- ナノ -

ぐちゃぐちゃ26
陽の光が瞼越しに目を焼いて、暗闇にあった意識が引っ張られる。
月島は重い瞼を押し上げて、その場でぐいと腕を伸ばした。のそりと起き上がると、隣にあった人影がないことに気づく。
今日もなにも言わずに外に出かけたらしい。ボリボリと首裏をかきながら掛け布団がわりの布を取っ払う。
奥の部屋へ続く扉が開いていて、そこから汚いイビキが響いてくるのを聴きながら、苦崎はどこにいるのだろうと月島は思った。

昨夜の風は強く、ボロ屋の家は吹き飛ばされないか月島は少し心配していたが、無事持ったらしい。
家を出て、苦崎を探しに行く。春見を迎えに行くまでに、まだ時間があった。
登った朝日に照らされながら、袋をかぶった少年を探す。月島は、苦崎を探すときに一番初めに行く場所があった。そこにいる確率は少なく、むしろ最近は一切見かけない。ただ、そこへ探しに行くのは一種の癖のようなものだった。

海に近い岩肌で、少し大きめの岩に近づいていく。昨夜は耳を塞いでもうるさかった風も波も、今は穏やかだった。
いないと思いながら除いた岩裏に、膝を抱えている袋をかぶった姿が見えて、月島の方が驚いてしまった。

「みなと、海に行ってたんか?」
「……」

苦崎はよく海に行く。それを知っていたから、そうやって尋ねた
しかし苦崎は聞こえていないのか、だんまりだ。この静かな海で、はっきりした月島の声が聞こえていないわけがないのに。
月島の影に覆われた彼が、月島をじっと見上げる。袋の奥にある瞳が、夜の海のように沈んでいる気がして、月島はたじろいだ。
だってそんな瞳は、たった一人に向けるものだったから。
月島が暴力を振るわれて、それを阻止できなかった時。死んでこいと二人揃って脅された時。雪が降り積る極寒の日に、家から締め出された時。
――海から戻ってこなければいいと口にした時。
そんな――父親に向ける双眸を彼がしていた。

「な、なんだ?」
「……なんでもねぇよ」

たじろいで、月島がどうにか発した言葉に、その色が霞のように掻き消える。
なんでもないと言って立ち上がった苦崎の着物の袖から、わずかに赤い痕が見えた。
あ、と声が出て、掴まれた痕だ。と月島はすぐに思い至った。喧嘩をする時、相手の力が強いと掴まれた時にひどく痕が残るのだ。地味に痛くて、強く掴まれすぎた時は痕がなかなか消えない。
そう、強く――父親に腕を掴まれて、放り投げられた時の掴まれた痕も長らく残った。
思い至って、カッと怒りが弾けそうになった時に、「違う。喧嘩の時のついた」と苦崎が口にした。
それに、一種の安堵が胸に広がった。怪我をしていることは事実だが、あいつにやられたわけじゃない。
しかし、苦崎をよく見てみれば、なんだか疲れているような気がする。もしかすると、喧嘩に負けてきたのかもしれない、と月島は思った。

「誰だ。俺がしゃっつけてやる」
「仕返しぐらい自分でできる。足の一本でも折ってやる」

久しく口にしていなかった喧嘩の代わりをつい申し出れば、苦崎は少しだけ声を弾ませながらそう返してきた。
それから袋ごしに顎部分に手を当てて、足を折る方法を真剣に考え出したらしい苦崎に、怪我は大したことではなさそうだと息をつく。

「そうけ」

そう言って笑みを浮かべた月島に、苦崎は月島に聞こえないほどの小さな声で「ありがとう」と呟いた。

数日後、父親が杖をついて歩いているところを月島は見た。不注意で怪我をしたらしい。気味がいい、と苦崎に告げれば、彼は「バチが当たったんだ」と言ってカラカラと笑った。

prev next
bkm