- ナノ -

3


「ッ!? っ、な、っ!?」

目覚めは快調、体の動きもおかしくはない。
それだというのに声が正常に出ないほどに動揺しているのは、自分の体自身が有り得ないほど豹変しているからだ。
いや−−ある意味では非常に懐かしく、そしてどんなに望んでも戻れなかった体。
それが今自分の目の前にある。スティーブンとして過ごしている家のベッドの上で。
身体が一気に冷えていくのが理解でき、縮まった肩を抱いてから腕を執拗に擦る。それで温度が確保できるわけではない。ないが、そうでもしていないと頭まで真っ白になってしまいそうだ。
どうしてこんなことに? 変なものでも食べただろうか、飲んだだろうか。ここはヘルサレムズ・ロット。理解不能なことが日常的に起こる場所だ。こんなことも発生してしまうのかもしれない。
自分でも忘れていた前世の姿がこうして現れることぐらい、有り得てしまうのかもしれない。

「(それでも、こんなこと……!)」

どうすればいい。まず身の安全は家にいる限りは守られている。セキュリティも高く、安全地帯にこのアパートは設置されている。もしも何か起こっても自分の攻撃力の高さからいって――いや、この身体では一般的な女性の力しかない。それに前世では私は小柄だったからそこらの少年にも喧嘩で負けるかもしれない。相手が異界の者だったら考えるまでもない。
この姿からもとに戻るのか? いつ? こんな体ではライブラの活動も出来ないし、そもそも知能や知識に差はないのだろうか。言ってはなんだがスティーブンである身体は呑み込みが早く頭の回転も良かった。だからこそ前世の姿でいつもと同じような書類整理が出来るか? 戦えないとなれば使えるのはこの頭だけ、それさえも使い物にならなくなったら、俺の存在価値はなんだというのか。何も出来なくなってしまったら、ライブラの中では屑にも劣る。戦闘力も頭脳も無い。そんな副官、必要ないに決まっている。

「違うっ、そんなこと考えてる暇なんてない!」

苛立ちと動揺を布団を壁に叩き付けることで掻き消し、そのまま扉へ向かって駆け寄る。
いつもより高い位置にあるドアノブを捻って、リビングへ向かって声を張り上げた。

「ヴェデッド!! 150センチ台の服を買ってきてくれないか!」
「……旦那様?」
「ああ、ちょっと面倒事に巻き込まれたみたいでね」

異界人のタコのような触手をもつヴェデッドは昔から家政婦を受け持ってもらっていて、仕事内容は言ってはいないがとても信頼している。そんな彼女は突然主人の部屋から出てきた少女を疑問符を付けながらでも主人と判断したらしく、その反応を都合よく使いながら(と言っても真実なのだが)いつも通りに返答して見せる。
正直言ってこの姿でいつも通りの言葉遣いや反応を返すのは空々しくて仕方がないが、それがスティーブンという男なのだ。仕方がない。
ヴェデッドは驚いた様に少し沈黙した後に、分かりました。食事はリビングに用意できてますよ。とだけ言って早速カバンを持って外出していった。
その対応の速さを有難く思いつつ、当然しなくてはならない事柄に胃が痛む。

――報告である。
こんな事態になったのだ。普通に出勤などできまい。突然ライブラ本部に謎の女性がやってくるのだ。しかも見るからに一般人の。そんなことになったら説明が面倒に決まっている。
そもそも、ライブラ本部に足を運べるかどうかの問題にもなる。週一で世界滅亡の危機が起こるこのヘルサレムズ・ロットだ。こんな力も無く防衛手段も無い一般人の身体で繰り出して、生きて本部へたどり着ける保証があるだろうか。防衛手段ぐらい持っていないと、いざという時に身を守れない。
安全にライブラへ行くというのなら、ギルベルトさんによる車での迎えが最も安全だ。事情を話せばクラウスもギルベルトさんも進んでやってきてくれるだろう。

だが、これである。
“あの”スティーブンが“こんな”姿なのだ。
なんて言われるか、なんて思われるか。

だぶだぶの寝間着を引き摺りながら、ベッドへ戻る。
スマホはいつでも直ぐに手に伸ばせる距離にあるために、現在はベッドの端に鎮座している。
充電はばっちり。クラウスの連絡先も入っている。なんならライブラの人間すべての。

「……」

そのただの四角い機械が、今の私には凶器にしか見えない。
これで一本連絡を取ってしまえば、私の今の現状が明らかになってしまう。
嫌だなんだと言っている暇などないことは知っている。重々承知だ。
なのに、スマホに手が伸ばせない。短く細くなって手が、微動だにしない。

――プルルルルルル!

「うわっ、もしもしスティーブンだが――」

口に出した言葉に愕然とする。
滑り落ちそうになりスマホをどうにか込めた握力で耳元に固定させた。

――鳴り響いた着信音に、反射的に手に取ってしまっていた。
ああ、連絡がまめな自分が恨めしい。そうして想像通り、困惑した声色が電話越しに聞こえてきた。

『私はクラウスという者だが――すまない、スティーブン・A・スターフェイズに連絡を取ったつもりだったのが』
「……ああ、そうだろうね」

深い深いため息を喉もとで呑み込んでクラウスに同意する。
そうだろう、スティーブンというライブラで共に働いていて、男の優男である人間に君は電話をかけたつもりだったろう。何かまた事件が起きたのか、それとも報告か。今はその二つのどちらよりも、俺の現状を伝えなければならないのだろうね。

「……どうしたことか、朝起きたら見覚えのない女性になっていたよ」

嘘をつくのは心苦しいが、今更だ。
クラウスに告げられないことは多分にしている。それに伴った嘘も付いているし、真実と異なることを言っていなくともそもそも事実を口に出していないことだって多い。
今回のことなど、些細なことだ。見覚えがあるかないか。しかもその見覚えというのが前世の自分なのだから、前世を覚えていなければ普通は分からないのが道理だ。

そんなことをつらつら考えつつ、返答を待つ。
そう言えば、クラウスが信じないなんてことを考えていなかったな。何か説明を付け足すべきか。

『……分かった。直ぐにそちらに車を配備させる』
「ああ、すまない。頼んだ」

すんなりと信じ、車の配備まで約束してくれたクラウスに変わりないなと再認識しつつ、礼を述べた。
目覚めたばかりなのに疲れ切った声色を自覚しつつ、ヴェデッドが衣服を購入して帰ってくるのが先か、それとも車が到着するのが先か考えて、ヴェデッドがやってくるまで待機してもらおうと結論付けた。
スマホを耳から遠ざけて電話を切ろうとすると、クラウスが何か言葉を発したのが聞こえ、再び耳に電話を傾けた。

「どうしたんだい」
『その、テレビは見ただろうか』
「いや、まだだけど」
『そう、か』
「また堕落王フェムトが何かやったのかい?」

耳にクラウスの声を聞きながらリビングへ出て、リモコンのボタンを押してテレビの電源を付ける。
すると直ぐに緊急ニュースが流れ、予想が当たっていたことを知る。
男性アナウンサーが起こった事件の概要を話しており、画面に現状の街の様子が映っている。
そこにはいつもと変わらないような光景が流されているように思えた。

――いきなり姿が変わっちゃって、でもこれはこれでいいかなって
――自身の本当の姿になるということですが
――今回ばかりは堕落王に感謝かなぁ

そんな、人間の美女は言葉ばかりはどこかオカマっぽく、動きは何故か重心の可笑しい異界人のようなチグハグとしたインタビューを受けている美女は、自分は異界人の男だったとマイクに向かって告げていた。

手の平からスマホが落ちて、床に叩き付けられる。
スマホ越しからクラウスの焦った声が聞こえるが、それに返答する気力は削げ落ちていた。

頭がクラクラとして体の自由がきかない。
テレビ画面では、堕落王フェムトが流したであろう映像が再生されている。
そこで説明される事柄が、今の事態が己にとって恐ろしく冗談では済まされない出来事であると主張していた。

――本当の自分の姿はどうだい?


最悪だとも!!
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