- ナノ -

11


説明を受けて、判明したこと。
私が異世界旅行をしたわけではないこと。
私がスティーブンという人間であること。
今ヘルサレムズ・ロットというここでは、堕落王フェムトによる悪戯が発生していてその本人が思っている“本当の自分の姿”になる現象が起こっていること。
そうして私は、スティーブンという人が変化してしまった姿であること。

「しんじ、られるわけないじゃないですか」
「でも本当の事よ」

K.Kさんが否定する私の言葉を叩き潰す。
そんなわけないじゃないか。だって、そうしたら。
そうしたら、私は一体どこへ帰ればいいのだ。

「つい数時間前まではアンタは自分の事、スティーブンだって言ってたぜ。
 そんで、今回の事と、自分の姿が変わっちまったことは関係ねぇってよ」

そうだ。関係ない。何も。だって、スティーブンという人は、私の記憶の中にある人は、しっかりとした自分を持っていて、本当の自分の姿に私のような人間を持ってくるような人物ではなかった。
それに、私はスティーブンなどというキャラクターになった覚えなどない。
私は私だ、妙寺生江という。平凡な一般人だ。

「すいません、僕たちが魔方陣を見つけられないからこんな事に……」

謝らないで、だって関係ないじゃない。
関係あるわけがない。だって、私は。

「私は、私です……スティーブンなんて人じゃない……!」

だって、そうだったら、もし、そんなわけがないけど、本当に、私が彼だったら。

「帰りたいところがあるんです、帰らなくちゃいけないところが、両親だって心配するし、妹だって私が帰ってこないって分かったら、泣いちゃいますっ、友達ともう会えないなんて考えたくない、早く帰りたい、こんなところもう嫌……!」

漫画の世界に入ってみたいと考えたことぐらい、漫画好きなら一度ぐらいあるだろう。でもそれは幼い頃の夢物語で、現実では実現しないと分かり切っていることで、だからこそ安心して夢想できたのだ。
だって現実の世界には自分の居場所があって、未来があって、大切な時間がある。自分の足で歩まなければいけない自分の人生がある。人が死ぬことを恐れるように、その場所を離れる恐怖や悔いがあるのだ。
無いという人もいるかもしれない。でも私にはあるのだ。一生、あの場所へ帰れないなんて、嫌だ。嫌だ、帰りたい。帰らせて!

「……生江」
「っ」

ぐい、と両頬を手で包み込まれて、俯いていた顔を無理やり上げさせられる。
そこには眼帯の美女がいて、でもさっきまで見ていたような嘲笑ではなかった。
真剣な表情に、思考が止まる。それと同時に目に溜まった涙が零れたのが分かった。

「さっきはごめんなさいね。生江ちゃんも混乱してるのに」
「……だい、じょうぶです」

先ほどまでとは違う対応の仕方に、少し戸惑いつつ返事をする。
K.Kさんが「でも」と呟いたのを見て、顔を逸らしたくなったけれど固定されていて彼女を見ているしかできない。目を逸らすことを許さないようにK.Kさんが見つめてくる。

「貴方がスティーブンだったことは本当よ」
「……」

違う、そういうのは簡単だけど、違くない。と言い返されるのも簡単だ。
それが嫌で、認めてはいないけれど押し黙る。
K.Kさんはそれを分かっているような顔で、言葉を続ける。

「もしかしたら、何かの魔術か何かで貴方とスティーブンの精神が入れ替わったのかもしれない」
「!」
「ここはヘルサレムズ・ロットなの。そういうことも無きにしも非ずなのよ」

一転して、にこっと笑ったK.Kさんの顔は、心配するなと元気づける表情だった。
思わず口が開いて、それから視界が歪んでいった。
そうだ。私はスティーブンさんじゃない。姿かたちは私のもので、数時間前までスティーブンだと名乗っていたっていう証言もある。でも、私は元の場所に戻れる可能性だってあるのだ。

「ふっ、ぅ、ぅうぅ、うっ」
「うん、そうよね。不安だったわよね。大丈夫よーここにいる間は、私たちが守ってあげるからね」
「うっ、うう、ぐすっ」
「大丈夫よ。泣いてスッキリしちゃいなさい」

帰りたい、帰れないかもしれない。本当に、帰れないかも。
私がスティーブンさんだなんてこと、信じられない。でも、周囲の誰もがそう言っている。
そんなの嫌だ。私は生江だ。日本出身で、普通の一般学生で、この世界の事を知っているだけの女だ。
この世界の住人じゃないし、この世界で暮らしたいとも思わない。
K.Kさんに抱きしめられながら、人の温かみを感じて、この世界に自分がいるのだと痛感する。
夢であればいい。全部、私が思い描いた妄想であればいい。
そうでなければどうすればいいのだ。本当に私がスティーブンさんで、そのことを忘れているだけだなんてなってしまったら。
そうしたら、私は私じゃなくなって、私は永久に家に帰れなくなって、大切な人たちに会えなくなる。

「うう゛、おがあざぁん、みがぁ、あいだいよぉ……!」

なんでスマホも何もないの。なんで服も違うの。なんで、なんで、なんで私が私だって証明するものが何もないの。
お母さんきっと心配してる。帰宅するのが遅くなっても連絡だけはちゃんとしてたから、妹の美夏もきっと心配で苛々してる。帰ったらなんて言おう、きっと信じてもらえないし、どう言い訳しよう。道草食ってたら遅くなった? スマホの電源が切れた? どうでもいい、声が聞きたい、顔が見たい、会って大変だったんだよ!って報告して、不安をぶつけて、それで安心したい。
ああ、やっぱり私が居るべき場所はここだったんだって、大丈夫。帰ってこれたって。

「……そうよね。大丈夫よ。私たちが、ちゃんと、お母さんにも、ミカちゃんにも会わせてあげるから」
「っ、ひっく、っ」

ぎゅう、とK.Kさんに抱き着く。
今だけ、今だけでいいんです。今だけだから、甘えさせてください。
その言葉を信用させてください。
元の場所に帰れるって思わせて、安心させてください。
じゃないと不安で不安で、どうにかなりそうなんです。暴れ出しそうで、泣き喚いて、どうしてこうなったんだって当たり散らしてしまいそうで怖いんです。

「おねがい、しまずっ、私を、元の場所に、がえじてくだざいっ」

こんなところ嫌だよ。帰りたい、帰りたいよ。
prev next

list page select
(list)
text(26/12) chapter(16/9)