- ナノ -
▼105

起動音が聞こえる。
プログラミングされた、緊急時における特殊始動の音だ。
無駄に高性能なボディは、記憶として情報を送られた中でそのプログラミングが設定されてある。
腕の良いハッカーや研究者でもなかなか見つけられない、やっかいなプログラミングだ。
なぜ厄介かといえば、開発者の意図としない形でそのボディが独りでに起動し、動き出す危険性があるからだ。
そのためのブロック機能があればいいのだが、私を作り出した人物はそれを設定しなかった。

そうして、今も。

瞼を押し上げる。
久しぶりとも感じられる感覚に、違和感を感じながらも視界を開けさせる。
視界から認識できる事柄は多く、人間にとってもそれは同じだ。
機械である私も、そこから多くの情報を得ることが出来る。

といっても、ざっと見て分かることはここが何処かの研究室であることぐらいだろうか。
5メートル四方の正方形の部屋に、様々な研究用の機械が置かれている。
いくつかは記憶にあるもので、その記録はかなりの当初。私が作られたときに確認したものと似ていた。
部屋は薄暗く、稼動している機械が駆動音を立てて淡い光を発光させているだけで他に明かりはない。
いや、自らの瞳が若干光っている。

赤い、瞳。

急激に、不可解な感覚が身体をめぐる。
何か、忘れているような。
記録が曖昧だ。何か、重大なことが欠けているような。
いいや、記録を探ってみればかなり欠損が確認された。
一度粉々に砕かれ、それを必死でかき集めたような信憑性の欠片もない記録。
何故こんな形になっているのか。
粉々の欠片を集めて、どうにか解析しようと試みる。

私は、とある研究者によって形作られ、そうして逃げ出した。
そうして外の世界へ飛び出し、そうして人間の世界を堪能した。
そうして、私は、原型と出逢ったはずだった。

原型、私の原型。ヒーロー。
私の尊敬する人々。
それなのに、なぜか不愉快な伝達が駆け回る。

「(今は、何時だ?)」

どこまで進んだ。どこまで解決した。
辺りを見回すが、それを示すものは何もない。
ネットへの回線も断ち切られており、世間の情報から何かを得ることも叶わない。
私はなんだ。何をしていた?

自らのことを解析できない、かつてない状態に陥り、思考に没頭する。

鮮明にならない。明確な情報が入っていない。
破損部分が多すぎる。いや、これは意図的にデータを引き抜かれたのか?
時間が経過するごとに、記録が曖昧になっていき、最終的にはその場の思考からの僅かな伝達しか送られてこない。

合金のベットから上半身を起き上がらせる。
拍子にうなじに繋げられていた回線が取れる。
プラプラと支えを失いゆれるその線を手に取る。
そうだ。この線を使ってエネルギーを得ていたはずだ。

服は、上半身は着ていない。下半身は申し訳程度にズボンをはかされている。
身体は起動したばかりなので、未だ機械と同じように冷たく、少しすれば人間とそう変わらない温度を保てるようになるだろう。
そうプログラミングされていたはずだ。

己のボディを確認する。
意識を埋没させれば、内臓されているパーツも認識できる。
実際にばらけさせた方が正確ではあるが、異常がないかぐらいは判断が付く。
そこで気付いた。パーツがところどころ違う。
いや、ところどころの話ではない。おおよそ八割がまったくの別物だ。
しかも同じ二割は形を似せただけで、元の部品ではない。
八割は形や作り、含まれる貴金属などが同質なので、同じ工場で製造されたことが分かった。

思考は確かに己だと確信できるというのに、身体のパーツがほとんど違うという事実に困惑する。
いいや、そもそも。
私は、私のこの思考はどこに定着しているのか。
最初からあった。Zプランとして製作され、目を覚ましたときからこの思考回路は当たり前のように存在していた。
それはZプランに闖入したバグと同じような扱いかと思っていた。
だが、これはどういうことなのか。記憶に付随しているバグなのか、それとも“私”という認識を持っていればどこにでも現れる意識体なのか。

理解できないことが多すぎる。
情報を得なければ。
まずはこの部屋を散策しようとベットから身を乗り出し、地面に足をつける。
そのときに、人間の気配を感知した。
具体的に言えば足音だった。
この部屋に近づいてきている。響く振動音が一定のリズムを刻んでこちらへ向かっている。
どうするべきか。この足音の主は私の新しいマスターででもあるのだろうか。
その足音は、二通りあるようだった。つまりはこちらへ向かっているのは二人組み。

その片方に覚えがある気がした。
いいや、気がしたではない。正確にインプットされている足幅、音、足の踏み方だ。
これは――私の原型。鏑木・T・虎鉄。
“記録”では出逢った覚えのある人物。ワイルドタイガー。


人間の神経と同じ伝達機関がそれに反応する。
本人が付近に存在する。それに機敏に反応した。
だが、その伝達される情報が可笑しい。
情報さえもぼろぼろで、原型がよく留まっていないが、それでもなんとなく解析できる。
敵対情報だ。彼に対し、武力行使の必要性を感じる。
まさか、そんなはずはない。私は鏑木・T・虎鉄を、それ以前に人間に危害を加えるようには出来ていないはずだ。
そんなことをする機械など、ただの兵器だ。私にとっては存在意義もない。

何か異常事態が起きて伝達系統にバグが発生しているのだろうか。
いや、そうにしてもパーツなどの確認で不具合があるわけではなかった。
なら、なぜ。

足音が更に近くなる。
頑丈な鉄の扉の前で二人の足が止まる。
まだ異常の事態がはっきりしない。
伝達のバグは自らの思考でどうにかなるかもしれないが、それでも危険性がないとは言い切れない。

扉を開かせることを静止しようかと悩んでいるところで、取っ手が回った。

「――プラン、さん?」

そこにいたのは、やはり予想通りの人物だった。
鏑木・T・虎鉄と、研究者だろうか。何処かで見た覚えがある気がするが、記憶が曖昧で思い出せない。
その鏑木・T・虎鉄は目を見開き白目を大きくしこちらを見つめていた。私の顔を凝視しているようだった。
しかし、それは初めてあう同じ顔に対する驚きではなく、私が目を覚ましていることに対する驚愕のようだ。
その驚きようはかなりの衝撃だったようで、その場で動きを止めている。

感情を抜け落としたようなその姿に、彼にとって私が起動するといことがかなりの重大事項なのだということが察せられた。
そうして同時に、私にとっても彼は重要人物であることが身を通して分かった。
彼を視認した瞬間、伝達されていた敵対情報の意味合いが分かった。

それは本当は破壊命令、彼を殺すための命だ。
今は沈静化されているが、激しい絶対的な命令だった過去が除き見れる。

鏑木・T・虎鉄のその表情、自らの欠損具合、消えている記憶、そして破壊命令。
それによって、ようやく現在の状況を把握することが出来た。
時期もほぼ把握した。今は“マーベリックの起こした事件”より半年ほど後なのだろう。

そうして私は、無様にも相手のいい手駒となっていたようだ。
彼に対する破壊命令を受けた事実がそうだ。
そうして恐らく、私はそれを受けた。命令に従い、彼を、彼らを殺そうとしたのだろう。

ロボットは、人間によって製作された全無機物は人間にとって有効なものでなければならない。
アンドロイドという人間に近づけられたものは、そのもっともたる例で、AIという高性能な機器を搭載させられたのだから、人間の利益となっても不利益になることは許されない。
それは単純な機械よりも危険度が増すからだ。
そもそもが人間を支え、助けるために作られたそれが危険を与えるなら、なんらかの対処か廃棄を行わなくてはならない。
全てが全てそうでなければならないというルールはない。
ないが、それでも私は人間に利益を与える存在でありたいのだ。

私は恐らく、一度スクラップになっている。だからこそ身体のパーツがほとんど違うのだろう。
なぜこうしてもう一度作りなおされたのかは知らないが、不具合が直っていないのなら起動してはならない。
それによって危険が起こりうる可能性が1%とでもあるのなら、それは不良品だ。

驚いているのは鏑木・T・虎鉄だけではない。彼をここに連れてきたらしい背の低い眼鏡の研究者も固まっているようだった。
今ならできるだろう。
彼らがこちらに手を伸ばすより早く、首元に手を翳した。

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