- ナノ -


 彼は馬鹿だった。
 最初から、利口だとは思っていなかったが、ここまで馬鹿だとは。
 猫のように気ままかと問われれば、そうでもない。なら、犬のように従順かと問われれば、そうでもなかった。
 そのどちらも持ち合わせて、そのどちらも決定的な部分を欠けさせたような、それが私にとっての彼への印象だった。

「一つ、言っておきます」
「……なんだろうか」

 返事が遅いのはいつものことだ。自分に問われているのか分かっていないように、自分がいない者のように自身を扱う彼は、いつも一テンポ遅い。でも、律儀に返事はしてくれる。

 きちんと聞いていることを確認して、私は堂々と宣言する。
 彼を保護してから、5日経った。なんとも濃い5日間だった。5日間でこれなのだから、今後はもっと凄いことになる可能性があるだろう。
 だから、さっさとルールを決めてしまうことにした。
 それが当てにならないものだったとしても、無いよりはましだろう。

 下に大きな収納スペースがあるために50センチほどの高さのあるベットに腰掛ける私と、床に座ってこちらを見上げる彼。
 身長はそれほど大きくないが、身体ががっしりとしているためか体格がよい彼でも、こうして上から見下せばなんとなくこちらが大きいような感覚になる。

 そう、その調子でいいのだ。
 ふぅ。と精神を一度落ち着かせてから、キッと睨みつけるようにして宣言した。

「今。ここにいる期間は、貴方には私の言うことを聞いてもらいます」
「ああ」

 ……当たり前だ。とでもいうように言葉を返された。
 しかも、始めてのことだが、即答だった。
 もとよりそのつもりだったのか、そもそも、それが常識だったのか、とりあえず私が恥をかいたのは確かだった。
 咳払いをする。違う違う。これだけではないのだ。

 何も映さぬ瞳がこちらを向いている。反射するだけのような、生気のない目が少し気に喰わなかった。

「貴方は、私の下僕です!」
「ああ」

 ちょっと恥を勇気に変えて、友人と行う会話のノリで宣言してみた。
 すると、また即答で返ってきた。おい、待て。それでいいのか鳥さん。貴方、そんなのでいいのか。
 ちょっとした戦慄を感じつつも、きっと性質の悪い冗談だろうということでスルーする。
 鳥さんが冗談を言ったところをみたこともないことは置いておいて、次へ進めた。

 息を吸って、吐く。違う違う。ここだ。さっきまでの二つは鳥さんの奇想天外さに振り回されて、決まらなかったが、私が言いたいのは次のことだけだ。そうだ。元々前振りなどなしに言ってしまえばよかったのだ。

「だから、鳥さんが生きるも死ぬも、私次第です。貴方は私のものになりました」
「……小鳥、の」
「そうです。ここにいる間は、貴方は私だけのものです」
「小鳥、だけの……」

 口の中で転がすように、呟く鳥さん。
 その視線はこちらを見ているようで、どこも見ていなそうだった。
 いや、もしかしたらようやく私という人物を見ているのかもしれない。視界でではなく、心で。

 彼は猫のようでもなく、犬のようでもない。
 気儘でもなく、利口でもない。
 
 スタンガンで自分の心臓を傷つけた後、彼が落ち着くまでその場にいた。心臓の機械は赤い光を発し続け、彼は苦しみ続けた。何分か経過し、それでも止まないそれらに、私はもう不安が爆発しそうだった。
 病院から逃げ出した、というのは知っている。けれど、無理やりにでも引っ張って医者に見せてやりたかった。私ではどうすることも出来ないし、医者にだってどうにかすることは出来ないかもしれない(だって機械なんだもの)。それでも、自分以外の誰かなら彼を治せるかもしれないという可能性に頼りたかった。
 でも彼はどれだけ私が引っ張っても動いてくれないし、寧ろしがみ付くように手を痛いほど握ってくる。

 数十分して、彼は倒れるように意識を手放した。その瞬間のことは、今だって脳裏を離れない。不安が爆発して、泣きそうになった。しかし、きちんと確認してみれば心臓の光は元に戻っていたし、苦しそうな表情は何もない色に変わっていた。

 その後少しして目を覚ました彼に、もう勝手なことをしないように約束させようとした。いいや、約束なんて生ぬるい。契約と言ってもいいだろう。こうして私が世話をしている間は、絶対に馬鹿なことをしないよう、首輪をつけなければ。あんな自殺行為を私の手を通してやられて、もうトラウマだった。
 そう考えた結果の所有権だった。彼が嫌に素直なのはもう十分に分かっていたので、それを利用させてもらった。彼には欲が無い。欲求が無い。だから与えられるのも、奪われるのも無関心で、それが当然と思っている。

 でもここまでしたのだ。勝手に所有権を主張して、それを認めさせた。
 この動物の飼い主になったのだ。
 ならば、最後まで面倒をみなくてはならない。ダンボールに捨てて死ぬのが猫でなくとも、生きている何かが死ぬのは嫌だ。それが私が一度拾ったものなら尚更。

 ちゃんと、病院に通わせよう。鬱病はクスリが一番効き目がいいらしい。診察もさせよう。お金はかかるかもしれないが、なんとかバイトで稼いだお金を切り崩してどうにかしてみせる。
 それでも、彼がどうにもならなかったら。

「死ぬときは、私が殺してあげます」

 猫になりきれずに、犬になりきれずに、空を飛ぶ鳥さん。
 私が保護してあげるから、そのまま海に飛び込んで死のうとなんてしなさんな。
 私に見つかった時点で、きっとその手段は消え去ったんだ。

「……分かった」

 一テンポ遅れて、いつもどおりに返された返事は、しかし何処か懇願が篭っているような気がした。



6、私だけの

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