- ナノ -

5.5,鮮血は物語る
曹操

頭の可笑しな従兄弟が病を患ってから何年経過しただろうか。
一向に改善の兆しが見えず、行動は奇奇怪怪。その瞳は虚ろで、どこか儂らとは異なる場所を見つめている。
己とは異なる体の病で身体をふらつかせる郭嘉を一時も気を抜くことなく乗馬しながら凝視する生江は、任務を遂行せんと愚直を地で往く武将に見える。

だが、その真面目さが可笑しいと、今や魏の人間の何割が知っているだろうか。
そうして過去を知っている者の中で、いくらの人間が“生江の病が治って今がある”と考えているのか。
以前の――既に懐かしいとまで思えるようになった過去の生江は脳に病を抱えているような奴だった。人には理解できぬ言葉を発し、一人で駆け回り、何が愉快なのか笑い転げ、いつもいつも、目を輝かせていた。
それは幼子のようでいて、しかし時折しかとこちらを見つめて言うのだ。

『もーちゃんは王様になるよ』
『もーちゃんは覇道を往くよ』
『たくさん人が死ぬよ』

偉ぶっても悲しげでもなく、ただ決定事項を言うようなそれを、どこかそうだろうなと聞いていた。
それでも生江はただ嬉しそうに

『俺は、みんなみんな、大好きだぜぃいえい!』

そう言って抱きしめにかかる。
最初は戸惑い忌諱していたというのに、いつの間にか抱きしめ返す様になり、いつの間にか手を取るようになっていた。
生江にとってはそれが常。それが普通。
そうして儂らにとっても。
頭の可笑しなあやつが、儂らの知っている生江であった。
子供のような。無邪気さと残酷さを持ち合わせた人間だった。

あやつは知っているのだろうか。あの馬鹿笑いが消えてから、何処かもの悲しくなった儂らの事を。

「(しかし、生江は傷だらけの血みどろだが、死ぬのではないか?)」

しかし、愚直になったところで、何処か抜けているところは変わっていないらしい。



賈ク

傷の治療をしようと思えば、郭嘉殿を本陣に連れて行ってからだとのたまう生江殿に頭を抱えたくなった。
確かに郭嘉殿の病は心配だ。だが、あんたも相当重傷だろう。面白いぐらいに血を垂れ流して、血を全て流し切りたいのかね。

生江殿は、本当に変な御仁だ。
俺を早々信用したり、期待したり、邸宅で一人倒れて女官を慌てさせていたり。
魏に降って直ぐに、深い傷を負っていたはずの生江殿に話しかけられた。しかも深夜に二人きりで、武器も持たずに。俺も素手だったが、武将と言っても降って来たばかりの奴に対する対応じゃない。
そうして話して、言いたいことだけを言ってふらふらと帰っていくので何気なくつけてみたら矢の刺さっていた場所から血を着衣まで滲ませてよたよたと己の邸宅へ入り、ぶっ倒れるのだから唖然とした。
ただ狼狽するだけの女官に苛立ち自ら典医の元へ運んだのは、動揺してしまっていたせいだ。普通はしない。

だが、生江殿は俺が運んだらしいと察知し、礼まで行ってきたのだから手に負えない。
意味の分からない行動をする割には古参らしく、夏侯淵殿や夏侯惇殿、曹操殿とまで臆せず話せる。そのせいか彼が降って来た軍師を信用することで、待遇が恐ろしいほどよくなった。

お人好しなのかと聞かれれば、そうでもなさそうだ。
戦では敵を率先して殺すし、自分が死に掛けてもただただ無表情で骸を積み上げていく。
“鬼”とまで呼ばれた人物らしく、命乞いさえ聞きやしない。死ぬのが義務だとでも言うように、その刃を振り翳すのだ。

以前は“子供”と言われていたらしい。こんな男にもそんな時代があったのだと血塗れの姿を見ながら思う。
それなら、少しだけでもいいから見てみたいものだ。


張遼

その武は、身を省みぬ武であった。
どれだけ身に矢を受けようと、どれだけ身に刃を受けようと、そうして死そうとも身を省みぬ。
鎧に血が流れ、ぽたぽたと馬に垂れる。それに馬が尻尾を振るという反応を示すが、対して生江殿は一切反応を示さず郭嘉殿を見つめている。

生江殿は郭嘉殿と袁家の救援に訪れた烏丸を潰していたそうだ。
伝令から烏丸の存在を聞いた生江殿は指示も仰がずにその場へ急行した。そして郭嘉殿も邪魔されてはならぬと烏丸の元へ足を向けた。
指示を仰がずに独断で行動を起こした生江殿の行為は本来罰せられるべきものだが、結果を見れば正解なのだろう。郭嘉殿一人では烏丸を全て倒し切れたか、倒し切れたとしてもその身を完全に壊されていたことだろう。

しかし、代わりとでも言うように生江殿は多くの傷を負った。
共に戦場を駆けていれば、生江殿の行動は嫌でも目に入った。命令以外の行動をすることもよくあり、結果傷だらけになることも多々あった。そのたびに夏侯淵殿や夏侯惇殿、更に賈ク殿や果てには郭嘉殿や曹操殿までにも身を案じられることもある生江殿だが、結果は正当性を示すには十分であり、そうして活躍は栄進して然るべきであり、武勇は“鬼”と称されて当然であった。
そうして全てを欠片の油断もなく行う生江殿に、誰もが最後には口を噤んだ。更には栄進も恩賞も全て拒み、ただ戦に出ることを望む彼に、誰が口出しできようか。

だが、そんな彼の態度をよく思っていない人物もいる。
そんな彼が、愚痴のように語っていた。

『昔は、あんなのではなかった』

ならどうして今のようになったのかと問えば、己のせいであるかもしれないと口を濁す。
何が違うのかと問うと、驚く答えが返ってきた。

『以前は、あのように殺しはしなかった』

出来るだけ人を殺すことを抑える気質だったらしい。
有り得ぬと思うのは、仕方がないことだ。それ程に、殺し過ぎた。
生江殿が過去違う気質をしていたのならば、もう戻ることは不可能ではないか。
そういうと、右目を歪ませた将軍は、そうかもしれぬと呟いた。

馬に乗り、血を流しながら本陣へと進む生江殿を見て、戻ることは出来るのだろうかと思案した。


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