18
クラウスのスマホに、魔方陣が見つかったとの連絡が入った。
どうやら地下鉄の魔導列車の先端に魔方陣がステッカーとして張り付けられていたようで、壊そうとすると列車ごと大爆発する仕組みになっているらしく、剥がすしかない為に作戦を練っている最中とのことだった。
それを生江は直ぐ近くで聞いていた。
電話でかかってきたその報告は、ザップからのもので、地下鉄に乗っているせいか煩いほどの音量で伝えられていた為に否が応でも聞こえるようになっていたのだ。
生江はそれを聞きながら、もっと詳しく聞くためにごそごそと芋虫のようにクラウスの方へと近づいた。
クラウスはといえば、聞こえやすいように少しだけ自らも近づいていった。
そうして横並びになるようにして、二人はライブラメンバーからの報告を聞いていた。
「……私、いなくなるんですか」
「そんなことはない。君は存在する」
即否定したクラウスに、生江が疲労しきった顔をむける。
目は赤く腫れていて、擦ったせいか見るも無残だ。顔もむくんでいて、あまり見せられるものではない。
しかし両者とも気にする様子も見せずに、ただ言葉を交わす。
「魔方陣を、どうにかできたら、本当に私を元の世界へ戻してくれるんですか」
「ああ。約束しよう」
電話の向こうでは魔導列車の先端のステッカーをはがすために、外に身を乗り出して暴風に見舞われているようだった。
ザップだけではなく、レオなども同行して、騒がしく任務をこなそうと動いている。
「クラウスさんは、本当に、凄い人ですね」
「どういうことだろうか」
疲れた声でクラウスを凄いと褒める生江に、意味を解すことが出来ずにクラウスが尋ねる。
生江はほんの僅かに口角を上げて、見ようによっては笑っているともとれる表情をして、クラウスに目を向けた。
「きっと、スティーブンさんも――」
その目を眩しそうに細めた生江はそれだけ言って、ただクラウスを見つめる。
『――よっしゃあ! 後は、ステッカーを剥がして破るだけだぜ!』
『ちょ、ザップさん落ちる落ちる落ちるぅぅうう!』
電車の走行音と二人のコントのような掛け合いが流れてくる。
ゆっくりとそちらへ視線を転じて、生江は独り言のように呟いた。
「……手、握ってていいですか」
「手、というと」
「また、何かやらかしそうというか、また何か忘れそうで、怖いんです」
疲弊した声で、囁く生江の言葉に、クラウスは生江に近づいた。
視線を遠くへ飛ばしている生江の瞳は何もかもを投げ出しているようでいて、しかし確かにどこかを見つめていた。
「生江」
「っ、うわっ」
吃驚とした声は布に吸収され、小さくなった。
ワイン色で埋め尽くされた光景に、デジャブを感じ、突然の状況に生江は顔を上げる。
そこにはクラウスの顔があり、驚くほど距離が縮まった状態にポカンと口を開けた。
「……あの、手を」
「すまない」
「あの……」
「触れないと言っていたのだが……」
「……はは」
抱きしめたことより、そっちですか。そう聞こえない程度に呟いて、生江は大丈夫ですよと返事をした。
手を貸してほしいと頼んだはずが、身体すべてを借りる羽目になってしまった。それでも、腕一本より何倍も頼もしい。不安も恐怖も、全て包まれて消えていくようだと生江は思った。
クラウスは自分の行動に驚きながらも、身体を離せずにいた。
生江が大丈夫だと言ったことが大きかったが、ずっと、こうして抱きしめたいと思っていたのだ。
壊れそうで、消えそうな姿だった。帰すという以前に、いなくなってしまいそうだった。それはクラウスには耐えられなかった。
帰らせることも、手から離れていってしまうこともそれが彼女への救いなのだと思えば受け入れることが出来たが、突然に消え去ることなど、考えたくもなかった。
『取れた! 取れましたよ!!』
『やったな陰毛頭!!』
静かな部屋に響く声が事態の収束を告げる。
生江はクラウスの背に腕を回しながら、下を向いた。
「魔方陣を消すのかい、クラウス」
「ッ!?」
「ふふ、ちょっと真似してみただけです」
驚きに動いたクラウスに笑いながら生江が種明かしをする。
過剰なほどに驚いていたクラウスは、一瞬にして緊張した身体から力を抜き、微笑む生江を眺めた。
疲労の色は濃くとも、確かに生江は笑っていた。力なくとも、人形である微笑みではなかった。
それが、クラウスにとってなによりも喜ばしい事だった。
そうして、その笑みを手放さなければならないことが、耐えられないのではないかと思うほどに、辛いことに思えた。
思えばずっと、スティーブンが生江になってしまってから、動揺と困惑が続いていた。クラウスの事を忘れ去ってしまった彼に、己でも驚愕するほど衝撃を受けていたのは誰だろうか。
見慣れぬ女性の姿になり、帰りたいと言った彼女を身が引き裂かれるような思いまでしてそれが彼の為になるのならと、帰そうと約束したのは何故だったのか。
それでも彼が触れられない場所へ消えてしまうのだと理解して、どうしようもなく心が乱されるのは、どうしてなのか。
ずっと分かっていたはずだ。しかし自分と彼を並べて、ありえないと否定していただけだった。
「……生江」
「なんですか?」
小さな背に回していた手を持ち上げる。
初めに比べれば、随分と荒れてしまった髪を手櫛で梳いて、そのまま頬を包んだ。
クラウスの大きな手の平にすっぽりと入ってしまった生江の顔は、目を瞬かせていた。
「クラウス、さん?」
「スティーブン、そして、生江。認めよう、私は」
クラウスは生江を瞳に焼き付けるように見つめた。翡翠色の瞳に、脳内に、いつまでも消えないように。
彼女と、彼が、目の前からいなくなっても、思い出せるように。
「君が好きだ」
紙を引き裂く音が、電話の向こう側から響いた。
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