- ナノ -


02.涙、はらはら

「……なぜ、抵抗しなかったのですか」

その晩は洞窟の中で過ごした。
ちょうどよい奥に続くものがあったので、そこで火をおこした。

大体の話は貂蝉から聞いた。彼女は突然現れた不審な少女に対してまったく警戒しなかった。
ただ淡々と、それまでの経緯を話してくれた。

自身の伴侶であった呂布という男が討たれたこと。そうなるであろうと予想し、自分は一人で逃げたこと。呂布が一人殺され、その腹心が自身を追ってきたこと。殺されそうになり、恐怖で森へ逃げていたところで偶然居合わせた盗賊に襲われたこと。そして、突如私が現れたこと。

彼女は、私の質問に虚ろだった瞳を潤ませて答えた。

「私は、奉先様を裏切ったのです。だから、殺されて当然なのです。
 なぜ、生きようと思ったのか、いまでは分からないほどです。お父様の意思ももう関係ありません。
 彼は私を愛していてくださいました。私は、計略に彼を利用したのです。だから、殺されて当然なのです」

震える声を、最後には言葉にならないほどに涙声にして、彼女は手で顔を覆った。
あふれ出る涙が、指の隙間から零れ落ちていく。
ああ。私は、彼女を残して死んでしまったのかと、いまさらながらに心が痛んだ。

彼女が着ている服は、記憶にあるものと同じだ。しかし、長旅で汚れきったのだろう。かつてあった絢爛な美しさは失われていた。
私が着ている服は、よくある寝巻きだった。寝て、夢か現か分からずにここへやってきてしまった。今でも、これが夢ではないかと半身疑い、半身現なのだろうと確信を持っている。

上着でも着ていれば、それを貂蝉にかけてやることも出来ただろうが。残念ながら今パジャマを脱いだら完全に変質者だ。
別に、取っ払っても寒いだけで問題ないのだが、こんなところで無駄な体力の有り余っている様を見せても気まずくなるだけだ。

いつまでも泣き止まない彼女に嫌気が差して、手を伸ばした。

「泣かないでください。貴方に泣かれると、私も泣きたくなってしまいます。どうか笑顔でとは言いませんが、悲観などしていないでください」
「なら、私はどうすればいいのですか。私は、私は――」
「……奉先という男が、弱かったのでしょう。貴方は確かにその男を利用していたかもしれない。ですが、その奉先という者が、勝ち続ければよかったのです。そうすれば貴方は自責の念など抱かずに、野望へ向かって進んでいればよかった。貴方が悪いのではなく、その奉先という男が軟弱だったのです」

顔を覆っていた手を退けさせて、手で強引に拭う。
目を真っ赤にして泣きじゃくる貂蝉は、そんな姿なのに美しい。どんな猛将でも、どんな国の王であってもこの涙の前には立っておれまい。あるものは膝をつき、あるものは自分の地位を献上しよう。
だが、ただ私は悲しいだけだった。悲しくって仕方なく、こちらまでもらい泣きをしてしまいそうだ。

散々に彼女が想う男を罵倒する。しかし紛れも無い真実だ。
貂蝉は信じられないような目でこちらを見て、しかし視線を交差させた瞬間に開いた口をそのままに何も告げなくなっていた。
怒りに言葉を失ったのだろうか。いいや、それにしては上がっていた眦が悲しみに彩られている。

貂蝉の手をとって、火元の影へ寄せる。
彼女はなされるがままに私についてきた。

「さぁ、寝ましょう。そして朝一にここから逃げましょう。大丈夫です。貴女は私が守りましょう」

あの時に出来なかったことを成し遂げよう。
手の甲にキスをしてみせて、信を得るために忠誠を誓ってみる。
彼女は弱弱しく、はい。と答えた。

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