- ナノ -

12


濡れたタオルを貰って、顔に押し当てる。
流石ギルベルトさん。ぬるま湯で濡らしてあって、顔に押し当てると心地よい。
でも、そのタオルから顔を上げられない。
だって、私何をしてたんだ。泣いてK.Kさんに抱き着いて、それをレオ君やザップさん、チェインさん、それにギルベルトさんに見られてたんだぞ。
うわぁもういや死にたい。

「どうしたの生江ちゃん」
「……あの、その、すみません。いきなり泣いたりして……」
「そりゃあいきなりこんな所に来させられたら泣いちゃうわよ。それに生江ちゃんの所ではヘルサレムズ・ロットなんてなかったのよね?」
「はい、あの、普通のニューヨークでした……」

まだ、この世界が漫画だとは言えていない。
でも、この場所――ヘルサレムズ・ロット――がなかったとは口を滑らせていたので、周囲には伝わってしまっている。

「こちらで調べたのですが、妙寺生江というお方は日本には……」
「そう……」

K.Kさんがギルベルトさんの報告に相槌を打った。
当然だ。そんな人物この世界にいるわけがない。だって私は違う世界の住人だ。
寧ろここに同じ人物がいたらそれはそれで怖い。
でも、これで完全に手がかりは無しとなっただろう。
やっぱり、言うべきだ。ここで、直ぐに。
暖かなタオルから顔を上げる。

「あっ、あのっ」
「どうしたの?」
「……えと」

きちんと返事をしてくれたK.Kさん相手に、口ごもる。
言おうと思う。けれど、直前で怖気づいてしまう。
信じてもらえなかったら。仮にも、スティーブンさんであるらしい私は、放り出されることはないかもしれないが、病院へ連れていかれるかも。彼らの中では記憶が混乱していると考えているかもしれないし。
でも。
チラリ、と腫れぼったい目でK.Kさんを見る。
そこには、私をなんの偏見も持たないで見つめてくれるK.Kさんの瞳があった。
じわりと、心が休まる気がした。

「私っ、ちっ」
「ち?」
「違う、世界から来たかも……!」

タオルを握りしめて、目を瞑って絞り出した。
ど、どうだ……!?

「そうかもしれないわね」
「「「へ?」」」
「えっ」

傍観していたレオ君、ザップさん、チェインさんの声が被って聞こえ、私自身も呆けた声が出た。
だって、えっ、信じるんですかK.Kさん。

「そうですね。ヘルサレムズ・ロットのことは誰でも知っているでしょうし、大学に通っているという生江さんが知らないはずがありません」
「えっ、あっ、はい。聞いたこともありません」

架空の物語以外では。
ギルベルトさんも加勢して、K.Kさんは深く頷いた。
こんな簡単に信じてもらっていいのだろうか。
私が一人戸惑っていると、K.Kさんが笑顔でこちらに話しかけた。

「だって、生江ちゃんが嘘言ってるように思えないもの」
「……はい。嘘、言ってません」
「うん。良い目ね」

そういう子好きよ。そう言って頭を撫でる笑顔の人に、また涙が出そうになった。
K.Kさんが来てくれて、本当に良かった。この人が来なかったらどうなっていたんだろう。私。
不安でしょうがなくて、違う世界から来たってことも言えなくて、苦しくて死んでしまっていたんじゃなかろうか。
それぐらい、救われた。母や妹に会わせてあげるとまで言ってくれた。
まだこの状況を消化しきれてなんかいないけれど、それでも。

「あの……お姉さん」
「K.Kでいいわよ」
「は、はい。K.Kさん。あの、本当に、ありがとうございます」

深く頭を下げて、礼を言う。
ライブラの人たちには迷惑かけっぱなしだし、K.Kさんにはその中でも断トツで世話になりっぱなしだ。
泣いて抱きしめてもらって慰めてもらって。
こんなお礼の言葉一つじゃ伝えきれないほど、本当に助けてもらった。
でも、言わなきゃ伝わらないから、頭を下げ続ける。

一拍おいて、K.Kさんがくすりと笑った。
なんだろうと疑問に思って、視線だけをそちらへ向けると、K.Kさんが柔らかい目をしていた。

「やっぱり生江ちゃんはあんな野郎じゃないわよ。だって、あいつは生江ちゃんみたいにちゃんと頭なんて下げないわよ」

下げている頭を撫でられて、ちょっと抑えつけられるようになってしまって焦る。
少し経って解放されたので、髪の毛を整えながら頭を元の位置に戻した。
心に余裕が出来て、少しだけだけど、笑えるような気もしてきた。
だってK.Kさんがいて、K.Kさんは“私たち”と言っていて、“私たち”と言ったらライブラの人たちの事で、その人たちが私を守ってくれて、しかも元の場所に帰してくれると言っている。
元の場所に帰すとは言われていないが、私も泣きながらお願いしたのだ。きっと叶えてくれるって信じてる。
だから、もう、あまり心配したり、不安になったりしない方がいいのだろう。
じゃないと心根が弱い私は簡単に折れてしまうだろうし、もしかしたら精神病院送りかもしれない。
なので、もう深く考えない。
だからこそ、私は彼の事を思いだした。

「あの……話しが変わってしまうんですが、さっき席を立ったクラウスさんのことで」
「クラっちのこと? あーー、そうねぇ。ショック受けてたわねぇ」
「や、やっぱりそうなんですね」

そしてその原因は勿論私。
私がスティーブンさんである。という説明を受けていた時に、話されながら“お前が悪い”との視線を十分にいただいた。まぁ、確かに私がスティーブンさんであったのなら“あんなこと”を言ってしまった私が悪いのだろう。
まぁ、そうじゃないのでなんとも言えないんですが。

でも、そのまま放っておいていいとは到底思えない。
私が原因であるということもそうであるし、ショックを受けている人を見ないふりをするのは今の私にはできない。だって、私もショックを受けて、沈んでいた者の一人だから。
それに、これでも私は血界戦線の中でクラウスさんが一番好きなのだ。現在のところはK.Kさんとトップを争っているけれど。

「その、私はスティーブンさんじゃないんですけど、何か、気晴らしみたいなの、出来ないでしょうか」
「……心配してくれてるのかしら?」
「……そうですね」

そうなのかもしれない。
クラウスさんはあれで繊細なところもあるということを私は知っている。
そしてクラウスさんにとってスティーブンさんは大事な仲間だったろう。背を預けられる、大事な同胞。そんな彼がいきなりいなくなってしまったら、辛いだろうし落ち込むだろう。
良い人で、こんな場所で、世界の為に動いている。危険な目にあっても、どんな辛い目にあっても、めげずに仲間と共に日々歩んで、世界の危機を救っている。

私のせいで沈んでいるというのなら、何かしたいと思うぐらいには気に入っているキャラクターだったのかもしれない。

K.Kさんはちょっとだけ笑ってくれた。そんな彼女の後ろから、銀髪の彼が生える。

「うわっ」
「そりゃあアンタが行くしかないだろ」
「ちょ、ザップさん!」
「わ、私ですか」

K.Kさんの後ろから姿を現した彼は、眉を寄せながら言い切った。
レオ君が止めようとしているが、両方の気持ちも分かる。
つまり、ザップさんはスティーブンさんであった私がクラウスさんの所にいって、さっきのは嘘だとか、そこまでは言わずとも、ちゃんとスティーブンさんは戻ってきます。さっきのは私という生江が言ったことなので気にしないでくださいと言えということなのだろう。対してレオ君は先ほどまで取り乱していた私がクラウスさんの所に行くのが心配なのだろう。たぶんそうだ。
心配してくれているレオ君の方に甘えたいと思う、思うが。
きっと、これからクラウスさんにもお世話になることがあるはずだ。私は問題が山積みであるわけだし、クラウスさんが全く関わらないということもないだろう。
それに、一応私はスティーブンさんの身体を使っているような形になる(K.Kさんの理論通りだとすると)のだから、彼は私のことを気にするかもしれない。
ならば、私からきちんと話すべきではないか。

K.Kさんへ目線を向けると、悩むように目を瞑っていK.Kさんが目を開いた。

「生江ちゃんはどう思ってるの?」
「私は……私が、説明したほうが、いいんじゃないかと」
「……そう。なら、そうしましょ」
「K.Kさん!? 生江さんも、いいんですか?」
「はい。なんだかんだ言って、傷つけてしまったのは私ですし」

実感はないが、それでもそうなのだろう。
私からすれば、家族にあんた誰?と正面から言われたのと同じことだ。
それは悲しいし、辛い事だろう。
それを私がしてしまったというのなら謝りたいし、勘違いなのだと伝えたい。
貴方の知るスティーブンさんはきっとあなたの事を忘れていないし、きっと戻ってくると。

「K.Kさん」
「チェイン」
「いいんですか?」
「……いいんじゃないかしらねぇ。これも試練よ」

今まで黙っていたチェインさんがK.Kさんと会話しているが、その内容の意味は分からない。
きっと私がクラウスさんと話すことなのだろうが、何を示しているか、何がいいのかは理解できない。
こちらに伝えるべきことではないのだろうと、聞かなかったふりをする。
気になるが、言っても教えてくれなそうだ。

ギルベルトさんが私の手からタオルをさっと取っていく。
自然な動きに目を瞬かせていれば、ギルベルトさんの柔和な声で指示がきた。

「クラウス様のお部屋はこちらになります」
「は、はい」

う、うおお。好きだった漫画キャラの部屋にお邪魔しちゃうのか。
等という邪念は掻き消し、どう説明しようかと必死でない頭を回転させる。
上手く説明できるだろうか。どうすれば彼を傷つけずに事の次第を伝えることが出来るだろうか。
しっかりしよう。ちゃんと説明すれば分かってくれるだろうから。
そう自分を奮い立たせてソファから立ち上がる。
なんだかんだで随分長い時間ソファに座っていたから、足の関節がパキリと鳴った。

「生江さん。無理はしないでくださいね」
「うん。ありがと」

声をかけてくれたレオ君にそう返事をして歩き出した。
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