- ナノ -
いち


私は今幸せだ。
立派な刑事のお父さんがいて、チキン焼くのがうまいお母さんがいて、可愛くて優しいお姉ちゃんがいて、刑事志望の正義感の強い面白い近所のお姉ちゃんもいる。
だから、私は幸せだ。

だから、死んでもいい。そう思った。
彼らのために死んでもいい。いいや、彼らのために死のう。
彼らが一度でも悲しいと、苦しいと、胸が張り裂けそうな、酷い年月を送らぬように。
死んでやると誓ったのに。

「ママ、ママ!」

泣き崩れる姉と首から鮮血を流し死んでいる母。
そんな“家族”の光景を見て、罪悪感に囚われ身動きができなかった。
ああ、これで私は人殺し。これで私は人殺しの“娘”。

走ったが間に合わなかった。やめてと叫んだが聞き入れられなかった。
復讐に走る貴方には、私の声など聞こえない。私のか細くて小さくて無意味な訴えなど聞こえない。
銃が発砲される寸前に、姉のカノンの静止の声など聞かずに、母に――アルマに駆け寄った。
家に帰り、何も知らずに暗闇の中、姉の誕生日のサプライズの(一瞬にして殺人マシーンに変わった)仕掛けを見つめる今の母親に。

銃弾が通る場所に、アルマからそれを遮るように駆け寄った。
だが駄目だった。
私は見た。私の心臓を抉るはずだった銃弾が、ほんの一瞬、そう、私が目を見開いているその目の前で軌道が少しだけ変わったところを。
そうしてその小さな変化は、確かな直線を描いて私の肩をすり抜けて彼女の首に直撃した。
ああ、なんて惨い、なんて悲惨。
何も変わらなかった。私が変えられる運命なんて、銃弾が当たったところが胸か首か、それだけだった。

この後、この家族はどのような運命を辿るのだろう。
玄関が開く音がする。カノンの叫ぶ声を聞いて、何があった。と憔悴した声色で叫ぶ父がくる。
私は見ていた。全てを見ていた。
しかしきっと、物語は全て筋書き通りに進むだろう。
きっと、父は妻殺しの罪を一人で被って死刑囚となるだろう。
カノンは母を失い、家を移し、母を失った悲しみと父が近くにいない現実に苛まれつつ不可解な運命へ巻き込まれていくだろう。

幸せだった。
こんな私がこんなに幸せでいいのかと、そう思うほどに幸せだった。
だから、彼らのためなら喜んで死のうと思った。
それが、彼らの望まぬことであろうと。10年後にはきっと、全て変わっているからと。
10年後には全て覆っていようとも、彼らには身近な者の死を味わって欲しくないからと。
10年前に母も父もいなくなり、そう思っていたのに。

彼らのために死にたい。死にたい、死にたかった。
ああ、お母さん。お母さん。
本当の子ではないのに、愛してくれたお母さん。
アルマさん。愛していた。愛していたのに。

彼女の夫がリビングへの扉を開ける。
視線が血を流す妻に向けられ、その表情が驚愕に彩られる。
カノンが、泣いている。
ママ、ママと叫びながら、泣いている。
それは私が10年前にしたかったことであり、10年前に心底味わった悲しみだった。

お母さんの瞳が、何も写していない瞳がジッとこちらを見ているようだった。
お父さんの瞳が私を見た。
その瞳たちが(優しい彼らが、そんなはずがないのに)なぜお前が死ななかったと責めているようで、私はその場に崩れ落ちた。

何も見えない。目の前が真っ暗だ。
ああ、貴方は復讐鬼になってしまった。
いいや、私が貴方を死神にしてしまった。

ああ、私が死ねば――

mae ato