- ナノ -
▼106

物を壊すというのは、まったくの球体などでは難しい。
傷一つないものを壊すのはかなりの力が必要だ。
だが、どこか一つでも引っかかりや欠損があれば、一気に簡単になる。
私の場合は、この外へ繋かがるハッチだろう。

指を突っ込んで、そこから奥深くに侵入させる。
それだけで中身がスパークした感覚がしたが、問題ない。

首筋を掴んで、握りつぶすつもりで強く持つ。
彼らの表情が強張る。鏑木・T・虎鉄の方は私が何をしようとしているのか察知したのか、何か口にしようとしているようだったが、その言葉が出る前に手を動かす。

あほらしいほど人間らしい表情だ。
必死で、見てて楽しい。

首筋の皮と肉の代わりのシリコン、そうして配線を一気に首から引きちぎる。
ぶちぶちぶち、と皮と肉の代わりをしていた部分が生々しい音を出し、その奥の線が火花を散らしながらはじけ飛ぶ。
首の三分の一ほどが削げ落ちた。しかし、まだ機能停止には程遠いようで、片目が見えなくなっただけに不具合は済んだ。
これでは駄目だ。まだ人間に抵抗する力は十分すぎるほどにある。さっさと機能停止してしまおう。

「ちょ、なにやってんだ! やめろッ!」
「……鏑木・T・虎鉄。なぜ。私は人間に対して被害を被る可能性がある。起動してはならない段階だ」

彼の手が私の手を掴み、動きを取りやめさせる。青い光が身体の周囲から漏れ出しており、瞳の中からNEXT特有の光があふれ出す。ワンハンドレットパワー、その名のとおり自らの力を100倍にする能力に、強制的に動きが止まる。
手が温かい、若干温度が高いのだろうか、叫んで興奮しているからか。
瞳孔が開いて、激昂しているのが分かる。いや、困惑が大きいか。
切迫しているというのはよく伝わってくる。それをさせている原因ではあるのだが。

私が理由を箇条書きで説明すれば、眉をハの字にまげて、一瞬動きを止めた。
思い当たる点は多量にあるだろう。なぜなら彼自身がその被害を受けたはずなのだから。

「なに言ってんだよ、あれはアンタのせいじゃないだろ」

それだというのに、被害にあった彼は悲しそうにそういった。
途端に沈んだ声色に、泣いているのかと思った。
泣く。なぜ泣く。落涙させるほどなのか、私の存在は。

そういえば、彼はプランと言った。
私の記憶は曖昧で、薄ぼんやりとしている。
彼と出逢ったという記録はあるが、彼と何をしてどうしたということは、よく覚えていない。
その中で、彼の中で私という立場の“人間”だったものがどのような役割を果たしていたのか、想像が出来ない。

「なぁ、あんたプランさんだろ? 覚えてないのか、俺のこと」

覚えていない。
そういうことは簡単だ。だが、それを発言したら、彼がまた悲しい顔をすることは明白だった。
私は、人間の色々な表情が好きだ。笑顔はもちろん好きだし、必死そうな顔も好きだ。
悲しんでいる表情も、その人間が強く感情を抱いていると考えれば、美しいものだ。
だがその悲しみが私に起因しているというのなら、それは本望ではない。

しかし、今、私は真実以外を告げたくない。
告げられないのではなく、告げたくない。それがスムーズな事態の収束になるとしても、嘘は言いたくなかった。
面倒なことになるだろうし、それが原因でまた彼が悲しみに落ち込んでしまう気がしたからだ。

これは――機械としての推測ではなく、ただの憶測だ。
もしかしたら、これは勘というものなのかもしれない。機械にはない機能だ。

そこで、ふと思い出した。
プランさん。
そう呼ぶ名前に、感じるものがある。
どこかで、記憶の欠片がこの記録だと主張しているような気がする。
現実味のない話である。そんな機能もなかったはずだが。

いいや、そもそも。
こうやって考える機能こそ機械には元々なかった性能ではないだろうか。
考えていたはずだ。この思考はどこからやってきたのかと。
記録に乗っ取って作られたバグなのか、それとも最初から付随されていたバグなのか。
人間に憧れ、人間を好いた理由――元のこの姿になる前を認識している可笑しな思考。

これなら、覚えているのではないだろうか。
この意識体が記録に左右されるものでなければ。
思い出せない時点で記録が基礎になっているというのは確実かもしれないが、“人間”の場合はそうではないかもしれない。



「――虎鉄、さん」

たどたどしく名を呼ぶ。
鏑木・T・虎鉄。確か、彼をそう呼んでいたはずだった。

自分の声かと思うほどに、幼い子供が戸惑いながら口に出すような拙い言葉だった。
彼もそう思ったのか、沈んでいた目を丸くして、綺麗な目でこちらを見ていた。

あいも変わらず美しい目だった。
人口的な光もなく、生理現象で開き閉じる瞳孔。光に反射して写るハイライトが、星のようだった。今はそれは自然的な青で彩られている。
視認できるその睫や髪の枝毛、かさついた唇に、荒れた肌。
身体の調子が悪そうに思えた。一番最初にあったときも、こんな感じだったか。

「え。あ、れ? 思い、出したのか?」
「……思い出してはいけなかったかな。虎鉄さん」

嬉しいような、困惑し尽くしたような複雑で微妙な引き攣った表情をした彼は、更に身を乗り出してこちらをマジマジと見つめる。
それが少し身を引いた。そんなに凝視をしないで欲しい。十分今の状態で認識できているわけであるし、それに配線が火花を散らしていて危ない。

「うぉぉおお! プランさん、良かった!」
「虎鉄さん、危ない…」

距離をとったはずなのに、それを詰めて更には抱きついてこようとする彼に不味いと、首元には触らせないように肩を押す。
それでも体当たりするように抱きしめようとしてくるのだから、大変だ。
彼は、冷静さを欠いているようで、とりあえず感動を共有したいようだった。

思い出したといっても、全てをというわけではない。
ただ、彼と過ごした日々を、そのときの感動を、なんとなしに感じただけだ。
ただの記録よりも曖昧で、正確性のない情報だが、恐らくそれだけで十分なのだろう。

未だに能力の発動している彼の力は強力で、一歩間違えば腕一本ほどならもって行かれそうだ。
一つの感情に占められているから、その他を考慮する余裕がないのだろう。
抱き潰す勢いで歓喜の声を上げながら迫る彼に、なんとも言えなくなった。

「斉藤さん。お久しぶり」
「(まさか。驚いたな。本当にプランさんだったとは――いや、それ以前にどうして彼という人格がこうして再び自覚されたのか、もともとの記憶は全て取り戻したわけではないはずだというのにいやしかし)」
「すまない。私もよく分からないんだ」
「なんていってるかわかんねぇよ斉藤さん! もうプランさんが帰ってきたってだけで嬉しいぞ俺は!」

ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる彼に、そろそろこちらの限界が迫ってくる。
これでも、エネルギー源は電気なので(有機物からも出来る、だがこのボディでは無理のようだ)、それがなければ駆動し続けられない。
首元からのエネルギー漏れや、彼の腕力に対する抵抗で、かなりのエネルギーを消費したようだった。
簡単に言えば、100%中10%しか充電されていなかったうち9%を使い終わった感じだ。
……そろそろ切れる。

どうにか最後の力で虎鉄さんを引き剥がして、正面に据える。
青い光がだんだんと消滅していく彼は、不貞腐れたような顔をしていた。
それでも、口角を上げていて、上機嫌であることが窺える。
それに、私も嬉しくなった。

「プランさん、色々話したいこと山ほどあんだからな」
「それは……充電が続くだろうか」
「茶化すなってば! 本当に、説教しないとな」
「覚悟しておく。
 それと、斉藤さん、私が“帰ってきた”理由なのだが」

虚勢を張って顔を強張らせる彼の表情に笑みを向けつつ、私をここまで作ってくれたであろう研究者に言う。

「虎鉄さんに悲しい顔をさせたくなかったからだと思う」
「……へ」
「(ん?)」
「?」

小さな研究室に僅かな沈黙が落ちる。
機械の動く音だけが数秒部屋を包み、そうして虎鉄さんの顔が赤らんでいく。
それに、ああ、と思い言葉を続けた。

「それから、虎鉄さんや、他の友人たち、人間にもう一度会いたかった」
「そ、そうだよな! お、俺もプランさんにずっと会いたかったんだぞ!」
「(ふむ……彼は天然、と)」

虎鉄さんが赤らんだ顔を誤魔化すように大げさにジェスチャーを交えながら喜びを表現してくれる。
斉藤さんはというと、研究者然とした顔つきで、此方を見てしきりに頷いている。が、話している内容は不本意なものだった。
聞こえているぞ斉藤さん。

しかしそれを訂正する前に、完全に充電が切れ、強制的にシャットダウンされた。

(ちょ、えええ!? プランさん!?)
((ああ、観察している場合じゃなかったぞ! 早く直さないと!))
(なんていってるかわかんねぇ! と、とりあえず早く直してください!!)

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