- ナノ -

17


衝動に従い抱きしめた生江の身体は想像以上に細く、か弱かった。
その感覚が未だに腕に残っている。


自分が“死んだ”のだと虚ろな目で告げた彼女は、そのまま人を極端に避け一人仮眠室へ逃げるように入っていった。人と目を合わせず、交わす言葉も最低限で、話す単語も最低限。
その様子は、まるで人形のようだった。

生江が取り乱したのと同時刻に堕落王フェムトにより“進行”があったらしい。本当の自分の姿になる切欠。それを思い出し、それが原因で生江は正常な思考が保てなくなるほどに混乱した。
取り乱した直後にクラウスに動きを止められた生江はそのまま意識を保てなくなり気絶した。
数十分後に目を覚まし、そうして口足らずに“死んだ”と告げたのだ。

生江の様子を気にしていたメンバーも、堕落王からのヒントが出されれば行かなければならない。
寧ろ生江となった彼を心配しているからこそ、魔方陣を見つけて壊さなければと焦っていたのかもしれない。それが全てを解決することになるのかも、分からないまま。



魔方陣捜索をライブラのメンバーに任せ、クラウスは生江の元にいた。クラウスが生江の傍に居たいのだといえば、K.Kもそれに賛成した。今の彼女を一人にしてはならないと。
リーダーであるクラウスが抜けることに誰一人として反対する者はいなかった。それほどにクラウスが彼女を気にしていたのかもしれないし、他の誰もが彼女に掛けられる言葉を持たなかったせいかもしれない。


「私、は、この世界の、人間じゃない、この世界が、ただの嘘っぱちの世界の人なの……っ」

彼女の涙は、何度見ても慣れないものだった。
クラウスは、その雫が目から零れ落ちて、頬を伝うのを見るだけで胸が震える。
声が震え、絞り出すような音になるたびに歯を食いしばる。

人形のように――出会ったばかりのスティーブンのようになってしまった彼女を、どうにか救いたいと願った。泣き出した彼女を、取り乱した時と同じように抱きしめてやりたいと思った。

異なる世界から来た。その言葉だけでは、信じるに足りる要素はない。だが彼女がそう言っているという事実だけで良かった。この世界が嘘っぱちなのだとしても、彼女の中ではそうであり、それが真実であり、もしかすると世界の理なのかもしれない。彼女の言動を信じるならば、自分たちは虚像の者たちだ。生きて呼吸をして、感情を持っている者たち全てが嘘偽りで、実在しない。
自分たちがそうである世界があるなら、それでもいい。彼女の世界ではクラウスたちは嘘っぱちで、彼女には耐えられない世界なのだ。


「――生江が、帰りたいと望むなら、私が元の世界へ帰そう」

だからこその言葉だった。虚偽も虚栄もなかった。
はち切れんばかりの感情があるだけで、言った言葉は真実だった。


「大切な人たちがいるのだろう」
「……いる、親が、妹が、待ってる」
「なら、帰るべきではないか」

涙の止まった瞳は暗く、しかし虚ろではなかった。
それだけでも、帰すと約束したことが正解だったと感じた。


「――だって、そうしたら、スティーブンさんは、どうするんですか」

黒い瞳は男を映す。
事実に打ちのめされ、しかしそれでも手を伸ばすことをやめられないクラウスを。

生江を見て思い出すのは、生きる気力のなかったスティーブンの姿だった。
そうしてそこから連れ出したのは、紛れもなくクラウスだった。
ただの人形ではなく、人として、共に歩もうとしたのは。

「それが“君”を救うことになるのなら」

――それが、私が君を連れ出した、贖罪となるのだろう。
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