- ナノ -

ぐちゃぐちゃ27
年月が流れ、月島の歳は十になった。
月島が十歳になった時、苦崎はひどく喜んで、滅多に食べられない量の食事で祝ってくれた。いつもが手のひら分だとしたら、両手分ぐらいだ。
一度食べてから好きになったいごねりも出てきて、一体どうしたのだと問えば、苦崎は気にするなと笑っていた。
しかし、その頃からだった。苦崎が喧嘩ではできない傷を負って帰ってくるようになったのは。
家におらず、月島が島を探しても見つからないことが増えた。
島の子供と喧嘩をしている様子はないのに、酷い打撲や切り傷を負うようになった。
当然見過ごせなかった月島はなにがあったのかと尋ねたが、苦崎は「喧嘩をしただけ」という見え透いた嘘で誤魔化すだけだった。
喧嘩をしてくるのは、別によかった。苦崎は男であるし、喧嘩も十分に強くなった。胸の奥に隠れた幼い心は否定的であったが、それは月島の自分勝手な都合だ。喧嘩で怪我をするのも、仕方がないことであるし、苦崎も腕っ節をつけてきてからは大きな傷もめっきり減った。
けれど――自分に嘘をついて、大きな怪我をして帰ってくるのは許せなかった。
どうして言わない。なんで嘘をつく。――たった一人の兄弟なのに。
大事な家族なのに、どうして隠し事をする。

「そいで、喧嘩したさ?」
「……俺は悪くねぇっちゃ」

あざや擦り傷をこしらえた月島がそう呟く。
月島と喧嘩をした後、苦崎はそのまま家を去ってしまったという。小屋の方で一夜を過ごしたのだろう。
春見は眉間に皺を寄せる月島を見ながら、胸がソワソワとしていた。彼らが喧嘩をするのを見たのが、初めてだったからだ。ギスギスとした言い合いをしているところも見たことがないし、手の出るような取っ組み合いなんてもってのほかだった。
春見は月島の怪我を心配しつつも、声をかける。

「あんま、二人が喧嘩しとるところ見たことないっちゃ」
「……初めてや」
「えっ」

ポツリと呟いた言葉に、衝撃を受ける。仲がいいとは思っていたけれど、喧嘩も今回が初めてだったなんて。
場違いにも嬉しい気持ちになりつつ、けれど今は初めて手が出てしまったのだ。

「その……嘘つく苦崎ちゃんも悪いけど、蹴っ飛ばしたのも良くないけ」

発端は嘘をついた苦崎であったが、誤魔化して家を去ろうとする彼に飛び蹴りをかましたのは月島だった。
ムッ、と月島の眉間の皺がさらに寄る。シワシワになってきた顔に、春見はうぅんと頬に手を置いた。

「仲直りせんの?」
「喧嘩は俺が負けたんじゃ。仲直りもなにもねぇっちゃ」
「けど」
「仲直りは自分が悪りぃことしたら、そいを謝ることや」
「そうやけど……」
「だすけん、俺は悪くねぇっちゃ。きいやんだ(心配した)だけじゃ。そいで、負けた方が勝った方のゆうこと聞くいうて喧嘩して負けたんじゃ。だすけ、畢斗が悪りぃゆうても、勝ったあいつの言い分を通すしかねぇ。嘘でもなんでも、わかった言うしかねぇっちゃ」

そう口にする月島は、しかし手を握りしめていて、一つも納得などしていなさそうだった。
喧嘩をして勝ち負けを決めれば、仲直りをしなくていいなんてことはないはずだ。春見がどう伝えればいいだろうと頭で言葉を考えていれば、ふっと不機嫌そうな彼の顔が何かを思い出したように変わった。なしたん? と声を掛ければ、月島が口を開く。

「顔……」
「顔?」
「……顔について言うたら、様子が変なった」
「変って……なん言うたさ?」
「女げえな(みたいな)顔、ゆうた」

春見は、二年ほど前に朝日が登ったばかりの小屋で、初めて苦崎の顔をみた。
それから、一度見せたからか、二人きりだったり、三人だけだったりする時に、数は少ないが苦崎は袋を取るようになった。何か食べる時だったり、暑くて仕方がない時のような、どうしても脱いだ方がいい時だけであったが。
苦崎の顔は、女みたい、と言えばその通りとしか言いようがなかった。今まで見てきたどんな人より可愛らしくて、どこか透明感のある美人としか言いようのない顔。傷もない綺麗な肌が袋から現れると、ドキリとしたものだった。けれど、その眉は苦崎の性格を表すようにキリリと眉尻が上向いていて、格好良くもあった。
けれど――いつも袋を被っているということは、その容姿を隠したがっているということだ。
春見は苦崎の容姿に言及したことはない。春見にとって、時折現れる顔の方が非日常だったから。しかしよく考えてみれば、あの顔は苦崎にとって嬉しくないものだったのかもしれない。

「苦崎ちゃん、自分の顔嫌いっちゃ?」

自然と出てきた問いかけに、月島が少し押し黙ってから「そうかもしれん」と返した。
その声がどこか苦々しく聞こえて、視線を月島に向ければ、そこには少しばかり青い顔をした彼がいて、春見は目を瞬かせた。

「ど、どしたん?」
「…………苦崎に、嫌われたかもしれん」
「えっ」

驚きと、既視感を同時に感じて春見は目を見張った。
その言葉が、なんだか以前にも似たようなことを聞いたことがある気がしたのだ。
そう、確か四年前――月島と春見が出会って、まだそれほど月日が経っていない頃。同じように月島は悩んでいたはずだった。

「……なしてそう思うん?」
「かなり前に、ちよに畢斗のこと話した時のこと、覚えとるか? 何年も前の、あったばかりの時や」

そう口にする月島に、春見はコクコクと頷いた。ちょうど、春見もその時のことを思い出していたから。
月島は、青い顔をしながら続けた。

「……そんときに、色々、あったんじゃ。そいから、畢斗は布を滅多に外さんくなった。言葉も変えた。女っぽいと舐められる、言うとった」

色々、というのがなんなのかは分からない。昔に話を聞いた時にも語られなかった。
しかし、春見はなんだか心臓が冷えるような心地を味わっていた。脳裏に何かがよぎった気がした。
ブルブルと頭を思い切り振って、深く考えそうになったそれを振り払う。それに月島が驚いたような視線を向けて、春見は無理やり笑みを作った。

「なら、そいを謝ればいいっちゃ!」
「……けど」
「苦崎ちゃんが基ちゃんを嫌いになるなんて絶対ないっちゃ!」

半ば勢いで口にしたことではあったが、それは春見の本心だった。
かつては、憧れの光景を否定されそうになったことへの八つ当たりだったかもしれない。けれど、今はこれまでの二人を見つめてきた上での確信だった。
苦崎は月島を嫌いになることはない。二人は確かな絆で結ばれていて、お互いにお互いのことを大事に思っている。
そんなのは、二人をよく見ている春見にはお見通しだった。お互いが気づいているかは、ちょっと分からなかったけれど。

そうして、春見は月島の背を推すようにして苦崎を探し回った。
彼を見つけたのはもう陽が落ちた後で、秘密の基地へ行こうとしているところを偶然発見したのだった。
月島が「……すまん」と不器用にいうと、苦崎は慌てたように「俺もすまなかった。大人気なかった」と食いつくように口にしたので、春見はほら! とつい言いそうになって、慌てて手で口元を覆った。





初めて二人が喧嘩をしてから、よく取っ組み合いをするようになった。
それはやはり苦崎が隠し事をしていたからであったり、拗ねた月島がつい苦崎に強く当たったからであったりした。些細なことでも言い合いや喧嘩をするようになり、最終的には取っ組み合いで勝った方の言うことを聞く、というのが流れとなった。
春見はそれを聞いたり見たり――春見がいる前では滅多に喧嘩せず、彼女がいなくなってからするようだが――していた春見は、とても心もとなかった。あれだけ仲がよかったのに「畢斗に足引っ掛けられて擦りむいた」で傷だらけになった膝や「基に胸を殴られた」で青あざになった胸元を見て、どうとも思わないわけがない。

「仲が良くても、兄弟でも、喧嘩はする。……そういうもんだろ?」

春見が不安を溢せば、苦崎はそうやって慰めた。その言い方は、自分への慰めのようでもあって、ならどうしてと思う。
苦崎はあの一件から、段々と羽振りが良くなった。いや、元々彼らは貧乏暮らしで、服も下駄も何年も使って、苦崎のかぶっている布も大きくなる頭に合わせて継ぎ接ぎをしているぐらいだった。それが、安物ではあるけれど彼らが新しい着物を着ていたり、足の大きさに合った下駄を新調していたりということが起きた。食糧も少しだけ増えたように感じるし、新しい本で苦崎が勉強を教えることもあった。
けれどそれに比例するように、苦崎も喧嘩以外での傷が増えていく。ある時には腕に膨れるように布を巻いていて、悲鳴をあげかけた春見が何があったのかと問い掛ければ「不注意で骨が折れちまった」と笑っていたが、隣にいた鬼もかくやという月島が「白い骨を見たんは初めてや」と忌々しく口にして、春見は驚きすぎて口がポッカリ空いたままだった。
それも数ヶ月して治っていたが、その場所にはくっきり怪我の跡が残っている。
それでも苦崎は何をしているのかを月島には言わなかったし、当然春見にも何も言わなかった。
けれど、春見は苦崎がなんとなく何をしているのか、察していた。母にそれとなく子供でもできる仕事の話を聞いたのだ。この佐渡島では有名な金鉱山が存在していて、そこでの軽い手伝いなら子供でもできるだろうと彼女の母は言った。しかし当然、落石や洞窟が潰れることがある危険な場所で、使い潰しの子供などは顧みられない。近寄るのも絶対にダメだと言われて、きっとそこに苦崎はいるのだろうと春見は思った。
思って、春見は苦崎にそうなのかと尋ねた。
苦崎は驚いた表情を――袋の下で――して、それから春見に頼み込んできた。

「あいつには、黙っていてくれないか。頼む」

頭まで下げられて、春見は迷ったが、最終的に頷いた。
本当はお互いのために伝え合った方がいいんじゃないかと春見は思った。――基ちゃんは黙っていたことに怒るだろうけれど、きっと苦崎ちゃんだけが苦労しないように手伝ってくれる――しかし、たぶん苦崎は、それではダメなのだ。
苦崎に味方したわけではなかった。ただ、春見が彼からのお願いを拒否できなかっただけ。いつもはお願いなんて滅多にしない苦崎の頼みを、春見はどうしても断れなかった。断ってしまったら、彼が――あり得ないとわかっているのに――泣いてしまうような気がして。

一度了承してしまったら、やはり彼のために黙っていなければいけない。
月島が苦崎が怪我をするたびに暗い顔をしているのを、春見はひどく重い心地で見守ることしかできなかった。

「俺は、あいつのお荷物かもしれんな」
「な、何言っとるの、基ちゃん」
「本当のことじゃ」

あっけらかんと言う月島の表情はいつも通りで、悲しさとか、怒りとか、呆れとか、そう言うものは見つけられなかった。
海辺の岩場に二人で腰掛けて、揺れる海を眺めていた。昨日も苦崎の怪我の手当てをした、と話を聞いたから、いつもの通り彼への愚痴が出てくるものかと思っていた春見は心もとなくなる。
下駄を脱いだつま先で、月島が水面を蹴る。跳ねた海水が遠くへ飛んだ。

「あいつは俺よりでかくなって、喧嘩も強ぇなった。やり合っても、五分五分や」
「そうやったん?」
「そうや。畢斗は一人でも生きてけるぐれぇ、強なった。きいやむ方がおかしいんやもな」

あいつは、一人の方が身軽かもしれん。そう言って、月島は空を見上げた。
晴天に、ちぎれた白い布のような雲がポツポツと流れている。春見はつい、でも、と口にした。

「でも、大事なんよね」

はた、と月島の目が春見へ向く。それに、そうやろ? と微笑んで返した。
ガリガリと首裏を掻いて、彼は言葉を返す。

「家族やから、ずっと一緒におるもんかと思っとった」
「なら、一緒におればええんじゃ」
「……俺があいつの荷物になっても、あいつがそうしたくなくてもか?」
「うん。基ちゃんが一緒にいたいなら、そうすべきっちゃ」

月島の問いに、春見は真っ直ぐに返した。その実直さに、月島は目を瞬かせて、なら、と続ける。

「ちよは別のうちの子らすけ、一緒におれんくなるんか」
「へっ? おい?」
「そうや」
「え、と、」

突然回ってきた自分の話に、スラスラと出てきていた言葉が急に止まってしまった。
そして吃(ども)ったまま、つい「基ちゃんは、一緒にいたいんか?」と口からこぼれそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。
だって話の流れが、そんなふうだったから。春見は変に熱くなる頬に「熱くない!」と内心で叱咤しながら、なんとか差し当たりのない言葉を出そうと四苦八苦する。それを、目の前の少年が見つめながら言った。

「俺は一緒にいたい」
「っ、へ」
「ちよといると、心が落ち着くんじゃ。迷っとる時は背中を押される。大事だすけん、離れたくねぇっちゃ」
「は、ぇっ、け、けど、お、おい、その、見目がいいわけやないしっ、髪もこんなんで――」
「何ゆうとるんじゃ」

彼が少し怒ったように言うので、キョロキョロと忙しなく動いていた瞳がついそちらへ向く。
真剣な目をした月島が、さっきの春見のように真っ直ぐに見つめながら口を開く。

「俺を名前で呼んでくれるおめが好きらすけ、その髪も俺にとっては愛しげら」

そうして少し笑って、おめの髪をからかう奴は俺がしゃつけてやる、と続ける。
春見は息が止まって、何も言えなかった。最初はただ友達になりたかった。髪を揶揄われているところを助けてくれて、話をして、遊んでくれて、頼りになって、でもどこか不安げな姿に、春見も、ずっと隣に居られればと心のどこかで思っていた。
けれど彼らを取り巻く環境は厳しくて、その中でも月島は自分の代わりに悪意を跳ね除けてくれて、春見には友達が二人もできた。苦崎についてはわからなかったけれど、彼は春見以外の友達はできなかった。

「だすけん、基ちゃんはみんなに嫌われたっちゃね」

そうポツリと落ちた言葉に、少年が今度こそ大きく笑う。

「俺にはちよと畢斗がいれば十分っちゃ」

それ以上の解答はなかった。だから言葉はすぐにこぼれでた。

「……うん。おいも、おんなじっちゃ」

その言葉に、月島が眩しそうに目を細めた。明るい空の中、深く美しい緑色の中に星が煌めく。
兄弟でお揃いなのだ――そう、微笑んで、それからもう一人の名前を口にした。

「苦崎ちゃんのこと、諦めんで」
「おう。ちょっと決めつけてたさけ。考え直すけん」
「うん」

前向きになってくれた月島に、ほっと胸を撫で下ろす。
そうして灯った胸の熱に、手をぎゅっと握り締めた。月島の言葉を思い返して、今更頬が熱くなる。揶揄われて嫌だった髪が、特別なものに感じられた。
そう、ずっと、ずっと三人でいられたら、きっと――。





「ずっと一緒にいたいなら、ちゃんと言葉で伝えろよ」

そう、骨が露出していた傷跡を、確かめるように撫でながら苦崎が言った。それから軽くその腕を動かした後、花へと手を伸ばす。
見晴らしの良い海岸の緑の丘に、蜜柑色の花が広がるように咲いている。名前はカンゾウというのだと、目の前でその花を手折っている苦崎が月島に教えてくれた。

「どういうことじゃ」
「そのままの意味だよ。思っててもあまり人には伝わらない」

腕をポッキリ折ってから、苦崎はコソコソとどこかへ消えることがなくなった。おそらく、隠し事は腕が自由でないとダメなのだろう。それも、もうすっかり治ってしまって、傷跡だけが残ったからまた再開するはずだ。突然説教じみたことを始めたと思ったら「ちゃんと言葉で伝える」という苦崎が一番できていないことを言われ、月島は倣うように花に手を伸ばしながら眉間に皺を寄せた。

「できるだけ根本で切れよ。上の方じゃ売りもんになんねぇ」
「これを売るんか?」
「ああ。安いけど、ここの花を島の奴らは売らないから、捌けるのは早い」

鎌と包丁をそれぞれ持って、花を回収していく。手元に鮮やかな色が集まって、悪い気分ではなかった。
春の陽気に誘われ、脳裏にくせっ毛髪の友人が緩やかに浮かぶ。ずっと一緒にいたいなら――そもそも、ずっと共にいるものだろうと思っていた。けれど、当然そうではない。月島は、この島が嫌いだった。自分達を腫れ物、邪魔者扱いし、家でもやっかまれるような陰鬱な場所にずっといるつもりはなかった。しかし、それでも、その先でも、三人でいるものだと思い込んでいた。
だが、何も言わなければ、少なくとも春見は島に残るだろう。
彼女と離れ離れになるのは、月島には考えられなかった。優しいけれど、いざという時は背を押して、共にいてくれる。一緒にいると心が和らいで、離れ難くなる。その感情が恋情だと気づいたのは、少し前のことだった。
いつか伝えようと思っていた心に発破をかけられたような気がして、熱に炙られたように火がついた。
腕に抱えていた花を潰しかけて、見計らったように「売るんだから丁寧に扱えよ」と声をかけられて、ハッと正気に戻る。
言われずとも、彼女に、ずっと一緒にいようと伝えよう。
けれど、彼は?

「……おめは、大人になったらどうするつもりなんじゃ」
「大人ぁ?」

ずっとの先は大人だろう。まだ十を過ぎて数年しか経っていない月島がそう同い年の苦崎に尋ねると、気の抜けた声が届いた。
屈んでいた腰を上げて、月島よりも高くなった背で数メートル後ろにいる月島をみやる。

「そうだなぁ、島から出るのは当然として、二十歳になった徴兵されるからなぁ」
「ちょうへい?」
「ああ、二十歳になったら兵士として国で働くんだ。だからいずれにせよ、一度は島から出る」

今度、ちよと一緒の時に教えるつもりだ。と告げられて、こいつはなんでも知っているのだな、と改めて思う。
知らぬことはないのではないかというぐらい、彼は物知りになった。当然、そんなことはないのだが、月島からしてみればそう見えた。
彼は、とうに一人で完成されているように思える。もうすでに、大人だった。

「島から出て、どうすんじゃ」
「さぁ、まだ決めてない。けど、そうだなぁ、商売とかも面白いかもな。商才あるだろ、俺」

そう言って手に持っている蜜柑色の花々を掲げる苦崎に、そうじゃな、と返した。
この島から出たら、きっと彼は一人で大きな成功を収めるだろうと月島は思う。二十歳になる頃には、もっと立派な体躯になり、もっと物を知る。そうして――そうして邪魔な父を振り切って島の外へと走っていく。
その隣で、月島は共に走れるだろうか。
――きっと、苦崎は優しい男なので、月島が遅れていたら立ち止まって待っていてくれるだろう。そうして自分が走れなかったのを何事もないようなふりをして、月島に合わせて足を進めてくれる。
そんなことは、許せなかった。

「おめは器用じゃからな」
「はは、まぁな」

上機嫌に笑う襤褸布を被った少年を眺めて、その足が止まらなければいいと、月島は願った。

prev next
bkm