▼ 貴方の命日
「ちょっとこれ飲んでみろよ」
「なんすかこのあからさまに怪しい液体は! 飲むわけないでしょ!」
「いいから飲んでみろよ〜、意識してる相手になれる魔法の薬だぜ? 意中にの相手になれれば好き放題弄り放題……」
「最低過ぎて何も言えねぇっすわ」
「おい君ら、暇なら手伝ってくれないかなぁ。この書類をマザーテレサのところに届けてほしいんだ。彼女なら君らみたいに上司が仕事をしてるのに暇そうにしてるのだって許してくれるだろうからね」
「「すいませんっしたぁ!!」」
「仲が良さそうで何よりです」
「あ゛ーーースポンサーとの会合は本当に疲れるな……」
一人ライブラへの扉を開けて、いつもの部屋を見て詰めていた息を吐く。
帰りに雨に降られてコートが濡れてしまった。二重に疲れた。
今日は珍しく一人でスポンサーとの食事会だった。何兆円も稼ぐ大企業の会長との酒を交し、秘密を洩らさない程度にライブラの説明をして、相手に出資を促す。相手もやり手なので揺さぶりをかけてきたり、情報を引き出そうとしてきたりして、精神が擦り切れるとはこのことだ。
スティーブンは来週に控えた組織潰しの為にダニエル・ロウ警部補との打ち合わせであったし、ギルベルトは今週末に訪れるとある国の副首相との食事会のセッティングの為に出かけている。あの副首相はよくライブラと食事会をしたがる。有難いが、忙しいから断ることが多くなってしまうのだが、今回はちょうど予定が合い、久しぶりに会うことになったのだ。急遽決まったせいかギルベルトは苦々しい顔してたけど。
スティーブンは親切に、ギルベルトは心配してスポンサーとの会食へ一緒に行くと言ってくれたが、さすがにやることがある二人を態々スポンサーとの会食になどつきあわせられない。ギルベルトはすごい不安そうな顔をしていたが。だがこれでも貴族の一員だ。会食の後に相手から当初の倍の金額の出資を約束してくれたし、しかし連絡先を渡されても困るんだよな。ギルベルトに渡しておこう。
「風呂に入って寝させてもらおう」
一人きりなので独り言を存分に吐き出しつつコートを脱いでソファにかける。
本当ならばそのまま奥に引っ込んだほうがいいのだが、誘惑に逆らえきれずそのままソファに腰を下ろした。ああ、やっぱり我が家が一番である。我が家ではないのだが。
欠伸をかみ殺して、机の上にあった瓶を見つけた。ラベルのはっていない小さな瓶で、よく見る栄養ドリンクが入っていそうな見た目だ。何かと手に取ってみて、蓋を回してみると未開封だったらしく軽い音がした後に蓋が開いてしまった。慌てるが時すでに遅し。手元には蓋の空いた瓶があった。
……どうしようか。そのまま奥へ引っ込む予定だったので照明をつけていないので、どんな色合いかは良くわからない。すん、と匂いを嗅いでみて、甘い匂いと炭酸系の刺激を感じた。
……炭酸か、流石に朝まで置いておいたらただの甘い液体になるな……。
「仕方がない、飲むか」
置いていった人には悪いが、ダメにするのも申し訳ない。
丁度外から戻って喉も乾いていたので、瓶を口元へ傾ける。
量も少なかったので一口で中身の液体が口内へ全て入った。砂糖のように甘くて、そしてパチパチと炭酸が弾ける。少し癖のある苦味が味覚を刺激したが、総合的に不味くない飲み物だった。
飲み終わり、瓶を机に置こうとしたところで急激な眠気に襲われる。そんなに疲れていたかと目を擦ろうとして、その腕も十分に持ち上がらないことに気付いた。何故だろうと思い――思考さえもままならなくなった。
「ね、むぃ……」
吐息のように洩らした言葉が、どこか懐かしい音を立てていた。
「……うぅん」
体が怠い、目を焼く光に瞼を開けて、ぼやける視界で景色を眺める。
どうやらソファでそのまま寝入ってしまったらしい、焼き付く光に朝まで寝てしまっていたと悟って頭を抱えそうになった。
今日も今日とて仕事があるのに、こんなんじゃあいざと言う時に動けないじゃないか。
目を擦ろうと腕を上げると、どうにも重い。体が動かし辛く、全身に包帯でも巻いているようだ。戦闘も怪我もしていなかったはずなのだが。どうにか目を擦って自分の体を見てみると、目に映ったものを疑った。
「……これは」
手だ。手がある。位置や感覚から己の腕であることは確かなのだが、どうにも細い。
というか、あの筋骨隆々の腕ではない。しかも、服装は私のものではあるものの、腕が細くなったせいで大きいにも程があるほど大きくなっている。こぶしを作ってみたり、手のひらを見つめてみたりして、わかった。
懐かしい体だった。私がまだ普通の女でライブラのリーダーもやっていなくて牙狩りでもなくてラインヘルツ家にも生まれていなかった頃の姿形。
「うっわぁ……!」
どうしよう――どうやって言い訳しよう……!!
やってしまった! よくわからないけどやってしまった!! これはやばい!!
全身から冷汗がどっと噴出する。動悸が激しくなって眩暈がした。理由はわからない。だが、自分が生江の姿でなくなったことはよく分かる。そしてある意味でなじみ深い姿になったことも。
だが、これは緊急事態だ。もう取り返しがつかないぐらい。これでは戦えないし、血界の眷属に襲われても対抗できない。それに、なにより――
「みんなにどうやって説明しよう……!!」
実はライブラのリーダーは平凡な日本人女性でしたー! とか言えねええええ!!
しかもこれ前世なんだ。どうしてか分からないけど前世の姿になっちゃったんだ、戦えないし、いつ元に戻るかわからないけどごめんね☆ とか言えない!!
どうする!? 一般女性になりきって(本来の姿だが)皆を説得するか? しかしいきなりライブラに現れたとか言い出したら病院送りだし下手したら敵対組織の人間だと思われてスティーブン辺りに拷問されるんじゃないか!?
ああっダメだ! 最悪の未来しか思い浮かばない!! っていうかそもそも服装がダメだし! なんだこれ彼シャツならぬ彼服かよ! 生江の服がそのままだからだっぼだぼもいいところだ!
こんがらがる頭を抱えながら呻いていれば、手に持っていたらしき瓶を発見した。混乱しすぎて手に持っていたのに気付かなかったが、確か昨日の晩に飲んだ瓶だったはず――って、原因これか。
「あああああヘルサレムズ・ロットおおおおお!!!」
なんでもありとはこのことかああああああ!
有り得ないなんてことは有り得ない。ここでは常識だ。だからただの栄養ドリンクのようななにかだと思ったものが前世の姿になるような液体だったとしても全く持って不思議ではない。だが、だからといって安心できる本拠地である場所での飲み物にさえ気を遣うなんて――っていうかいつもはギルベルトが入れた紅茶しか飲んでなかった。ギルベルトが言ってた私以外が入れた飲み物以外飲まないでくださいってこういうことだったのか……!
「ほんとにどうしよう……」
こんな一般人の体で、服も生江のダボついたものしかない。
いや、いつまでもうじうじしていられない。ここは事務所だ。いつ誰がやってきても可笑しくはない。格好だけでも――それからどうにか納得してもらえる言い訳を……
ガチャ
「……」
「……」
耳を疑う、目を疑うとはこの事か。
なんだ、フラグだったとでも言うのか。フラグをたてた私が悪いのか。
ライブラの扉を開けたのは顔に古傷をはしらせる男、そして私の相棒であるスティーブン。
どちらも何も言わずにただ見つめ合う。スティーブンの目はただただ私を映していて、何を思っているのかわからない。もしかすると処理できていないのかもしれない。ああ、それは私か。
だが、言わなくてはならない。やってきたのがレオナルドやザップだったら違ったのかもしれない。だが、ここに来たのがライブラの、世界の為ならと、誰よりも私を支えてくれ、だからこそ敵へ容赦のないスティーブンだったからこそ、私は言わなくてはならなかった。
手に持っていた瓶をソファの隙間へとそっと隠し、そして言った。
「こんにちは。……Mr生江の恋人のミナです。お邪魔しております」
因みに、ミナは即席である。
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