ヴィンセントと呼ばれた男は、そこが夢なのか現実なのか分からなかった。
蝶が舞い、そうして視界を埋め尽くし、すべてが平坦であり、すべてが醜く腐っており、そうして人と呼ばれる何かが闊歩する。
そんな現実味が欠如した世界が、本来の自分の居場所なのだと彼には考えられなかった。
考える方が可笑しいとさえ思っていた。
そうして、彼は今もそこが夢なのか現実なのか分からない。
瞼を瞑った感覚を、辛うじて覚えていた。
しかし、そこが夢の世界なのか、それとも現実なのか分からない。
殺風景な腐りかけた木材で作られた密閉された部屋に、人一人が座れるだけの机と、くすんだ布が被せられたソファ。
何もかもが変わり映えしないように見えて、跡形もなく違う。
薄ぼんやりと、儚げながら確かな光源をもって、蝶がふわりと浮いた。
その蝶がヴィンセントの虚ろな視界を一瞬だけ隠し、そうしてふわりと消えた。
そうして、その蝶から生み出されたようにその女はそこにいた。
「――あれ……貴方、誰?」
警戒心も不安感も、負の感情をどこかに置き忘れてきたかのように自然体で小首を傾げる。
好奇心とも無関心ともつかない微妙な女の視線が、ヴィンセントをくまなく見つめ、そうして今度は逆方向へ首を傾げた。
女の服装は、質素だった。
ヴィンセントの黒スーツとは違い、薄い生地が白いままでそこに疎らに模様が散りばめられている。ありたいていに言えばただの寝間着だった。
見た目は10代後半か、20代前半。幼い顔立ちをしている。童顔だ。
黒い髪色と黒い虹彩。ヴィンセントと同じと言っては同じだが、彼よりもしっかりとした色合いだった。
髪は肩ほど、ストレートだ。
女の目は何も発さず、ただ眺めているだけのヴィンセントの顔付近を丹念に観察していた。
男にしてはかなり長い髪、手入れをしていないような好き勝手に伸びたそれと、同じく手入れをしていないような髭に視線を這わせていた。
「やっぱり、知らない人」
そうしてニコリと笑った。
安心したような、納得したような、決して見ず知らずの他人に向けるようなものではなかった。
それに、男はようやく疑問に思った。
「お前は、どうして言葉を発する」
「生きてるからよ」
突然意味があるかも分からない問いを投げかけてきた男に、女は即座に返す。
まるで、そう問いかけられることが分かっていたような――それか、思いついたことをパッと発しただけのように思われるほどの早さだ。
女は、目を細めヴィンセントを見ている。
頬は、また引き締められており、弧を描いていている。
笑っている。
「お前は、蝶が見せる幻想だろう」
「だったら、貴方は私の夢が見せる架空の人物だね」
架空の人物に、幻想って言われちゃった。
はは、と愉快そうに笑う。
「どうして笑う」
「貴方と会えて嬉しいからよ」
からから、と屈託もなく、本当に嬉しそうに笑う女にヴィンセントは蝶が羽を羽ばたかせるようだと感じた。
パタパタと、蝶が生きるためにただしている運動を、女は生きるための糧としてしている。
蝶が生んだ幻が、ヴィンセントに話しかけてくる。
「貴方は?」
問いかけに、答える必要は男にはなかった。
ただ、見つめる瞳が真っ黒で、そこに己の姿が映し出されているようだった。
口を開く。
肺から空気を吐き出す感覚がないままに、何かを
「――」
女は、起きる時間だ、と呑気に言った。
どこが現で何が夢か分からない男は、ただ扉を探すための時間が始まったのだと感じた。
現と夢の狭間で