- ナノ -


 夜の散歩が習慣だった。大学生となってとある都会のアパートに一人暮らしをするようになってから、どうにも食事のバランスが偏ってしまう。そのせいで身体の調子は崩れるし、体重は増加するしで、嫌なことばかりだ。
 だからこそ、夜のテレビを見ながらダラダラする時間を削ってこうして散歩に繰り出しているわけだ。それが一ヶ月ほど続いて、最初は疲れるだけだった運動も、だんだん楽しくなってきていた。
 
 河川のほとり、さすが私の実家とは違い都会であるここではきちんと舗装されているコンクリートの道をのんびりと歩く。手持ちは携帯電話だけで、家からあまり離れていない場所だけを回る。秋の冷たい空気を感じながら、時間にも人にも囚われずこうして自由に闊歩するのはかなり楽しかった。
 傍から見れば一人上機嫌に川のほとりを歩く女子大生だが、まぁこの時間帯にここを通る人もなかなかいないだろう。
 それから、さすがに女性の一人歩きは危ないのできちんと街灯があり、光源が行き渡っている場所、住宅街の近く、携帯の防犯ベルアプリを起動させてある。これは押せば警察署にも連絡できる優れものである。その代わり間違って押してしまった場合が怖いけれど。

 光源が十分にあるとはいえ、川の中や橋の下までは照らされていない。ちょっと不気味な雰囲気が漂う、人が侵入してはならない、そういう空間をちょっとビビりながら視界に入れる。そういうちょっとした恐怖も面白い。もちろん何もないと分かっているからなのだが。
 川は表面だけが光りを反射しているため、墨が洪水となって流れていっているようだった。橋の下は草は整えられているものの、何か黒い物体が存在しているような不可思議な空間に思えた。その中に赤い光りが見えた気がして、おお。と思わず声を上げる。

 ……ん? 見間違えだよな?
 赤い光。一瞬、この黒と白しかないようなモノクロな空間で見えた異様な色。しっかりと見つめてみると、ぼんやりとだが、やはり確かに赤い発光物があった。
 
 驚きに一瞬身が強張る。と、数秒してその緊張を解いた。何を驚いているのやら。橋の下、という絶好のシュチュエーションに何かおかしなものがあったからといって、それを全て恐怖に結びつけるのは些か度が過ぎている。
 もしかしたら子供が落としたガチャガチャとかのオモチャかもしれないし、ただの小さな機械かもしれない。
 小心者の私は一人でビビって、一人で恥ずかしい思いをしたが、それに少し興味が湧いた。
 結局、私を驚かせたそれはなんだったのだろう。きっとそんなに面白いものではないだろうが、この胸の恥ずかしさを笑いに変えてくれるぐらいの用途はあるだろう。

 そんな期待を持ってそこまで遠くなかった橋の下へ歩いてゆく。
 その光りは途絶えることはなく、強くなったり、淡くなったりという規則をつけて発光していた。
 近付くにつれてその光りが意外と小さくなくて、大きなものだと分かる。握りこぶしぐらいの大きさだろうか。

 橋の下は上が道路になっていて、街灯が特別明るいせいか、暗闇に閉ざされていてまったくどうなっているか分からない。
 でも、さすがにだんだん近付いていくごとに、その中身が見えていく。
 そうしてだんだんとその暗闇に目が慣れ、その“物体”が網膜に写されてゆく。それにつれてその場へ近付く足が速くなり、鼓動も足を踏み出すごとに加速して行く。息も上がっていって、先ほどとは違う恐怖に身が包まれてゆく。

「ひ、人……!」

 思わず漏れた言葉は、橋の影との境界線ギリギリで発せられた。何かはっきりとした境目、世界が一変しているような暗闇にいたそれを見て、無意識に口に手を当てる。
 そこには、人がいた。
 胸から赤い光りを発していて、よく分からない鎧のような服を着た、血まみれの髪の長い男性。
 肩ほどまである髪はぼさぼさで、前髪も揃えていないのかそれらが眼元を完全に覆い隠してしまっていて意識があるのか判断が付かない。
 しかし小さく開かれた口元からはか細い吐息が聞こえてくる。時折気まぐれのように通る車に遮音され、聞こえなくなるが、確かに生きている。
 そう、生きているのかも定かではないほどあちこちに出血を伴う傷を負っていて、通り魔に滅多ざしにされたような姿なのだ。

「と、とりあえず、び、病院……! 救急車!」

 とんでもない事態だが、それでも目の前に怪我人がいることには変わりないのだ。
 急いで携帯を取り出して、アプリを解除してから救急車を呼ぶ。ええと、確か119だったよね……!?

 始めて過ぎる事態に混乱しながら、救急車を呼び終える。
 動揺して滑舌どころの話ではなかったが、それでも対応なれしているのか、冷静になってください。その人を助けられるのは貴方だけなんです。と伝えられ、どうにか理性を取り戻せた。
 携帯を握って、何度も繰り返される処置に従う。
 
 まず意識があるか確認して、何度も呼びかける、それから意識があったら意識を保つように呼びかけつつ止血、なかったら――

 電話越しに伝えられる事項を頼りに、その人へ近付く。
 血みどろで、ボロボロな人。独りで死に掛けている。私が――私が助けなくちゃ。

 赤い光りが、嫌に目に付いた。



1、独りぼっちの

one - next
back