- ナノ -


06.生死の境目

「張遼さま。姫にお目通りしていただく前に、一つお伝えしなければならないことがあるのですが」
「お主は……」
「ええ。一度貴方の刃を受け止めた生江と申すものです」
「伝えなくてはならぬこととはなんだ?」
「いいえ。この場で述べても信憑性のないことです。なので、一つ勝負をしてくださいませんか」
「冗談が過ぎる。遊びでもするつもりか」
「命を懸けた遊びです。私を倒せばそのまま姫を連れて行ってくださって構いません。しかし私が勝ったら私の世迷言を真実として聞いていただきたく」

屋敷の門の前で、貂蝉を捕らえにきた張遼と会話をする。
ポーカーフェイスを苦々しげにした張遼は、いつか貂蝉を逃がしたことを思い出しているらしかった。
そして私の言葉に最初はただの幼稚な脅しだと思っていたのを、私が真剣なのを見て仏頂面に戻っていった。

私のような子供が勝負をしかけるなど、遊びにしても冗談が過ぎる。
だが馬をつれて出迎えた私は、貂蝉を渡す気など毛頭ない。
それが伝わったのか、それとも意が決まったのか、張遼は一つ問いかけた。

「手加減は出来ぬぞ」
「出来れば、してほしいものですが」

威勢のよい返事が来ると思っていたのだろう。張遼が驚いている。
死にたくないのだ。ちょっと気まぐれに、本音を言ったっていいだろう。
そういえば、彼に本音を言ったことは記憶の中にあっただろうか。

「さぁ、行きましょう張遼様」

気を取り直して真面目に言うと、彼は目を瞠った。


さすがに屋敷の前で決闘などということは出来ないので、村の広場的なところを場所を移した。
彼もそれに反対するわけではなかったらしい。彼の部下が何か言っていたが、どうでもよかった。
一ヶ月ぶりに見た、記憶からすると十年来ぶりの彼は何も変わっていなかった。
ただ、どろどろとした殺気を胸に秘めさせ貂蝉を狙っていたのは、十年もの昔にはなかった部分だった。

「張遼様。どうして貴方は貂蝉様を殺そうとするのですか」
「貂蝉殿から聞いているだろう。今更それを語る必要があるか」
「冥土の土産だと思ってくださいませ」
「……貂蝉殿は呂布殿を裏切った。それだけあれば十分であろう」
「負け戦なら仕方がないではありませんか。それに、それが原因で彼が死んだわけでもございませんでしょう。彼は最後に曹操様に意地汚く命乞いをしたらしいではありませんか」
「なにを! ……いいや、そうだ。そうであるが、それは正しくない。確かに私も最初はそう思った。戦に負け、死に際に瀕し、頭を可笑しくされたのかと考えた。だが違う! 違ったのだ。あの方は一人で犠牲になられた。呂布殿は貂蝉殿がいなくなり、意気消沈したようであった。唯一信じていたものに裏切られたのだ。だからあのような真似をなされたのだ」

問いに答えるごとに、張遼の視線は鋭利になっていくようだった。
すでにそれが刃物のように私を貫く。お前に何が分かるのだと。
分からない。何も分からない。
張遼がそう考える理由も、貂蝉を殺そうと躍起になる心理も。

「違うぞ張遼」

違うんだ。張遼。
私はお前が思っているほど強くなく、私はお前が思っているほど生きていたくなかった。
確かに貂蝉がいなくなったのは一つのきっかけかもしれないが、あれは私にとっていい切欠だったのだ。
私を差し出せば、お前達は助かった。しかしお前達はそれを拒否した。
お前達に侮蔑されることは、私にとってはなんてことなかった。今までずっと自らの力を侮蔑してきたから。
だから、それよりもお前達に生きていてほしかった。

だから、私が愚かな真似をすれば、少なくともお前達の価値はアイツに見つけられるだろうと。


互いに馬に乗りあっている、正式にはじめることもあるまい。
馬の手綱を引く。

「さぁ、やりましょう張遼さま」

戸惑いを見せるその心理はいかほどか。

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