- ナノ -


 彼を拾ってから、二週間が過ぎた。
 鳥さんがいる生活に随分と慣れた。彼の扱いにも、私への彼の対応も。
 最初から、ギクシャクしているとは言いきなれなかった。別に私は警戒心を持っていなかったし、彼もまた無関心で特に何かを気に留めるようなことをしなかった。
 
 大学にも行くようになって、一応貴重品だけバックに詰めて(鍵を渡して一応外出も許可してあるから、間違って貴重品を持っていかれないようにとの注意だ)、彼を一人置いていく時間も増えた。
 特に不満をいう様子のない彼は、一人でいる時間に何をしているのか問えば、鍛錬と答えた。よく分からないし、理解するにも厳しいだろうということで、彼は何かの体操選手ということで私の中では片付けている。
 何、時間は(私のお金が尽きるまでだが)いくらでもあるのだ。いつか聞く機会があるかもしれない。聞かない方がいい気もするが。

「家はどこですか?」
「住むだけの家なら、帝都とダングレストにある」
「帝都? ダングレスト?」
「テルカ・リュミレースという場所ある、けれど」
「ふぅん」

「何歳ですか?」
「28、だ」
「へぇ。私は20です」
「そうか」
「意外とおじさんなんですね」
「……そうだな」

「仕事は何をしていたんですか?」
「……」
「秘密ですか?」
「……俺は」
「ああ、嫌だったらいいです。無理に聞き出そうって気はないですから」
「……すまない」

 あと、どんな会話をしただろうか。まぁ意味の無いこと。意味のあること、でも追求しないこと。色々話した。

「この世界にいる限り、私は貴方の味方ですから」

 そう言うと、彼はぼぅっとこちらを見つめて、苦しそうに目を細める。
 

 彼の心臓の機械は、ぶらすてぃあ、というらしい。英語か。と身を引いて詳しくは聞かなかった。説明が長そうだ。
 しかし、心臓の変わりをしているという予想は当たっていたらしく、彼が何時しか起こした愚行はかなり悪質なものだということも分かった。それについて問い詰めたら、理由は言いたくない。との返答が来た。言いたくないなら仕方が無い。それ以上は追求しなかった。それについては彼の方から不可解そうな目線をもらったが、無視した。

 薬の服用は続けている。ざっと一ヶ月分は貰っていたので、個数は平気だった。薬を入れた箱を彼に肌身離さないように管理させて、きちんと毎日飲ませるようにしている。
 医者のおばあちゃんは一週間後に来な、ふんだくってやるから。と言ってくれたが、実際診察だけでもふんだくられるし、健康保険証もなかったので、薬がなくなった丁度一ヵ月後に行こうと思っている。また健康保険証を忘れた、という体で。

 薬のお陰か、彼はだんだんと無感動だったその表情に色彩を帯び始めているような気がする。
 といっても、気がする。なので、本当のところは分からない。ただ返答してくれる口数は多くなったし、時折自主的に言葉を発するようになった。子供のようにたどたどしいが、それでも伝えようとしている。
 
 それが嬉しくて、もどかしくて、やはり助けてよかったと感じる。
 勿論大変なことも多い。というか大量すぎてお金がそろそろヤバイ。バイトを本格的に始めた方がいいかもしれない。しかも時給の高いやつ。
 そうなると、彼を一人にする時間が多くなってしまうが、どうにか言い繕って彼にバイトをさせることは出来ないだろうか。最近は確実な証明書のいらないバイトだって沢山ある。彼は言葉は話さないが与えられた仕事をきちんと果たす人だから、それぐらい余裕なのではないだろうか。

「鳥さん」
「なんだろうか」

 視線を合わせる。瞳に映るものは、今だ鏡のような気もするが、よく見てみれば違う。
 最初から何かはあった。小さく燃える心の赤。ちらちらと、まるでマッチの火のような小さなそれに、どうにか酸素を送って、燃え上がらせて、今では蝋燭の火ぐらいにはなったのではないだろうか。
 本人ではないから、まったくの見当はずれかもしれないが。でも、きっと、その火を瞳の奥から引っ張り出して、曝け出してくれる日が来るだろうことを願って――いや、叶える目標として。

「今日の夕飯。何がいい?」

 そう笑って問えば、小さな笑みとともに、なんでもいい。なんて言葉が返ってきた。

「(なんでもいい。とか、鳥さんどこぞの夫か。……まぁ初めて笑ってくれたからいいか)」

 見ていたこっちが苦しくなるような、痛々しい笑みだったけれど。


 テルカ・リュミレース。はて、こんな国名、この世界にあっただろうか。
 元から感じていた違和感を、そろそろ解明するときが来たのかもしれない。
 夕飯を鳥さんと一緒に取り終わって、パソコンを弄りながら考える。講義の資料集めをしていたのだが、飽きてしまった。簡単にいうとただの暇つぶしだった。
 しかし、それでも今まで彼に関して詮索しようとしなかったのを、一転して探ろうというのは、講義のことは全て忘れてそちらへ集中することにする。
 もし彼が探られるのが嫌だったら、途中で止めるだろう。パソコンもずっと観察して、彼の洞察力だったらとっくにどのような機械であるか理解しているだろうし。彼は今は、特にすることもなく後ろでベットの壁に背を預けて座っている。すぐ止められる位置だ。
 YAHO○の検索のところに、その文字を打ち込んでゆく。改めて書くと、随分と綺麗な名前だった。まるで西欧の物語にでも出てくる地名のようだ。
 

 打ち終わって、検索をかける。
 
「小鳥」

 後ろから声をかけられる。やはり嫌だったか。そう思いつつ振り返ろうとすると、身体全身が温かいものに包まれた。

「とり、さ」

 自分の心臓の丁度後ろ側の背に、硬い感触が広がる。彼が言っていたぶらすてぃあ、の側面が当たっている感触が確かにした。
 こちらの胸を交差して、抱きしめられている。そう感じたが、本人の姿が見えなかった。
 固まっていた体を動かして、今度は確かに振り返る。
 そこには、至近距離の鳥さんの顔。

 今まで見た中で、一番色彩溢れる表情だった。
 柔らかで、硬くて、嬉しくて、悲しくて、そんな複雑すぎて、人間のような表情。ああ、それが見たかった。

「―――――」

 言葉が淡く消えてゆく。確かに紡がれていたはずのそれは、しかし何かに吸い込まれるように音にされることはなかった。
 それと同調するように、彼の輪郭が一瞬にして、光のように消えた。

 茫然自失とはこのことか。
 行き成り、そう、まったくの行き成り消えた可笑しな同居人に、呆然とする。
 姿が見えなくなっただけかと思い、あたりを間抜けにも手でかいてみたりするが、手ごたえはなかった。
 消えた。
 消えてしまった。

「……“ありがとう”。かな」

 最後に彼が囁いて、しかし聞こえなかった言葉。
 それでも口の動きから何と無く分かった。そういえば、すまない。ばかり言われてお礼の言葉なんて聞いたこと無かったな。

 こうして、私の鳥さん鬱病脱出計画は失敗に終わったのだった。



8、拝啓、神様へ

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