それを放棄してはいけないのだということは知っている。だからこそ、少しだけ――いややっぱり物凄くあの生活に戻りたい。
懐かしく、遠くを見つめていれば、ギルベルトに手を取られた。
何かと思うと、眉を寄せたギルベルトがこちらを見ていた。あ、やば、何職務放棄しようとしているのですかって怒られる。

「……まずは着替えましょう。戻る方法は私の方で探させていただきます」
「あ、ああ。そうしてくれ」

予想外に叱られることもなく、ギルベルトにそのまま手を引かれる。
怖いな。後で説教が待ってるとかじゃないよな。
ビクビクしながらも後をついていけば、ギルベルトが振り返らずに謝罪した。

「私的なことをお聞きし、申し訳ありませんでした」
「いや……ギルベルトになら、私はいい」

また予想外だ。ギルベルトの行うことで私が被害を被ることはない。ギルベルトは執事として最高の人間で、そして人としても良い人間だ。そんなギルベルトが私に謝ることなどないし、あるはずがない。叱られることや注意を受けることはあっても、ギルベルトが行動して悪かったことなどないのだから。
先程の質問だって確かに傷に塩を塗る行為だったが、ギルベルトが口にしたのだから無駄なことではないのだろう。信頼しているからこそ、ギルベルトにだったら何をされても問われてもいい。そうするぐらいの絆があるのだから。恥ずかしいから言わないけどね!!

椅子に座らされて、ギルベルトを見上げる。ギルベルトは何処か疲れたような表情をしていた。

「……貴方というお方は、本当に」
「どうした、ギルベルト」
「……いえ、なんでもございません」

ギルベルトは咳をして表情を元に戻した。
よかった。よくわからんけど怒られないみたいだ。
安堵していると、ギルベルトが「女性物の服はございませんので、即席で作らせていただきます」と告げた。確かにこの事務所に女性用の服はない。どうするのかと思っていたら、ギルベルトが作るのか。
今回を教訓にして何着か置いておくか……そんなことを考えつつ、テキパキと裁縫の準備を始めたギルベルトを眺めていた。


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