十五を越えてから月島は苦崎との喧嘩になかなか勝てなくなっていき、十七の頃にはほぼ苦崎に軍配が上がるようになった。
背丈もどんどん月島を追い越していき、細かった苦崎の手足は月島と同じぐらいの太さになった。当然、月島も背は伸びたし、筋肉もついたが、苦崎は若草のようにぐんぐんと成長していった。そして、常に被っていた襤褸布も脱いだ。代わりに春見から送られた頭巾を被って、申し訳程度に顔を隠している。今まで彼を腫れ物扱いしていた島の大人も子供も、女は総じてその顔を見て黄色い悲鳴を上げた。
そのどれもが気に入らなくて、月島は日々歯噛みするようだった。けれどそれを口にする権利などないし、きっと彼にとっては理想の成長の仕方をしているのだろう。それに文句をつけたくなかった。自分より大きくなり、腕っぷしも強くなり、最近ではよく一人で勉強もしている。これ以上賢くなってどうするのかと思うが、彼にはまだまだ足りないのだろう。
苦崎が危険を伴う隠し事――おそらく仕事だろう――を辞めたため、月島と喧嘩をすることも一気に減った。ただ、彼は勝てない取っ組み合いに、月島が歯を砕きそうなほど食いしばったことを、全く理解していないのだろう。
この頃になればひもじいながらも食うに困ることは少なくなった。
海や川で魚を十分に釣る手段を覚え、それらを売って金を稼ぐこともできるようになった。
今日は腕相撲で苦崎に負けた月島が海まで魚を取りに行き、二人で昼飯の準備をする。取り止めもない話をしている中で、苦崎が思い出したようにいう。
「そういや、どうだった。あれは」
「あれ?」
「贈ったんだろ。ちよに、簪(かんざし)」
頭巾の影になっているものの、にやにやとした笑みはよく見える。月島はつい準備をしていた手を止めた。
「……」
「なんだよ。喜ばれなかったか?」
「……どうで(どうして)おめに言わんといけん」
「どうでって、相談聞いてやったろォ」
不服げな声を出した苦崎は、嫌らしかった笑みを潜めていたずら小僧のように笑う。それから話は終わりと言わんばかりに月島から顔を逸らした。
飯の準備はまだ途中だ。火を起こそうと石を叩くカチカチという音を聞きながら、簪を贈った彼女のことを考える。
昔から苦崎が正月でなくても、生まれた日を『誕生日』と言って祝うので、三人の間では生まれた日も祝うのが当たり前になっていた。そして春見の誕生日が近づいてきて、何か特別なものを贈りたいと思い至った。しかし、唐突に思いついたことで、何を贈っていいかもわからず、仕方なく苦崎に相談をした。すると、月島が驚くような勢いで苦崎が相談に乗ってきたのだ。
月島が春見と恋仲になったことは、苦崎には告げていない。だが、当然のように知っていた苦崎は嬉々として「簪か櫛にしよう」と告げてきたのだった。なんでも簪は女性に贈る定番の贈り物であり「あなたを守る」という意味があるという。対して櫛は「苦死」とかけて、「結婚して苦労も幸せもともにし、死ぬまで添い遂げる」という意味がある。簪はいいが櫛は気が早過ぎて頭がおかしいのではないかと思いながら、簪の方を贈ることに決めた。
金についてはそれまで貯めていた貯金を叩き、安物ではあるものの、小さく花の意匠が施された木製の簪を手に入れた。
贈られた春見は――とても喜んでいた。
月島や苦崎と共にいたせいか、化粧っけの全くない春見であったが、背まで伸びるくせっ毛をまとめる手は慣れているようだった。彼女の愛しい髪に自分が贈った品が付けられているというのは、なんだか胸が熱くなり膨らんで、詰まるような気持ちになった。
食事の準備をしながらたわいもない話をしていると、転じた話題の先で彼女の話が出た。
最近は家族から自分達と集まることを半ば強引に止められているらしい春見だったが、これもまた二人と長らく共にいたおかげ(せいか)、監視の目を掻い潜ってやってくることがままあった。今回も抜け出せれば来るらしいと苦崎に伝えれば、喜ばしげに声が跳ねる。
「一応ちよの分も残しとくか」
そう言って魚の処理をする苦崎を手伝いながら、ふと――頭の片隅で長らく思っていたことを――尋ねてみた。
「なぁ、どうで(どうして)『ちよ』て呼んどるんさ。おめは苦崎って呼ばせるとるんに」
「深い意味はねぇけど……」
手を止めて眉を傾げた苦崎に、本当に深い意味はなさそうだと察すれば、途端、苦崎の両頬がにゅっと上へと上がる。いやぁな笑み。
「なんだぁ? 俺に嫉妬してんのかぁ?」
「なっ、してねぇっちゃ!!」
苦崎は時折、こういうイジリをしてくることがあった。その度に、月島は顔が熱くなり肩が跳ねる。今回は体が跳ねた拍子に基地の屋根に頭があたり、パラパラと葉が落ちてきた。食事の用意をしている最中での出来事だというのに、苦崎は全く気にするそぶりを見せずにただ月島を観察して、大層楽しげに笑みを浮かべている。
額に血管が浮き出しかけたが、挑発に乗るなと自制する。ただ少し睨め付けながら、本題の疑問を吐き出した。
「ただ、なんして『畢斗』て呼ばせんのか気になっただけさ」
苦崎は、ピンとこないような顔で「んー?」と声を上げる。
出会った当初、まだ苦崎はちよに心を開いていないように見えた。だから、苦崎と呼ぶようにと言ったのだと思った。
だが、何年経っても春見は苦崎のことを「苦崎ちゃん」と呼び、苦崎は春見のことを「ちよ」と呼ぶ。
春見は「慣れちゃったっちゃ」と言っていたが、苦崎も似たようなことなのだろうか。
苦崎は悩むそぶりを見せず、簡潔に告げた。
「別に、下の名前はお前が呼ぶだろ?」
「なんそりゃ、すべ(理由)になってねぇ」
「だから深い意味はないって言ったろ」
深い意味も考えもないだろう言葉に、睨みつけていた目を元に戻す。
家族であるから特別であるかもしれないという考えも、逆に家族でないから苦崎と呼べるのかもしれないという考えも、どちらも箒ではかれるように散らされる。なんでもないならそれでいいと、月島はその取り止めのない会話を止めた。