- ナノ -
じゅうに 『パパ』


「な、うそ、だろ。だって、アイツは死んで」
「そう、ママは死んだ。貴方を失ったショックで。私はあの人をこの世に繋ぎとめられなかった」
「シセルは、お前をおいて、一人で死んだっていうのか?」
「うん。私に、最後に、“幸せになるのよ”って言って」

ヨミエルがショックで身体をふらつかせながら、私に問いかける。
それほど、彼にとってママが子供を置いて死んだという事実が堪えたようだった。
ママも、随分と悩んでいた。
私を一緒に連れて行くか、行かないか。
彼女は、最後の最後。幸せになってという言葉を残して、私をおいていった。

私は彼女に愛されていたと思う。
それゆえに、置いていかれた。
私は、一緒に連れて行って欲しかった。

「ああ、だけど、俺は、お前を」

手を伸ばす彼に、抱きしめて欲しいと私も手を伸ばした。
口には出さずとも、私の気持ちはこの空間では隠されることなく伝わる。
彼は、ふらふらとした足取りで、泥沼にはまるようにゆっくりと近づいてきた。
徐々におり曲がる足は私の目の前に来たときには力なくおり曲がって、懺悔をしているようだった。

でも、私にとってはそんなことどうでもよかった。

「くそ、どうして、なんで、俺は、」
「ねぇ、ヨミエル」
「……なん、だ」
「ヨミエル。大好き」

懺悔なら後にして、そんな悲しそうな顔はしないで。
全てついさっき清算された。更新された。この10年間は過去のものになって、今こうして新しい未来が作り出された。

だから、笑って。
私、こんなに嬉しいんだよ。
涙が出るくらい、嬉しいの。
ねぇ、大好きだよ。愛してるの。
ずっと、ずっと、10年間、言いたくて、言いたくて言えなかった。
悲しんで、苦しんで、絶望している貴方に、ずっと、ずっと言いたかったの。
伝えることが出来れば、貴方は悲しみや苦しみから救えたかもしれなかったから。
でも、結局ここまで来てしまった。
でも、ずっとずっと、伝えたかったことを、やっと言えた。

大好きよ、愛してる。

「ぁ、あ、ああぁ、くそ、くそッ、俺は、俺はっ」

叫び声と共に抱きしめられる。
抱きしめるというより、締め付けているそれは、痛いほど、というわけではなく実際に痛かった。
痛かったけど、苦しくはなかった。
ただ嬉しくて仕方なかった。

「泣かないで、ねぇお願い。話を聞いて」
「っ……」
「あのね。あのね、ヨミエルのこと、パパって、呼んでもいい?」
「!」
「“お父さん”はもうお父さんにあげちゃったの。でも、“パパ”はずっと残してたんだよ。
 ヨミエルのこと、パパのことを、“パパ”って呼ぼうと思ってたの」

まだ抱きしめる力が強くなった。
抱きしめられていて、彼の顔は見えなかった。
でも小刻みに震えているのはよくわかった。

「ねぇ、いいでしょ。断ったら、やだよ。
 だって、ずっとずっと待ってたんだよ。ずっと、ヨミエルのこと、パパっていう日をずっと――」
「カナリア」
「何?」
「いいのか、俺なんか」
「なにが?」
「俺は、お前を殺したんだぞ」
「違うよ。事故だったんだよ。ヨミエルは頑固だね。
 それに、私、私ね。可笑しな子だと思われるだろうから、言わないでおこうかなぁって思ってたんだけど、ヨミエルが頑固だから言うね」
「カナリア?」
「私ね、ヨミエルにだったら殺されてもいいんだよ」

抱きしめる力が、少しだけ弱くなった。
それでも、私の口は止まらなかった。

「ママはね、私を一緒に連れて行ってくれなかったの。5年前はね、失敗したの。私が死ねばよかったのに。
 今夜はね。ヨミエルに伝えられなかったのはすごく悲しかったけど、でもね、嬉しいって」
「もういい!」

急に顔を上げた彼に、驚いて言葉を失う。
肩を掴んで、大声を上げた彼の顔は苦渋にゆがめられていた。
それに、冷静な部分が自分の中で蘇ってきて、慌てる。

あたふたとしながら、どうにか謝罪をする。

「ち、違うの。違うよ! あの、あのね、ヨミエルを悲しませようとしたわけじゃないの。
 ご、ごめん、ごめんなさい。お願い、そんな顔しないで。そんな顔させたかったわけじゃないの」
「……パパ」
「ぱ、ぱ?」
「俺も、お前にそんな顔をさせるつもりじゃなかった……いいぞ、“そう”呼んでも」

そんな顔。といわれて、頬を拭われて気付く。泣いていたらしい。
精神も、涙腺も、随分と弱くなったものだと冷静な部分がため息をつく。
でも、いいんじゃないかな。こんなときぐらい。

だって、10年待った。10年耐えた。
色々な過ちを犯した。間違った選択もした。後悔は埋もれるほどにあった。
きっと10年が更新されても、拭われない罪は私にはある。
知っていた、分かっていたのに何も出来なかった。
無力な私を、私は許せない。
でも、今このときだけは。
ただの10歳の子供になって、父との再会を喜びたかった。

「パパ、パパ! ねぇ、大好きだよパパ!」
「ああ……俺も、俺もカナリアが大好きだ。すまない、すまなかった」
「ううん。ううん。私も、ごめんね。ごめんね。もっと早く見つけてあげられればよかったよね。ごめんね。ずっと、一人きりにして。ごめんね。一人で幸せを感じていて」
「いい。よかった……この10年間が、カナリアにとって、幸福で」

幸福だった。
でも、きっと。
これからもっと、幸福になる。

mae ato