- ナノ -

8,「肉まんだぞ」
火が見える。濛々と猛る炎が見える。
火に焼かれて死ぬ姿が見える炎を恐れて逃げ惑い海に溺れる姿が見える。

「何やってんだ。これから大戦だってのに」
「典韋」
「……ったく、ここまで来てもおめぇはそんな調子かよ」

何百隻の船が連環の計によって繋がれている。
ホウ統が曹操に示した策だ。しかしそれは呉の火計によって煉獄と化す。
風が吹いている。昔と比べて、短くなった髪を揺らしていく。
全てが全て、直ぐ間近にあるような感覚。リアルな、死の気配。

「生江よぉ」
「……なんだ」
「この戦いが終わったら……頭撫でさせてやるよ」

え。何言ってるの典韋さん。
思わずゆるりとそちらへ視線を向ければ、ようやくこっちに向いたな。と厳つい顔が笑みに彩られた。
それに、何度か瞬きする。
典韋の手が伸びてきて、そのまま頭をぐわしと掴んで何度もかき回した。
大きな手に、久しぶりに感じる人の温度。

「平和になったら、お前の病もきっと治るぜ。そうだろ?」
「――ああ」

自分が今、どこを見ているのかが分からなかった。
ぼんやりとして、目の前にいるはずの典韋が見えなかった。
本当にそこにいるのだろうか。これは夢ではなかったか。
夢でも生きているのだろうか。俺は失敗していないだろうか。全ての条件を満たしているだろうか。

怖い。
怖かった。
初めて怖さなんて感じた。

「典韋」
「どうした?」
「……未来を掴むために、俺は」

俺は、全てを蹴散らす。
そういえば、典韋は眉を片方上げて、それからおう! と呼応した。

命も恐怖も想いも涙も炎も、全てを蹴散らして進もう。誰かが生きるために。




スムーズに行き過ぎるほどに完勝した赤壁の戦いに、一人水面を眺めながら茫然とする。
思ったより、何倍もスムーズだった。兵士を捻り潰し、武将を撃破し、船同士を切り離し、火計を最小限に止め、謀計を破り、敵陣へ乗り込み、敵大将を打倒した。

珍しく、傷もそれほど追っていない。
茫然とする。こんなもんでいいのか。こんなもんだったのか。

「あっ、こんなところにいただよお」

丸い巨体が足音を立てながらやってきた。愛嬌のある顔立ちと言葉の調子で話す許チョは俺を探していたらしい。
どうしたと目線で問えば、怪我してないか見に来ただよ。と言われ、首を振った。

「皆のところへは行かないのか」
「皆のところへはいつでもいけるけど、生江は直ぐにどっか行っちゃうだぁよ」
「そうか?」
「そうだ」

うんうんと頷かれ、目を細める。
その仕草は昔と変わらない。以前は愛らしいとも言える許チョの仕草に悶えていたものだ。
だが、今はそんな気分になれない。頭がぼうっとして、頭が働いていないようだ。
それでも、今後どう立ち回ればいいのかについて考えられはするのだから複雑だ。
許チョが片手に持っていたものに目を引かると、許チョがそれを差し出した。

「肉まんだぞ」
「そうだな」
「食うだよ」
「……」

正直、食道に何かを通す気分ではない。
許チョに視線を転じると、俺が必ず受け取ると思っているような、純真な目を向けられる。
それに何処かが揺さぶられる気がして、思わず手に取ってしまっていた。

「……ありがとう」
「いいだよお。生江も頑張ってるだ。おいら、知ってるぞお」
「……ありがとう」

食いたくないのに、口に含む。
俺を探していたせいか、少し冷めてるそれは、表面が固くて、なかなか具にたどり着けなくて、しかも腹が空いてるわけじゃなくて、喉が拒否するから、到底美味しいとは思えなかった。

「……うまい」

思えないのに、なぜかうまかった。



……あ。なんで旨いのか、分かった。
許チョに貰ったからか。
ああ、許チョって偉大だなぁ。

――ああ、分かってよかった。

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bkm