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君と共に正義の道へ!
「亡霊」と呼ばれている自分が自我を取り戻したのは、今から五年ほど前のことだった。
亡霊なんて大層な名前で、じゃあ死んでいるのかといえばそんなこともなく。私は健康に何年も生きているおそらく成人している人物であるはずだった。
はずだった、と言うのは私でもよく分からないからだ。
亡霊というのはいわゆる警察関係者が使う犯罪者へのあだ名であり、私の場合は国際的なスパイだった。様々な人物に変幻自在になりすまし、様々な裏工作を成してきた。そう、それは分かる。だが、私が分かるのはそこまでだった。
自分が生まれた国も、本当の名前も、家族も、性別すらも分からない。暗闇に溶け込むように、そういった自分を形づくるパーソナリティが消えて無くなってしまっていた。性別ぐらいなら病院へ行けばわかるのかもしれないが、各国の警察やら裏組織やらから追われる自分が簡単に行けるわけもなし。性転換手術も何度か行っている形跡があって、元々はどちらだったのか、今はどの機能が生きているかもわからない。
そんなのだから、五年前までは本当に「スパイ」という機関だった。自分の意志もなく、ただ依頼されたものをこなすだけ。それがアイデンティティになってしまった虚しい怪物。それが私だった。
それがどうして自我を取り戻したかといえば――いやぁ、思い出しましたよね、前世。

何言ってんだという話だが、思い出したものはしょうがないのだ。
多分瀕死の重症とか負った後だと思うのだが、気づいたら自我が発生していた。かなり混乱も動揺もしたが、記憶がそれなりにはっきり思い出せたので「前世の自我」がこの体を席巻したのだ。ある意味乗っ取りだ。まぁ、自分自身だからいいんですけど。
前世の自分は至って平凡な女性だった。どうやって死んだかまでは思い出せなかったが、そこそこの年齢までは生きていた気がする。子供はおらず、趣味は漫画やゲームという、本当にごくごく普通の一般人であった。
そんなわけで前世を思い出し、平凡な自我を会得した私は――戦慄した。
何やってんの私、と。
だって国際的なスパイだ。裏工作、誘拐、脅迫、殺人、テロ、なんでもござれ。人でなしを形作ったような人物になっていたのだ。そりゃあ戦慄もする。
そして出した答えが――スパイ引退である。
当たり前だ。こんなスリリングで残虐で危険極まりない仕事続けてられるか! 私は依頼を全て投げ出して逃亡を開始した。ふふん、誰にでも変幻自在な自分にだったら逃亡なんてお茶の子さいさい――と思っていたのだが、甘かった。
どうやら闇の世界から逃げ出したスパイを各国の闇の連中は生かして置けなかったらしい。まぁ、そりゃあどっかの警察とかに協力して情報を吐き出したら一巻の終わりですもんねあはは〜と言っている場合ではなかった。
スパイとしての全力を出して逃げて逃げて逃げまくったのだが、それでも奴らは追ってきた。最終的には次代亡霊とやらまで参戦してきて、なんだそれ聞いてないぞ!! 状態であった。それでも初代亡霊の名にかけて逃げて逃げまくり――どうにか襲撃も収まってきた頃。
それが自我を取り戻してから五年後のことであった。
マジでこの五年間ずっと死ぬかと思った。次の瞬間死んでいるかと思ってもう怖くてしょうがなかった。スパイになんかなるもんじゃない。

そんな中、隠れるためにやってきた日本で、あるニュースを見た。

『大河原宇宙センターでの希月真里博士殺害容疑で、検事である夕神迅容疑者が逮捕されました』

街角を歩いている時に街頭テレビで流れたそれに、最初はへぇー、日本も物騒だなァという感想しか抱かなかったのだ。
のだが、何か気になった。なんだか重大なことを忘れているような、取り逃しているような。
こういう勘はあながち当たっているものだ。こういうのが逃亡の手助けになったりする。早速私は大河原宇宙センターや希月真里、夕神迅検事を調べ始めた。調べ始め――この希月真里博士殺人事件は、夕神迅検事の仕業ではなく、亡霊――私ではない、次代のだ――の仕業であると悟った。
それは情報をかき集めた結果得られた真実――ではなく、私がしっかり思い出せていなかった前世に起因した純然たる事実であった。
そう、私の前世では、逆転裁判というゲームが存在していた。その中で、いたのだ。夕神迅というキャラクターが。
調べれば調べるほど、なんか聞いたことある、なんか見たことがある人物たちが出てくる出てくる。決め手が成歩堂龍一弁護士であった。そのとんがり頭をみたらもう思い出すしかない。
そう、どうやら私は死んでゲームの世界に転生していたようだった。しかも――逆転裁判5に出てくるラスボスの亡霊として。
いや、実際のところ私はもう引退しているし、希月真里博士を殺したのは次代の亡霊であるし、私は関係ないのか? しかし、前世を思い出して引退などしていなければきっと私がHAT-1――いわゆる宇宙探索計画――の妨害工作をしていただろし……やっぱり完全に無関係というわけでもない。
しかし、私がいなくとも次の亡霊がああして事件を起こしてしまうのだな、と思った。世界の流れは変わらず、原作で発生したことは必ず起こるということだろうか――。そこまで考えて、ふと思い出した淡い記憶が脳裏によぎった。
逆転裁判というゲームシリーズを思い出したと言っても、全てを鮮明に思い出したなんてことはない。前世でもゲームをやったのはかなり昔であったし、内容をほぼ忘れているナンバリングもある。逆転裁判5は比較的覚えている部類だとは思うが、それでも主要キャラの簡単な展開とか、最終的にどうなったかぐらいしか思い出せない。その覚えている中で――確か数年後に実行されるHAT-2の妨害工作でなんかこう……主人公の親友が死んだ気がする。亡霊の仕業で。
主人公というと成歩堂だろうか? しかし成歩堂の親友というと赤い検事とヤッパリだろうし、その二人が死ぬとは思えないんだけどなぁ。どこか食い違っているような気がする。他にもいたよな、主人公。じゃあそっちの親友が死んでしまったのだろうか。ああ、なんかそんな気がする。
かなり記憶が曖昧だが、総括すると亡霊のせいで再び悲劇が起こるというわけだ。
元亡霊の元一般人の自分からすると、なんとも辛い現実だ。もちろん自分の命が最優先ではあるのだが、目に見えている悲惨な未来をただ待つのも、また一般人の自分からすると苦しい。
それに何か引っかかるところがある。私は前世で、逆転裁判5でひどく苦しんでいたような……。
なんだったか。その親友の死はあまり覚えていないのでそこではないだろうけれど、ああ、うーん、そう、夕神検事あたりに関係していたような。
彼もかなり不遇な立場だったような気がする。しかしゲームは大団円を迎え、主要キャラは全て生き残って――全て?
いや、全てじゃなかった。そうだ、あの――あの白い刑事がいたじゃないか。
そう、番轟三! すごい、フルネームを覚えている! 絶対彼だ。彼に苦しめられたのだ。名前まで思い出したらあとは直ぐだった。そう、彼こそが逆転裁判5のラスボスにして亡霊、気の良い正義に溢るる刑事の姿は成り代わった相手を真似ていただけで、成り代わられた本人は既に死んでいるというすごい設定だった。そして私は――番刑事と夕神検事のコンビが大好きだったんだよなぁ……。
そうか、悲しんでいた理由がわかった。そのコンビの番刑事が偽物だったどころかラスボスで、しかも本来の番刑事はとっくの昔に死んでいると判明してショックで寝込んだのだ。寝込んだかまでは思い出せないけど、今考えても胸が痛いので多分寝込んだのだろう。

はーなるほど、あれが数年後にね。ふぅん。へぇ、ほぉ……。
世界は原作通りに進んでいる。私という亡霊が抜けても、新しい亡霊が跡を引き継ぎ同じ事件を起こした。
何も変わらない――ただ流れから退場するだけでは。
なら、あえてその流れを乱すとしたら?

そんなことをしたら、ようやく追跡が鈍ってきたのに、自分から餌になりに行くようなものだ。
それに元とはいえ様々な重犯罪を犯してきた身。裏からのみでなく、表からも当然追われる立場なのだ。
ただお気に入りのキャラを助けたいとか、起きる悲劇を防ぎたいからとか、そういった理由で命を危険に晒すわけにはいかない。
いかないけれど――ここで動かなかったら、私は亡霊のまま生き続けることになるんじゃないだろうか。
生きるためだけに生きるんじゃなくて、何かを成し遂げたい。自分が正しいと思うことを。

「……なら、最初に彼を探そう」

そう薄暗い部屋で呟く。自分のマスクを撫でて、湧き上がってきた充足感に胸が躍ってきた。

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bkm