- ナノ -

君はゲームのキャラクター
前世で死んだ自覚が薄いため、今生の人生がゲームみたいにずっと思えている主の話


番轟三が生きていた。見つかった遺体は偽造されたもので、番轟三自身がそう仕込んでいたという。
ありえないと考えたが、資料ではるか上層部の許諾まで出ているのを見せられれば信じざるを得ない。本物の番轟三は、ふざけたことに「潜入捜査官」なんという代物で、所轄署の刑事という身分も作り出された偽物だったという。
つまり、最初から撒かれていた餌に亡霊は引っかかっていたというわけだ。
そしてそれを行ったとうの本人は亡霊が逮捕されると、とっとと他の任務へ着任したという。
どこまでもふざけた話だ。知らぬところで行われていた出来事に、納得いかない感情が拗れても仕方がなかった。
だから夕神は、己の様々な事情が片付いた後、その刑事を探した。資料を漁り、聞き込みをし、そうして対面した。

「君が、ジブンを探していると耳にしてね」

しかし、それは相手が仕組んだことであり、夕神の実力ではなかった。
数ヶ月前までは隣にいた顔が、隣にいた時の表情ではない面持ちでそこに立っている。
寒い冬、夕神が牢屋を出て新しく借りたアパートの扉の前。そこに背を預けて、赤いマフラーをつけている。
白いコートを羽織っていて、暖かそうな姿だったが長らく待っていたのか鼻が赤らんでいた。
笑みを欠かさなかったあの顔は、どこか余裕げな――慈愛さえ含まれていると錯覚するような穏やかな微笑を浮かべている。

「……なぜここが分かった」
「ジブンの職業は知っているだろう? 少し調べればすぐに分かったよ」

そう、少しだけ申し訳なさそうに語る男は誰なのか。これが本物の番轟三だというのか。
それにしては、亡霊が成り代わっていた姿とあまりに違う。姿形は同じでも、雰囲気や表情があまりにも他人だった。
番轟三らしき人物はようやく背を扉から離して、夕神に体を向けていう。

「それで、話したいことがあるのだろうと思っていたけれど、どうかな」
「……ああ、たっぷりあるぜ」

そうして夕神はその男に近寄って、横にあるドアノブに鍵を挿した。そのまま扉を開け、玄関に入っていく。
男は何も言わず、夕神の後ろをついていって、内から扉の鍵を閉めた。


二部屋あるどちらとも、畳が敷かれている。ストーブをオンにして、氷に覆われているような部屋がその前だけ暖かさを取り戻す。
冷たい座布団に夕神は腰を下ろし、男は座布団もないところに腰を下ろした。夕神の家に余分な座布団はまだなかった。

「あんたが本物の番轟三なのか?」
「ああ。そうだよ」

息が白くなりそうな冷えた空気の中で、予想できた言葉を交わす。

「なぜ亡霊が逮捕された後に、姿を見せなかった」
「亡霊を追う任務から外れたからね。そもそも、潜入捜査官が姿を見せる意味はないと思うよ」

同じく亡霊を追っていたとはいえ、番轟三の立場は潜入捜査官であり、夕神は囚人検事だった。すれ違うこともないと番は言う。
しかし、番はおもむろに首を包んでいたマフラーをとった。それから、手にはめていた白い手袋も。その動作に、思わず夕神の目が釘付けになる。
その手の甲には、大きな傷はひとつもなかった。ただ、細かい傷があちこちにある、現場を知る手がそこにあった。
両手を擦る番に、部屋が暖かくなってきたのだと夕神はようやく思い至った。手を凝視していた夕神に、番はそっと微笑む。

「それに、君に嫌われるだろうと思っていたから」
「……亡霊があんたに化けていたからってか?」
「いいや、価値観が合わないだろうと」

そう言って口を閉ざした番に、夕神はにわかに不機嫌になった。そんなチンケな理由で、対面を避けたのか。

「どう合わねェってんだ?」

低い声色で尋ねた夕神に、番は穏やかに答える。

「目の前にガラスの壁があるようなんだ」
「ガラスの壁?」
「そう。テレビ画面のように、自分や君が、ゲームのキャラクターのように見える」
「……何言ってやがる」

番は声を出して笑った。夕神の唸るような声に対して、朗らかであった。

「意味がわからないよね。分かるよ。そうだな、最もらしくいうと、ジブンが存在している感覚が希薄なんだ。どうも、感情移入がしづらい。こうして話をしているジブンもジブンではないような気がするし、君も現実に存在している人なのかどうか、ジブンには確信が持てない」
「ならなんだ。あんたも亡霊と同じく、感情がねェとでもいうつもりか」

理解し難いことを口にする番に、そう告げる。その亡霊は最後には恐怖を自覚し、哀れなほどに怯えていたが。
それを知っているらしい番が、ふふふ、と笑う。似合わない笑い方だった。いや、それが正しいのかもしれない。

「感情はあるよ。ただ感じ取るのが苦手なんだ。ガラス越しに見ていて、どうも現実味がないから、どう感じていいか戸惑ってしまう」
「……そんなンで潜入捜査官なんぞできんのか?」
「それは心配いらないよ。潜入するときは、切り替えるんだ、人を」
「切り替える?」
「そう、ゲームのキャラクターを切り替えるようにね」

そう口にする番に、嘘はないように思えた。冷静で、真実しか語っていない真っ直ぐな瞳。かつて隣にいた男に似ているようで、全く異なる冷たい真実を突きつけるような目だった。
確かに、この男はそうなのだろう。おそらく亡霊が化けた番轟三という刑事も、この男が演じた一つのキャラクターというわけだ。
ならそれは、亡霊と何が違うのか。ガラス越しにこの世界を見ているという男の本性はどこにある?

「あんたは、自分があるのか?」
「ある……と思っているよ」
「曖昧だな」
「そう、曖昧なんだ。あるにはあるけれど、ガラスの向こうだから、明確にあると断言もできない。だから、正直亡霊には同情したよ」
「同情だって?」
「やってきたことに対する仕打ちとしては優しいぐらいなのは分かっているけれど。核が薄いジブンとしては、何もないのだと突きつけられている逃げ場のない彼は、どうしても他人事に思えなくてね」

そう、少し眉を下げて口にした男は、本当に亡霊を哀れに思っているようだった。
腑が棒でぐるぐるとかき混ぜられているような感覚がして、眉間に深い皺が寄る。それに、ほら、と声が聞こえた。

「嫌だろう? こういう奴は」
「……俺は何も言ってねェぜ」
「そうだね。けれど分かるよ」

君のことも調べたから。そう物知り顔で口にする男に、混ぜられた腹が煮えた。

「あんた」
「なんだい」
「俺の担当刑事になりなァ」

はた、と目を丸くした男に、ようやく夕神の溜飲が少しだけ下がった。
パチパチ、と瞬きをした男は、考えるように少し身じろぎをした。

「それは難しいと思うよ」
「あんたの権限なら行けるだろ?」
「できないこともないけれどね」
「なら来なァ」

そう口にする夕神に、男は初めて困ったような顔をした。それに、喉の奥で笑いが溢れる。
それを聞いて、男はさらに困ったように眉を下げた。

「後悔するよ」
「しねェよ」
「もっといい刑事がいるさ」
「潜入捜査官なンだろ。あんたほど優秀な奴の方がいねェさ」
「うーん」

夕神の言葉に異論はないらしい男が、割れた顎を考えるように擦る。
そうして、ひとつ息をついて口を開いた。

「分かったよ。そこまで君がいうのなら、担当刑事に『成りに』いこう」

潜入捜査官らしいことを言う男に、夕神はようよう笑った。囚人も顔負けの黒い笑みであった。

「ああ、楽しみにしてらァ」

――番轟三さんよ。

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