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変わらない(359・于禁・攻主)
「于禁将軍」

一人鍛錬に耽る于禁に話しかけてきたのは、曹操軍の古株である生江だった。
夏侯一族と共に曹操が挙兵する際に駆けつけ、それからずっと曹操に付き従っている。
しかし、他の面々と少し違うと思わせるのは、年齢が周囲より上だからだろうか。柔和な顔つきに落ち着いた態度、寡黙というわけではなく、だからと言って饒舌という訳でもない。年齢に見合った口数で、人懐っこいというわけではないのに周囲にいつの間にか馴染んでしまう。

「……生江殿」

振りかぶっていた武器を一度地面に先を付け、声の先を見やる。
視界に映ったのは思った通り生江であり、つい最近“部下”になった人物だった。
いくら軍に所属している年数が長いと言っても実力でのし上がるこの軍では、功績の数と質が物を言う。
生江は多数の戦に参戦はしていたものの、支援型であり、敵将軍の首を持ってくるよりも仲間の援助に回ることが多かった。
于禁といえば、常に危険な前線に立ち、時には尾を務めるなど、自他ともに進んで鮮血が飛び交う場所に身を置いていた。
そのために敬っていたはずの人物といつの間にか肩を並べ、追い越していた。それに気づいたのは、曹操自ら于禁を激励したその傍らにいた生江をみた時だった。
元々、生江という人物と話すことは少なかった。そもそも人と談笑する機会も一般と比べると少ない于禁は他の人物と話すこともなかなか珍しいことだ。
于禁は無意識のうちに生江を避けていた。ただ、視線に映ったら少しだけ目を背けるとか、そんな程度のものだ。だからこそそもそも少ない接触の回数がまた少し減ったことに対して違和感も抱かれていないだろうが。
于禁は流れ出た汗を拭いもせずに生江に話しかけた。

「どうかされましたか」
「いや、今日も頑張っているなと思ってな」

立場が上になったからといって、生江の態度が改まることはないらしい。
それに、知らずに安堵の息を漏らそうとし、それに気づいて姿勢を改めた。

「張りつめてないか?」
「張りつめるとは……何をでしょう」
「ははっ、偉くなっても敬語なんだな」

質問した意味には答えられずに、落ち着いた笑みを浮かべる生江に、知らずに目がほそまる。

「……生江殿は」
「どうした?」
「お気に触らないのですか、私が」

そう言って、目を丸くした生江の反応に自分の発言を後悔する。
口に出さなくてもいいことを言ってしまった。相手が気にしていても気にしていなくとも、話題に出されないのなら触れなければよかったのだ。
眉間に皺が寄りかけて、同時に生江の困ったような笑みが現れ困惑する。

「だから俺を避けてたのか」
「それは……」

発せられた事実に、焦り何か口に出そうかとしたが、それが更に墓穴を掘ることになると気づき、口を噤む。確かに、于禁が生江を避けていたのは紛れもないことなのだ。それを気づかれているとは思ってもみなかったが、断定されてしまえばいい訳のしようもない。
生江は少し苦い笑みを、いつもの柔和で優しげな笑みに変え、于禁の肩を叩いた。

「変に気遣うなよ。俺はいくらお前が偉くなったって、変わらないから」
「はい……」
「だから、」

于禁の瞳をしかと見つめて言葉を続ける生江の視線から、目を逸らすことは出来なかった。

「お前も、変わらないでくれよ。俺は、于禁のことを気に入ってるんだ」

将軍、という名称も外してそう言ってくる生江に、于禁はただただ頷いた。

もしかしたら、自分は無意識のうちに彼から避けられることを恐れていたのかもしれない。
そう、思ってしまうほどに安堵が身体を駆け抜け、そうしてどこからか湧き上がる嬉しさに動揺した。

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