- ナノ -

7


スティーブンに謎の症状が襲ったのは今朝だ。
ヘルサレムズ・ロットでは堕落王フェムトによる“自分の本当の姿”になるという魔方陣による肉体変化が巻き起こっていた。人間であれ異界人であれ、己が望んでいる姿に変わってしまうという謎の現象と仕組みで、ヘルサレムズ・ロットは一気に混乱に陥った。
異界人が人間になる程度ならば問題はなかろうが、人間がビルの背を追い越す魔物に大変身を遂げてしまえば一大事だ。そんな面倒事が各地で巻き起こり、堕落王の暇と普通は吹っ飛んでいった。

驚きなのはその中でライブラの副官的立ち位置であるスティーブンが少女とも女性ともつかぬ日本人に姿を変えてしまったことだった。
“今回の事と自分の身体の変化は無関係”というのが彼の主張であった。それをライブラ全員はともかくクラウスは信じた。何せ彼は列記とした男であったし、普段の生活の中でも日本人女性と感じられるような仕草は全くしてこなかったからだ。本当の自分になるというのならば、その兆候がなければ可笑しい。
ニュースで報道される変化者もそうした兆候を必ずと言っていいほど持っていた。
異界人から人間になる者は大人しく攻撃性が低い者。人間から化け物へと変化するのは思考回路が特殊である者や犯罪者など、そうした者たちだったのだ。
対してスティーブンは女性関係もあったように思えるし、女性のような仕草も口調もしたことがない。
寧ろ男らしい等という言葉が合うような人物であるようにクラウスは思っていた。

ザップやレオなどもスティーブンから直々に説得され彼の言い分を信じたようだった。

『クラウスも、決して勘違いはしないでくれよ?』
『ああ、君が男性であるということは私が一番よく知っている』
『そうだろうね』

レオよりも低い背丈で、しかも愛らしい服装をしながら変わらぬ彼の口調で諭されたクラウスは、いちにもなく同意した。クラウスもそう思っていたし、スティーブンがそういうのならそうなのだろう。
そんな信頼に裏付けされた言葉に、スティーブンである彼女が安堵したように微笑んだのが印象的だった。
それが、クラウスが好む表情よりどこか柔らかかったせいかもしれない。

動揺しているライブラの皆と同じように、クラウスも一様にスティーブンの現状に動揺していた。
しかしそれをスティーブンが察知することはなかった。
つい先日まで同性だった同僚が突然女性に様変わりした。しかもその同僚はある意味で気にしていた人間だ。普通に顔を合わせるだけでも何かしらへまをしてしまうのではないかと考えていたというのに、その相手が姿かたちを変えて目の前にやってきたのだ。混乱も、困惑もする。
だが、スティーブンは変わらず微笑むし、副官としての仕事をきっちりと行う。
身体が変化したことにより前線には出られないが、指示する側として働くという彼は、やはり姿が変わったとしても優秀さに変わりはなかった。

今回の騒動は荒捜しになるとされ、ライブラの人員は全て外に出払うこととなった。
一人指示係としてライブラ本部に残ったスティーブンは、いつもと変わらぬ顔で皆を送り出した。
幼く感じられる女性の容貌には似合わぬ薄笑いを浮かべて、成果を上げて来いと背中を押す。
その手があまりにも小さく、不安に感じたといえば彼はどんな言葉を返すのだろうかとクラウスは考える。
横目で盗み見た彼女になった彼が、肌寒そうに腕を擦っていた。


スティーブンの身に危機が訪れたと察知できたのは、探索から半日が経過した頃だった。
魔術に詳しいライブラの者を呼び寄せるということで、今回の探索を中止にすると口調まで女性になってしまったスティーブンが告げた直ぐ後、クラウスは個人で彼に電話をかけた。
他の組織員たちからの情報や堕落王の様子、そして彼自身の身体が不調ではないかの確認のためだった。
コール音が一度鳴った後、電話が通じた。だが、通常ならばあちらから聞こえる声がしない。

「スティーブン?」
『くら、うす』

確かめる意味で名を呼べば、帰ってくる女性のか細い声。
常では考えられない弱々しい声に、顔が強張った。

『くらうす、いや』
「どうした、スティーブン」
『いや、いやだぁ……!』

冷静さを失った声色は取り乱し、何かを必死で拒否していた。
それが何かが電話越しのクラウスには分からない。それにどうしようもなく憔悴した。
要領を得ない言葉はまるで子供のようで、彼女が本当にスティーブンなのかと思ってしまうほどだった。

『クラウス、助け、て』

吐息のような小さな声で発せられた助けを求める声は、切実で、そしてもの悲しかった。
発せられた己の名前に、助けての言葉にクラウスは思わず名を呼んでいた。

「スティーブン、スティーブン!」

助けを求めた彼の名を呼ぶ。
しかし、声は帰ってこない。苦しみと悲しみで溺れたかのような声は、一切聞こえなくなっていた。






スティーブンに何かしらの危機が迫り、助けを求めていると伝え、ライブラ本部へ急ぐ。
魔術的な保護をし、容易にはたどり着けない鉄壁の空間であるはずのあの部屋で、何が起こったのか。
今のスティーブンはエスメラルダ式血凍道が使用できず、身体能力も一般人と同程度だ。そんな彼――彼女に危険が迫っているとすれば、一人で対処することなどできない。
それを直ぐに察したザップとレオと共にギルベルトがハンドルを握る車で本部へとたどり着いた。

チェインは既にライブラ本部へと駆けており、先に付いているだろう。だが、連絡はまだない。
最悪の事態が頭を過ぎる。それだけで憔悴でどうにかなりそうになった。

ドアノブを回し、スティーブンがいるはずの部屋へと足を踏み入れる。
視界には変わりがないように思える室内と、ソファに座る日本人女性――スティーブン。
怪我をした様子も無く、その場に座っている。意識もあるようで、その瞳がこちらを向いた。
それに全身から力が抜けるような安堵を感じつつ、床に転がっているスティーブンの物らしき携帯が視界に映った。

先に部屋に到着していたチェインが女性になったスティーブンを見つめている。
だが、その顔は困惑に歪められていて、助けを求めるようにこちらを見た。

スティーブンが口を開く。

「あの……すいません、お邪魔しています」
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