- ナノ -

狂った時計(359・夏侯惇・トリップ主)
ふと、目を覚ました場所は戦場でした。
え、なにこれ。どういうこと?
意味も分からず周囲を見渡してみれば、四肢を失くして血にまみれた人、矢で射ぬかれた人。首がない人人人人。
強烈な血の臭いに、腹を切り裂かれたせいか、生臭い臭いもする。
吐きそうになる光景だが、どうにかそうなることは避けられた。
だってこれ、夢だろ。
俺はさっきまで仕事場から一人暮らしの家に帰ってきて、昨日ネットサーフィンをしていたから疲れて寝てしまったのだ。
私服のまま、腕に付いた時計を見る。

「2時51分か……」

カチカチと規則正しく動くその時計は、結構奮発して購入したものだ。
この時計を信じると、スマホで設定しているアラームの時間は朝の7時だから、あと4時間は暇になる。夢だからその時間通りには進まないが、まぁそう考えていれば気が楽だ。

「はぁ、どうしますかね」

頭を掻いて、その場に座り込んでいると、目の前から何か規則正しい音が聞こえてきた。
それはどんどんと近づいて行って、その姿が現れるとともにその正体がつかめた。
規則正しい音は馬の蹄が地を蹴る音で、その馬の背に誰かが乗っている。
その馬は俺から逸れるように走っていたが、どうしたことか途中で方向を少し変え、こちらへ一直線にやってきた。どうやら俺がいるのを見つけたらしい。
その馬がこちらへやってくる間に、胸ホケットに入れっぱなしになっていた煙草を取り出してライターで火をつける。
夢の中で初めの人との遭遇か。とぼんやりと待っていると、馬が目の前に。おお、迫力あるなぁ。

「そこで何をしている」
「……あー、煙草を吸ってる」
「何を吸っているだと」
「この時代じゃまだないのか? タバコだよ、た、ば、こ」

すぅ、と吸い込んで肺まで煙を送り込んで、そのまま吐き出す。
そうすると馬に乗り、こちらを見下している人物はぐっと眉を顰めて俺を見た。
なんだよ。現代にいたら絶対タバコ吸ってそうな顔つきしてるくせに。

「怪しい奴め」
「そらどーも」
「……名を名乗れ」
「そっちの名前は?」

俺の返答に苛立ったのか、片手に持っていた美しい剣をこちらへ向けようとしてくる人物に、冗談冗談、と言いながら名を名乗った。夢でも殺されたくはない。

「生江ってんだ。アンタは?」
「……面妖なものに名乗る名はない」
「なら、隻眼君って呼ぼうか」

にやりと笑いかけると、睨みつけられる。おお、怖い。
だって名前分からないんじゃ、適当にあだ名をつけるしかないじゃないか。左目を眼帯で隠しているから、ちょうどいいと思ったんだが。

「それで、何かようかい」
「お前は敵ではないのか?」
「敵って、なんの敵?」
「……曹操軍の、魏の敵ではないのかと聞いている」

曹操……ああ。なんか、ちょっとだけ、歴史でかじったことがある名前だ。
確か、魏の君主か何かだった気がする。
そんなことを思い出していたら返事が遅れたのか、馬の君が剣を握りしめる手に力を込める。物騒だなぁ。

「敵じゃ……あ」
「なんだ」
「時間だわ」

ふと見た右手首の時計の針が、6時59分を示している。
随分と時間が進んだものだ。やっぱり夢だからなぁ。時間が過ぎるのは早いもんだ。
目の前の隻眼君に手を振る。

「じゃあ、俺、そろそろ帰るわ」
「なに? この状況でどう帰ると――!?」
「お、透けて起きる感じか。面白いなこりゃ」

すぅっと風景に消えゆく体が面白く、ぺたぺたと触っていれば、太陽の光にギラリと剣が反射する。
そうしてそのまま、剣が俺の身体にのめり込んだ。

「化け物か!」
「酷いなぁ。普通、剣で斬ってくるかね」

しかし剣はそのまますとんと何もない空間を切り裂くように空振りする。
俺の身体は風に吹かれたように斬られた部分だけが一線なくなった。
空気に霧散するように、身体が散っていく。

「んじゃな。隻眼君。今度会うときはそっちの話でも聞かせてくれ。たぶん会うことはないけど」
「おい、待て――!」

手を振れば、手を伸ばす彼がいた。
いやいや、引き止めたいなら馬から降りろよ――そんなことを考えつつ、ぽとりとタバコが地面に落ち、俺の意識は途絶えた。



「……面白い夢だったなぁ」

しわくちゃになったシーツを見ながらベッドの上で起きた俺は、うるさいアラーム音を聞きながらむくりと上半身を起こした。
両手を上げて伸びをして、そのまま胸ポケットに入ったタバコの事を思い出した。
夢で吸っていたから、起きても吸いたくなってしまった。
早速取り出してみると、おかしなことに一本減っていた。
首を傾げる。だって、タバコは夢の中で吸っただけだ。夢の中では消費なんてされるわけもないから、減っていちゃあ可笑しいはずなんだが――。

「ま、勘違いだわな」

そう独り言ちて、煙草を咥える。
さて、今日も仕事だ。

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bkm