- ナノ -

For it was not into my ear you whispered, but into my heart. It was not my lips you kissed, but my soul.


ライブラでは年に何度か宴会が催される。それは日夜HLで世界の危機に立ち向かっていくライブラの組員たちを称賛し、そしてその尽力を慰めるために行われるものだ。しかし、毎回であるがその宴会はほぼほぼ狂乱となる。
無礼講とはライブラ開催の宴会の事だろう。癖の強い人員が揃っていることや酒が無尽蔵にあること、日々溜まっている鬱憤も多いのだろう羽目を外す時はとことん外す者たちのお蔭で今回の宴会も楽しげである。

度数の弱いカクテルを一口含んで飲み下す。
昔は酒にはとことん弱かったな。なんて懐かしい思い出に浸りながら目の前の光景を見る。
HLには様々な所にライブラの組員が潜んでいる。こうして集まればその規模が分かる。設立当初と比べると随分と人員が増えたものだ。これらの人々が世界の平和の為に日夜尽力していると思うと胸が震えるものだ。と言っても、俺としてはクラウスと活動した月日が感じられて胸が震えるのだが。

そんな我がライブラのリーダーはK・Kに絡まれている。騒がしいので聞き耳を立てられないが、クラウスが困惑しつつ顔を赤くしているのを見ると、もしかしたら俺たちの仲の話をしているのかもしれない。今日も今日とてクラウスは可愛いな。いいぞK・Kもっとやれ。普通の女性がクラウスに絡むとなると、心穏やかではいかなくなるが、K・Kなら別になんともない。家族があるという安心感か、それともK・Kだからか。まぁそこはいい。

クラウスと思いが通じ合ってから時間が過ぎた。
今ではクラウスが恋人であるのが当たり前に思えてくるほどだ。当たり前のように独占欲が吹きだすし、当たり前のように彼に触れたくなる。クラウスが求める速度での進展しか望んでいないが、必要以上に欲してしまう。別に二人きりになったからといって距離を詰める必要はないし、誰も見ていないからといってキスをする必要もない。なのに思わず目が行く。
嬉しいことにクラウスもそれを求めてくれるタイミングがほぼ一緒だからなんとか罪悪感も低めで収まっているが、いつか暴走でもしないものかと戦々恐々としている。っていうかタイミング一緒ってなんだよラブラブかよ、くそ、幸せだ……。

幸せを噛み締めていれば、後ろから衝撃が。誰かが体勢でも崩したかと振り向いてみれば、そこには銀色の髪があった。

「おいザップ。酔うのもいいがもっと周囲を見ろ」
「スティーブンさんじゃないっすかァ。って、なんすかそれ、くそよわっちい酒じゃないっすか。もっと飲みましょうよォ」
「こっちは終わった後の片付けもあるんだ。そんなに飲めるわけないだろ」

この狂乱を片付けるのは主催者側だ。今回はいつものライブラ事務所での宴会であるし、酔って前後不覚になるわけにはいかない。無礼講なのだからとも思う所はあるが、クラウスが酔っていないのに飲んだくれになる気はない。
さっさと他と絡んで来いと送り出そうとすると、ザップはいい感じに枷が外れているのか、いつもなら絡むのをやめるのに、腕を掴んでまで絡んできた。

「そー言わんでくださいよぉー」
「酒臭いぞお前」
「そりゃあ飲んでるんだから酒の匂いするに決まってるじゃないっすかァ」

けらけらと楽しそうに笑うザップに、呆れ半分仕方なさ半分だ。なんだかんだ言って屑と言われているザップだが、仕事面ではその天才肌の部分も相まって頼りにさせてもらっている。こういう時ぐらい構ってもいいのかもしれない。
そんな親心か上司心か分からないものを発揮させつつ、逃げから聞きに姿勢を変更する。するとそれを察知したのか楽しそうに笑ったザップはビンから直接酒を煽った。下品だな。

「そういや、前から聞きたかったんすけど」
「なんだ? どうせろくなことじゃなさそうだが」
「スティーブンさん酷くないっすか? あれっスよ、前にアンタが変わった女の事っすよ」

ガシャン。と狂乱の中でガラスコップが割れた音が響いた。しかしこの騒音の中なのであまり目立たない。
近場でなったそれにザップと共に目線を向けてみれば、レオがオレンジジュースの入ったコップを床に落として割っていた。わたわたと対処に困っているレオの元へ、ギルベルトさんが颯爽と駆けつけほうきと塵取りで破片を回収し、そのまま去っていった。素早過ぎる。
手持無沙汰になった瞬間給付係がやってきて、またオレンジジュースを手渡すのだから行き届いている。

「……少年も聞くか?」
「ぼッ、僕は何も聞いてませ――って、え?」
「興味ないならいいが」
「いえっ! で、でも、いいんですか?」

コップを落とすタイミングが丁度良過ぎた。どうせ聞いてしまっていたんだろう。それなら後々聞かれたり、ずっと疑問に思われてるより、今同時に解決してしまった方が簡単だ。そんな気持ちでどうかと聞けば、戸惑い気味に返ってきた返事になら話すかとレオが座っていたソファへと移動する。
レオの隣へ座らせてもらい、カクテルをあおる。レモンベースのそれは、弱いくせに昔は好んでいた。
ザップはソファには座らずに近寄ってきて、普通に喋るなら二人にしか聞こえないぐらいの距離だ。
顎を触って、さて何から話そうかと思案する。思案して、しかし特に考える必要もなかったと思い直した。ただ真実を告げればいいだけだ。

「“妙寺生江”は俺の前世だ。以上」
「……は?」
「……え?」
「だから、あの姿は俺の前世の姿だ。フツーの一般人。HLが出現しない世界で穏やかに暮らしてた」
「ぜ、前世って、マジっすか」

理解不能。という顔で、レオがどうにか確認を取ってくるがそれに頷くだけで返す。
別に信じさせようとかは思っていない。突拍子もない話だ。頭が可笑しいなどと口にすれば凍らせるが、世迷言を言っていると感じられてもそれはそれでいい。どうせ酒の席であるし、素面の時に誤魔化してやればいい。
さて、どんな反応が返ってくるかと楽しみにさえしていれば、ザップが珍しく真剣な顔で口を開いた。

「つまり――スティーブンさんは女ってわけっすか」
「「ぶっふぁ」」

ちょ、レモンが。レモンが鼻に。鼻に来たから。
レオはオレンジジュースにやれれたのか、口元を抑えて噎せている。
鼻をすすって事態を収束させてから(レオは未だ苦しそうだ)、ザップに確認する。

「僕は、女に見えるか?」
「みえねぇっすね」

首を傾げながら返したザップに、思考能力が低下するほどに酔っているのだなと納得した。
軽く笑って、ザップから酒の入ったビンを奪い取る。ザップが、ああー! とか言っているが、これ以上酔っぱらわれて椅子や机を壊されては堪ったものではない。しかしほぼ飲み終わっている中身を確かめて、空にして給仕に渡そうと、自分のカクテルを全て飲んで、そこへ酒を入れる。

「で、でも、どうしてあの時は前世の姿に?」

口元を拭きながらレオがそう尋ねてくる。
つまり、前世と言っても所詮は前世“本当の自分の姿になる”と言う状況下で前世の姿になる理由がない。今は今ときちんと区切られていれば、そうはならなかっただろう。
それを言われてしまうと、己の心が弱かっただけということだ。
コップに入れた酒を一口含んでみて、ザップが馬鹿みたいに度数の高い酒を飲んでいたのだと気づいた。ビンの度数を見とけば良かったな。喉が焼ける。

「――無念の内に死んだのさ。戻りたいと思ってしまうほど無念にね」

もう、腹部に痛みを感じることはない。あれは過去の出来事で、今同じような状況になっても相手側を殺せる自信がある。だが、過去というようにそれは既に発生してしまった事柄であって、変えることは出来ない。
それでも、納得できないと戻りたいと思ってしまうような終わり方だった。
レオが顔を強張らせ、ザップが静かに口を閉ざしている。おや、折角の宴会なのに気分を下げてしまっただろうか。しかしザップ、お前から聞いておいてその反応はどうなんだ。
遠い昔のことだ。戻れない過去のことだ。懐かしい思い出だ。
そう、認められていなかったのかもしれない。だから、あの姿になってしまったのかもしれない。クラウスの隣に居られればそれでいいと思っていたし、それは真実だ。その為に生きているし、人生を消費している。だからそればかりに依存して、過去を自分で消化しようとしていなかった。だからこその、アレだったのだろう。

「もう、戻りたいとは思わないんですか?」

レオが神妙な顔をして聞いてくる。それに驚いた。そこまで聞いてしまうとは、流石というかなんというか。
少年のコップを握る手の力を見て、色々と考え込んでいるのだと分かる。分かるが、ここで俺が戻りたいなんて言ったらどうするつもりなのだろうか。それに協力でもしてくれるのか、それとも無理だと説得でもする気なのか。
おちょくってみるのも面白そうだが、彼なりに真剣に問うてくれているのだし、本音で返すのが礼儀か。
らしくないことを考えつつ、答えを言う。

「思わないよ。私はスティーブン・A・スターフェイズだからね」

あ、やべ。一人称ミスった。
レオは驚いた様に目を開く。美しい神々の義眼が青い光を発しながら現れて、少し慌てた。
別に何がどうというわけではない。わけではないが、それに自分の姿を見透かされてしまいそうだと感じたのだ。その眼に映るのはスティーブンか、それとも生江か。
何となしに誤魔化す為、酒をあおって、それから冗談めいた口調で言う。

「まぁでも、戻るんだったらあの犯人をぶち殺してやりたいね。僕だったら産まれてきたのも後悔するぐらいやってやれるからね」
「スティーブンさんえげつねぇからなぁ」
「当たり前だろう。殺すのは殺される覚悟があるやつだけだぞ?」

笑みを浮かべながら物騒な話をして、いつもの雰囲気に戻す。
ザップも意図を読み取ったのか、それともいつもの通りなのか話に合わせてくるから場の雰囲気は直ぐに戻った。
レオも目を閉じて、物騒ですね。と苦笑いをした。とりあえずこれで誤魔化せただろうか。
つい昔の事を思うと一人称やらがずれる。クラウスと昔の話をする時もそうだ。気にしないと言ってはくれるが、個人的に羞恥心を感じるのだ。スティーブンとなってから、自分を隠すのが上手くなった自覚も、嘘も誤魔化しも得意になった自覚がある。だからこそライブラの副官なんて位置にいられるのだ。それだというのに過去と今を混同してしまうのは、酷く情けないことに思えるのだ。車には乗れるのに自転車には乗れない、とでも言うような。
しかし、そんな羞恥心を察する者などいるはずもなく、ザップは面白半分に聞いてくる。

「殺すとしたらどんな殺し方すんすか?」

その言葉に、一瞬だけ真剣に考える。過去の出来事とは言え恨みがないわけではない。というか今でも殺したいと思っているのだから、本気で考えてしまうのも致し方ないだろう。
そうして直ぐに出てきた答えを口に出す。

「まず男性器を刈り取る」
「「ひっ」」

二人の顔が一気に青ざめる。なんだその顔は、当たり前だろう。
ザップは自分の股に手を当てさえしていた。なんだ、そんなに本気の声で言っていたのか。

「な、なんでよりにもよってそこが最初なんスか……」
「ふ、普通最後とかじゃないですか?」

二人が青い顔をしながら聞いてくる。確かに、通常の拷問などだったら男性器は最後の手段だ。
最初からそれをやってしまえばそもそも死んでしまうかもしれないし、産まれたのを後悔する。という意味においては少し性急過ぎるかもしれない。
それでも、こちらとて本気で考えたのだ。意味がないわけではない。それを言おうか一瞬だけ迷って、いいかと投げやりに結論付けた。酒の席であるし、と軽く考える。もしかしたらザップの酒で少し酔ったか。この身体は酒に弱いわけではないから、ただの思い込みか。それとも、ずっと思っていたこの犯人への恨みつらみを言いたかったのかもしれない。

「あの犯人、男だったんだよ。包丁で腹をめった刺しにしたはいいが、その後が問題だろう。ただの通り魔だったらいいが、特殊性癖でも持っていたらどうするんだ。死体愛好家(ネクロフィリア)だったら、その後を考えるだけでも忌々しい」

死んでしまったのだから真実は闇の中であるが、そんなことになったら私の家族が可哀想だ。娘が死んだ上にそんな事をされていたとしたら大きな心の傷となるだろう。無理なことだとは分かっているものの、とりあえず男性器を切り落としたい。その後に産まれてきたことを後悔するし、泣き叫び死を望み発狂するほどに拷問して最終的に殺してやろう。

そんなストレス発散をしていれば、二人が押し黙ったのを雰囲気で察した。
流石にはしゃぎ過ぎたかと目を向けてみれば、ある一点に二人の視線が集まっていた。
そして、足音。規則正しいそれはしかし荒々しい。何事かとその方向を見ようとすれば、それは二人が向けた視線の先でもあった。
いつもの紳士的な身のこなし方とは違い、速足でこちらへ歩いてくる、悪鬼のような表情をした男がいた。勿論、それは俺の愛しい人であるのだが、いかんせん顔が怖すぎる。
ずんずんと距離を縮ませ、あっという間に目の前にやってきたクラウスは、俺の前で停止して物凄い表情で見下ろしている。
それだけならまだ良かった――いや、いいわけがないのだが、その隣に、もう一人鬼がいた。先程までクラウスと話していたK・Kだった。彼女もその美貌を鬼のように変貌させ、俺を見下ろしていた。

「……クラウス? K・K?」

なんだろう。ザップじゃないが、物凄く嫌な予感がする。
思わず後ずさりたくなるほどの圧迫感。だが後ろはソファの背もたれだ。逃げ場はない。
背中に冷や汗が流れるのが分かる。それ程に――二人は憤怒している。

「スティーブン」
「スカーフェイス」
「うわっ!?」

目にも止まらぬ速さでクラウスに右腕を、K・Kに左腕を掴まれる。いや、寧ろ拘束されるレベルだ。
クラウスはもとよりK・Kもちょっとやそっとでは振りほどけないほどの強さで腕を両手で掴んでいる。というか、クラウスの方は純粋な力で、K・Kの方は振りほどけないような関節を封じる掴み方をしている。
二人の目は座っている癖にぎらついていて、これは本当にやばいと本能で察した。

「ちょ、ちょっと待ってくれクラウス、K・K! 何しようっていうんだ!?」
「君のいた場所へ行こう。そしてその男に行いに相応しい罰を与えなければならない」
「生江ちゃんをめった刺しにした挙句に身体を好き勝手に弄ぶなんて絶対に許さない絶対に許さない絶対に」
「聞いてたのか、っていうか、それはただの想像だから! 本当にそうなったっていうわけではないし、っていうかともかく落ち着いてくれ!!」

よりにもよって一番面倒な二人に聞かれた!!
クラウスにはこんな話聞かせたくなかったのに、後悔してももう遅い。クラウスは完全に怒りに身を燃やしているし、K・Kの方は言わずもがな。怒ってくれるのは嬉しいのだが、それで暴走されても困るんだが!
どこかしらへ連行されそうになるが、どこへ行く気なんだ二人とも。もしや私の世界へ行く気じゃないだろうな。方法もないのにどうするっていうのか。酒でも入っているのか、色々思考が吹っ飛んでいる二人を見ながら、顔を引き攣らせる。

「おいっ、レオ、ザップ、どうにかしてくれ!」
「む、無理ですよ!」
「俺あっちで飲んでくるんで!」
「ザップお前後で凍らせるからな」

レオはいい。だがザップ、お前は駄目だ。
一人のライブラメンバーの今後が決まったのはいいものの、状況は好転しない。
ザップは宣言通り逃げ出すし、レオはあたふたと見守るだけだ。寧ろライブラのリーダーと実力者のK・Kを止められる奴がいたら称賛するレベルだが。
周囲は宴会の一つの騒ぎだと思って面白そうに見ているか、別の狂騒に加わっているかしているだけであるし、止めるとしたら俺しかいない。無理を言うな。
クラウスがぐっと顔を近づけてくる。こんな状況なのに胸の鼓動が飛び上がって、目を見開いた。

「私は、君をそんな目に合わせた者を、赦すことは出来ない」
「……」

間近で見た瞳は、慣れているはずなのに背筋が凍りつくほどに恐ろしく、憤怒の炎が燃えていた。
それに寧ろ胸が高鳴るとは、本当に俺は駄目らしい。クラウスが私の事を想ってこんなにも感情を露わにしてくれている。怒りに我を忘れてくれている。こんな状況だというのに嬉しいと感じてしまう俺は、本当に腐ってる。
仲間であるという理由の他に、彼をこんなにも怒らせている関係があるのだと思うと、心が躍ってどうしようもない。
そんなことを考えていたせいか、一気に引っ張られた耳と痛みに思わず声を上げた。

「いっ!?」
「犯人には私の銃弾をぶち込んでやるわ。邪魔したらアンタでも許さないわよ」
「それ、可笑しくないかい……」

強制的に振り向かされて見てみれば、K・Kが血走った左眼でこちらを睨みつけている。頬が赤く血走った目を見ると、どうやらかなり酔っているらしい。どうして私の為と怒っているはずなのに、俺にまで危害を加えようとするのか。まぁ、K・Kの中でスティーブンと生江は別物のようなので仕方がないが。
しかし、それでも生江を想ってくれていると思うと、頬がにやけるのは仕方がないのではないだろうか。K・Kがどう思おうとも、私の中ではあの一件以来好感度急上昇だ。普段の活動の中でそんなことを露わにするわけはないが(というかした瞬間に凄い顔をされるだろうし)こうも生江を気遣ってくれているのだと分かると、喜ばしいと思ってしまうのはしょうがない。

二人の言い分も分かる。
それに、俺だってあの犯人を赦せるわけがない。なんだかんだといって、クラウスよりもK・Kよりも、アレを憎んでいる。
もし、アレが本当に私の身体を弄んでいたとして。もし、アレが警察に捕まらなかったとして。誰よりも赦せないのはこの私だ。
だが、もう携われない世界の事だ。
私はもうここで俺として生きている。だから、どれ程恨んでいようとそれを晴らすことは出来やしない。そうして、それでいいのだ。生江が消え、そしてその後はあちらの世界の出来事だ。良くも悪くも、生江はあの世界から退場した。そうして、もう戻ることはない。それは、戻れないからではない。戻る気がないからだ。だから、もう干渉する権利すらない。

どうしてその選択をしたのかは、一目瞭然だ。右に愛しい人がいる。左に生江を心配してくれた人がいる。周囲に世界を救うために共に戦う仲間がいる。それが全てだ。

二人は未だに憤っていて、本当に私の世界へ往く方法を探してしまいそうな勢いだ。
それに嬉しさに笑みを少し浮かべてしまいながら、二人だけに聞こえるように小声で言った。

「私だって恨みがないわけじゃないけど、こうして二人が怒ってくれるだけで嬉しいよ」

本当に嬉しくて、そんな声が出た。いつもなら考えられない声色だ。
言葉のお蔭か、二人から圧迫するような雰囲気が消える。と、同時に左から首に腕を回されて急に距離を詰められた。
何事かと思えば、そのまま思いっきり頭を抱えられて抱きしめられる。クラウスの焦った声が聞こえ、クラウスが俺の腕を離した。

「あーーーもう!! なんで生江ちゃんはそうなの! もっと怒っていいのにぃい! いい子にも程があるわよ! もう! もう!」
「はは……牛みたいになってるよK・K」
「スカーフェイスは黙りなさい」

酷くないか。
そんな言葉は呑み込んで、黙って抱きしめられ続ける。K・Kの細腕に、あの時を思い出して心が穏やかになる。
ああ、この人に救われたな。なんて、思って感謝する。その言葉は、残念ながら早々に口にはできないが、それでも強く思う。余計な事をいって、腹黒野郎と言われるより、この時間をゆっくりと味わった方が有意義だ。K・Kに見つからないように、少しだけ微笑んだ。
そんなことを思っていれば、急にK・Kと引き剥がされる。恐ろしいほどに強力な力に、K・Kと共に目を白黒させれば、クラウスが俺とK・Kを掴んで引き離していた。
その顔は、何処か思い悩んでいるように難し気で、それゆえの威圧感が半端ではなかった。

「クラウス……?」
「……すまないが、スティーブンを借りる」

理由も伝えぬままに、K・Kから俺を引き取ったクラウスは、そのまま何処かへ歩き出そうとする。
腕を方を掴まれているままなので、勿論俺もその歩幅についていかなくては転ぶかしなくてはならないので、共に歩き出すのだが、いかんせんクラウスの足が速い。
突然すぎて頭がついて行かないし、K・Kもそうらしく、後ろで、クラっちー!? などと叫んでいる。
クラウスはK・Kの声にも耳を傾けず、そのままずんずんと歩いて行って、更には宴会の場からも扉を開けて去っていき、宴会場ではない仮眠室への扉まで歩いて行って、その中に入ってしまった。

喧噪は遠く、BGMなどの音が聞こえるだけだ。完全に宴会とは切り離されてしまった空間で、流石に困惑する。
なんだというのだろうか。もしやクラウスの怒りに触れる部分でもあったか。行き成りK・Kと引き剥がされて宴会場からも離れさせられるとは。何かしら理由がなければクラウスはこんなことはしない。
何かしただろうかと考えてみるが、生江の話をして、二人が暴走し、沈静化し、K・Kが生江について声を上げていたぐらいしかない。なんだ、やはり犯人の事が許せないとかなのだろうか。

肩から腕へと移動したクラウスの手を感じながら、仮眠室へ入ってからも腕を引かれる。
何か口にしようか迷い、しかしとりあえずは好きにさせようと噤んだ。逆に刺激をしてしまう結果になりかねない。まずはどうしてこんな行動をしたのかを知る必要がある。
クラウスについて行けば、そのまま仮眠室のベッドに座らせられる。クラウスを見れば、難しい顔をしたままで、やはり威圧感が漂っている。まだ宴会場にいた時よりはマシだろうか。少し落ち着いたか、と思った時、クラウスに抱きしめられた。

「……クラウス?」
「……すまない」

謝るだけのクラウスに、思わず苦く笑う。クラウス自身も自分の行動が不可解だったと気づいたのだろうか。
しかし謝られるだけでは理由が分からない。彼が不満に思うことをしてしまったらならばこちらが謝らなければならないし、今後はそういうことがないようにしなくてはならない。
クラウスの肩を叩いて解放するように求めてみるが、逆に力が加わっただけだった。まるで犬のように肩口に頭をこすりつけられまでして、状況解決という言葉が吹っ飛びそうになった。

「く、クラウス……俺は気にしてないから、な? どうしてここまで連れてきたか、教えてくれないか?」

俺の理性よ働け。
どうにか声を出して尋ねれば、クラウスは数秒沈黙した後に少しだけ顔を上げた。
少しずれた眼鏡の奥から見える瞳はこちらを窺っているようで、先ほどまでの威圧感は消えていた。寧ろどこか申し訳なさそうにしている姿に、もう色々頭が沸騰しそうになる。キスがした――消えろ煩悩。
クラウスはゆっくりと口を動かした。

「君が、K・Kに抱きしめられていて、抵抗もせずに、寧ろ……嬉しそうにしていたのを見て……思わず」
「ッッッ」

小さな声で、そして耳を赤らめて言うクラウス相手に、耐えきった俺を誰か褒めてくれ。本当に誰か。
どうしてこう俺の理性を崩壊させようとするんだクラウス。そろそろ耐えきれないから自重してくれ本当に。
思わず口元を抑えると、クラウスが顔を上げて心配げに顔を覗き込んでくる。あああああもうだから本当にまじで。
どうにか直視しないことで理性を保ちきり、息を整える。大丈夫だ。いつもの俺だ問題ない。
とりあえず、クラウスは不安だったわけだ。もしかしなくともK・Kに想いを寄せるなんてことは有り得ないが、それでも恋人が異性と仲良くしていたらいい気はしないだろう。俺だったら女性の方を誑し込んでクラウスをそもそも対象外に置かせる。外道と言うなかれ。それが一番クラウスにとって安全だし、俺の心の安全も確保できる最善策なのだ。

「K・Kは、生江の時に世話になったから。思い出してただけさ」
「む……そうなのか」
「ああ。それに」

いつもの表情に戻ったクラウスを、今度はこちらから抱きしめる。
上がった温度を確かめつつ、途中で区切った言葉を全て出す。

「君とこうしていた方が、何倍も幸せだよ」

幸せすぎて壊れそうなぐらいだ。
K・Kをダシに使ったようで悪いが、本当の事なので仕方がない。
やはり、愛しい人と触れ合うのは何事にも代えがたい。
そうやって抱きしめていると、どんどんと鼓動が大きくなっていく。思わず笑うと、両肩を掴まれて引き離される。
何かと顔を向ければ――唇に触れる暖かな感触。
牙の固さも少しだけ感じて、唖然とした。
えっ、えっ?

「クラ、ウス……?」
「……その、嫌だったろうか」
「そっ、そんなことないけど、は、初めてじゃないか。君からなんて」
「君は、私の愛しい人なのだと、伝えたかった」

それは、つまり、ああ、もうそんな純粋そうな顔をして、そんな真っ赤な頬をして、そんな燃えるような瞳をして!
それってつまり、独占欲って言うんだよ!

「あーッ、くそ!」
「スティ、」
「ちょっと、黙っててくれ!」

その言葉の通りに、実行に移す。
クラウスの真っ赤な顔に驚きが加わる顔をこれ以上ないほどの至近距離で見つめながら、恋人の愛らしさを恨んだ。
こんなのだから、戻りたいなんて思わないんじゃないか!!





「幸せすぎるんだよ、もう」
「……私も、幸せすぎて、壊れてしまいそうなぐらいだ」

だから、そういうことを言う!!

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