- ナノ -

ぐちゃぐちゃ22
「つうことさき(だから)、みなとに合わせるっちゃ」
「ええッ!? 聞いてないっちゃ!?」
「今言うた」
「基ちゃん!?」

唐突な宣言に春見は飛び上がらんばかりであったが、それを告げた月島はどこ吹く風である。
確かに、いつもと集合する場所が違うと思ったのだ。しかし、まさかこんなことになるとは春見は思ってもいなかった。
月島は「いくっちゃ」と言って、そのまま歩き出したので、春見もいまだに衝撃を拭いきれないままその後についていく。

「ど、どこいくん?」
「『ひみつのきち』っちゃ」
「ひみつのきち?」
「ここからちょっと行ったところに、林があるんじゃ。その奥にある」

そう彼に言われて、瞬く間に記憶が思い出された。
林の奥にある、小さな小屋。きち、というのは春見にはよく分からなかったが、秘密ということぐらいだから隠れて存在しているのだろう。あの時の光景が頭に広がって、なんてぴったりなのだろうと春見は『秘密』に心ときめかせた。
と、同時に、そこに自分が行くことになっている事実に驚嘆した。
しかも、しかもである。そこで初めて会うのだ。袋の子に。
あの時、羨ましくて、輝かしくて、憧れた光景が目の前に現れてしまう。

「は、は、基ちゃん、どうしよ」
「ちよ?」

春見の足が動かなくなり、止まる。彼女の声に気づいた月島が振り返ると、春見は両手で着物をぎゅうと握ってカチカチになっていた。

「どしたんじゃ」

慌てたふうに空いた距離をつめた月島に、春見がどうにか口を開く。

「き、きんちょうするっちゃ……」

確かに友達になりたいとずっと思っていた。あの二人と仲良くなりたいと、憧れていた。
けれど、いざそれが現実になるかもしれないと思うと、胸がうるさくて仕方なく、同時にうまく行くか分からなくて怖くなってしまった。
怯える春見に、月島が目を瞬かせる。それから、そっと着物を握る手を掬った。
え、と春見が声と共に顔をあげる。そこには緩く笑みを浮かべた彼がいて、春見は下がっていた体温がカッと上がるのを自覚した。
月島は「あちことね」と言って、言葉を続けた。

「いいやつらすけ」

その言葉が、ひどく柔らかな花のように優しくて、春見はただ必死に首を上下に動かすことしかできなかった。

そのまま月島に手を引かれ、春見はついに林の中へと歩みを進めていった。
どきどきと胸が高鳴る中、あのときと同じなようで違う光景が流れていく。サクサクと草を踏み締めてたどり着いた先――そこには子供が二人ほど入れそうな小屋があった。あの時に見たものだ。これが、ひみつのきち。
月島の少し硬い手の感触に引かれながら、小屋の正面に歩み寄る。穴の奥、陽の光に照らされて誰かがいるのが見えた。
目の前にやってきて、手を離される。それに心細さを感じながらも、月島が屈んで中へ向かって声をかけるのを春見は見ていた。

「みなと、連れてきたっちゃ」
「ああ」

中でガサリと音が鳴る。それにあの日を思い出して、胸が大きく高鳴った。
声、少しだけ前より低いような気がする。けれど、そうだ。この声だ。しかし、あの時のように溢れ出る柔らかさや嬉しさがない。そう思って、それはそうだと納得する。だって今は自分がいて、二人きりではないのだから。

「一旦外出るか」
「いや、いいっちゃ」

そう二人が会話して、ただ聞いているだけだった春見を月島が見やる。その視線に首を傾げそうになると、「ほれ」と言って月島が小屋の中を指差した。

「えっ!?」
「きちまで来たんじゃから、入らんと意味ないじゃろ」
「で、でも、なら基ちゃんも……!」
「三人はきついっちゃ」

確かに三人は入らないぐらいの大きさである。しかし、だからと言ってどうして自分だけ――!?
混乱する春見をよそに、四つの目が入らないのか、と訴えかけてくる。ぐるぐると色々な感情が駆け巡る脳内に、もうどうにでもなれ! と春見は高い崖から海に飛び込むような心地で小屋に入っていった。

小屋の中は、幾つもの枝や葉っぱで陽の光が遮られ、しかしところどころから木洩れ陽が差していた。
床は葉や枯れ草が敷き詰められて、柔らかい。小屋の端には布や太めの枝、縄などが転がっていて、生活感のようなものが感じられた。
そして――ゆっくりと視線をずらして、小屋にいた少年を視界に映す。暗い茶色の着物に、そこから少し細いけれど立派な足が伸びて、胡座をかいている。手には月島と同じく細やかな傷がいくつもあって、喧嘩が強そうだなぁと春見は思った。
そしてその頭には――やはり、目の部分のみがくり抜かれた襤褸布を被っている。

「ええと」

何か、話さなければ。友達になるには、ちゃんと話しかけて、会話ができないと。
焦る思考は、しかしろくな言葉を出してくれない。顔を赤くして、モゴモゴと口を動かす春見に、袋の少年――苦崎が口を開いた。

「苦崎畢斗だ」

くざきみなと――それを聞いて、春見はあれ、と思った。月島みなとじゃないんだ、と。
春見は最初、二人が友達なのだと思った。けれど話を聞いたりしているうちに、兄弟なのかと思うようになった。しかし、苗字が違うということはやっぱり友達なのだ。
すっと入ってきた疑問が瞬く間に解消されて、混乱していた頭が少しだけ冷静になった。
お前は? と問われるような視線を感じて、春見は慌てて言葉を返す。

「あっ、うん。おいは春見ちよっちゃ」
「よろしく。俺のことは苦崎でいい」
「わ、わかったさ」

よろしく――よろしく!
よろしくと言われてしまった。春見はちょっと感動して、知らぬうちに口角がにゅっ、と上がっていた。
苦崎でいい、と言ってくれた少年は、春見が思っていたよりずっと格好良かった。あの日に聞いた声は、もっと柔らかくて優しかったので、そういう性格なのかと漠然と思っていたけれど、実際は想像とは異なっていたらしい。
しみじみとその違いを感じていれば、苦崎の口が閉じられる。そして、少しの沈黙が過ぎた。
あれ、と春見は焦った。会話が続かない。もしかして、自分が何か言わなければいけなかったのだろうか。
自己紹介は終わって、じゃあ次は? えっと、お気に入りの遊びは? 食べ物……好きな花は?
頭の中に色々とよぎって、なんでもいいから話さなくちゃと顔を上げれば、春見を見つめていたらしい苦崎と目線がバチリとかち合った。
台詞が全て飛ぶ。春見は驚いた。だってその目が、なんだか――キラキラ光る眩しいものを見るように細められていたから。

「他に、海辺の洞窟に一つと、ここから少し北に行ったところに一つある」

突然、そう告げられて春見は言葉が理解できずに、え? と間抜けな声を出す。
苦崎はその声を気にせずに、さらに続けた。

「基に案内してもらって行ってみたらいい。じゃあ、俺はやることあるから」
「あっ、おい、みなと!」

するりと視線が逸れ、苦崎が立ち上がり小屋から出て行こうとする。
それを呆然と見つめていた春見に対して、声を上げたのは月島だった。
咎めるように名前を呼んだ月島に、苦崎は視線を向ける。陽に照らされた姿で、袋の奥から月島をじっと見つめた。
それに、月島はまだ行くな。と言おうとしていた言葉が喉元で止まる。ちょうどその時、小屋から春見の頭がひょっこりと出てきた。

「あのっ」
「なんだ?」

正気に戻った春見も、このまま行かせてはと思った。だって、名前ぐらいしか分かっていない。
せっかくひみつきちに連れてきてもらって、袋の子にも会えたのに。こんなのでは、もう一度会ってなんてもらえないだろう。
必死に待ったをかけた春見に、苦崎は意外なほど素直に視線を向けた。
振り向いてくれたことは嬉しかったが、なんと声をかけていいのか。時間はなかった。なので春見は、思っていた不安をそのまま口に出していた。

「おいもここきて良いさ?」

一時は自分のせいで二人が遊べなくなったと思っていた。今も、あの時の光景を思い出すと、自分はもしかして邪魔なのでは。と感じてしまう。
口にして、それからなんと答えられるか不安になって、手のひらをぎゅっと握る。袋の中の瞳が瞬く。

「基が連れてきたんだ。こいつが良いって言うなら平気だろ」

至極当然そうに断言されて、春見は体の力が抜けるような感覚になった。
呆けた顔をしていただろう春見であったが、幸い苦崎はすっと視線を外していた。
それから彼は今度こそ小屋を去ろうとして、思い直したように足を止め、再び視線を月島の方へと向ける。

「今度、小屋を作り直すか」

腕を組みながらそんなことを言い出した苦崎に、つかえていた喉が嘘のように月島は疑問をこぼした。

「なんして(なんでだ)?」
「人が増えたんなら、もう少し大きい方がいいだろ?」

小屋を観察し、腕を広げたり手を伸ばして新しい小屋の姿を考えているらしい苦崎の動作。それに、月島は大きく息を吸った。
小屋を作り直すのはかなり時間がかかる。材料を用意して、作り方を検討して、何度も試行錯誤をする。今の小屋を作るのも時間がかかったのだから、さらに大きくとするとなればもっと時間も手間もかかるだろう。
しかし、春見が加わったから、三人で入ってもいいように作り直そうと苦崎は言っている。
連れてきた春見を当然のように受け入れる様子でいる態度と、三人で過ごそうという姿勢と、小屋を作るという次の約束。
月島はようやく気付いた。苦崎は変わったけれど、変わってはいなかったのだ。
月島を嫌いになどなっていないし、気持ち悪いなどと思っていない。一人で外に行って、喧嘩をしたり好きに行動するのは前から同じ。確かに態度も口調も変わったが、それだけだ。
苦崎は家族で、男だから兄弟で、一緒にいたければ自分が探して、約束をすればいい。

「そうじゃな!」

大きく吸った息は、そのまま大きな声として喉から飛び出した。それに、驚いたように丸い目をした苦崎の瞳がパッと月島を映した。
それからたっぷり三秒間月島の顔を眺めていた双眸が、柔らかく弧を描いた。その奥の、茶色の瞳が海の水面のように煌めく。
やはり、苦崎は変わっていなかった。


月島と苦崎は、小屋の建て替えをいつやるか。という相談をして、日程を決めて別れた。
約束ができた。苦崎は約束通りにやってくるだろう。心配になったとしても、月島は苦崎と家で会うのだからそこで忘れられないように言えばいい。こんなに簡単なことだったのか、と月島が呆けていれば、小屋から飛び出してきた春見がひょっこりと視界に中に現れた。

「なぁ、基ちゃん!」
「な、なんや?」

月島の視界に現れた春見は、頬を紅潮させて興奮している。それに圧されるように返事をすれば、パッと笑みが溢れた。

「星みたいやったね!」
「……星?」
「そうや! 夜の、雲がない時の空みたいじゃった!」

そうたまらずと言ったふうに話す春見に、「なんの話や?」と首を傾げる。それに春見がくざきちゃんの、と言った。

「目! きらきらして、きれいじゃった!」

基ちゃんと話してた時なんて、特に! と頬に手を当てて喜んでいる春見は、かつて覗き見た小屋での光景が目の前に現れたようで、本当に二人と話をしたのだ! と舞い上がっていた。本当に友達になる日も近いかもしれない。なんて口角が上がっていれば、月島が合点が言ったように「ああ」と声を出した。

「確かに、きらきらしとるな」

ついと言ったふうに笑みを浮かべた月島の瞳にも、春見はきらりと星が見えた気がして、わ、と口を覆った。
その春見の瞳にも、星が煌めいているとは、当の本人にはわからぬようだった。





全ての秘密の基地を整えるのに、一ヶ月以上かかった。
春見は基地作りを手伝うように言われていたわけではない。だがやはり協力したくて月島についていった。そうしたら、意外にも苦崎は「人手が増えた」と喜んで春見にも仕事を割り振った。
慣れない作業に四苦八苦したものの、春見も段々と手慣れていき、家に帰ってもどうしたらうまく小屋が作れるかなどを考えて、月島や苦崎に進言してみた。二人とも「いいかもしれん」と言葉を聞いてくれて、実際にそれをしてくれる。失敗に終わっても、「ならこうすればいいんじゃないか?」と新しいやり方を生み出して、基地は着実に完成へ近づいていった。
そうして全ての基地を一新し、あまりの達成感に春見はその場を動物のように走り回りたくなってしまった。
憧れていた空間を、二人と一緒に作り上げられた。そんな贅沢なことがあるだろうか。
けれど、だからこそ、春見はもう我慢ならなかった。

「なぁっ、おい、二人の友達になりたいっ」

作り上がった小屋を三人で見上げていた時だった。
弾けるように飛び出た言葉に、春見は自分でもびっくりしていた。声をかけられた二人も当然、目を丸くしている。
焦りがぶわりと背筋から吹き出す前に、苦崎が困惑したように言った。

「もう友達じゃないのか……?」
「えっ」

本当に訳がわからないというような声色だったので、春見の焦りは霧のように霧散してしまった。その代わり、別の動揺が駆け抜けて二の次が告げない。

「そうなんか?」
「そうなんかって、基は俺がちよに会う前から会って遊んだりしてるんだろ?」
「そうや」
「なら、友達だろ……って、あれ、もしかして俺、友達が何かとか教えてなかったっけ……」
「よくわからんが、今まで遊んだりしてたのはみなとだけや」
「あー」

二人で会話していって、噛み合わない箇所に気付いた苦崎が袋ごしに頭をガシガシと掻く。月島もピンとこないのか、眉を寄せていた。
それに、二人は友達じゃなかったのかな、と春見は思う。じゃあ、やっぱり兄弟? でも、苗字が違う……と混乱しているうちに、苦崎が月島に説明をし始めた。

「ほら、読んでた本とかでも仲良く遊んでたりする二人いただろ?」
「そげは姉妹とかじゃったぞ」
「家族以外の、だ。気が合ったり、一緒に遊んだりして楽しかったり、また遊びたいと思う相手は友達って言うんだ」
「そうなんか」
「そう」

説明を受けた月島は、一つ頷いて「ならちよは友達やな」とさらにもう一つ頷いた。
それに、つい春見の顔が崩れる。気が合う、一緒に遊んで楽しい、また遊びたい相手――! それが自分だと言われてしまった。沸騰するように熱くなる体に、ぎゅうと目を瞑る。
そんな春見に気づいていない二人が、会話を続ける。

「みなとも、ちよの友達け?」
「そりゃあそうだろ」
「ひゃあ」

当然のように――!
あっけらかんと告げられた言葉に、春見の感情の容量は溢れてしまった。
ついでに言えば、暑い中の作業や、達成感で気が抜けたことなどで、気力と体力の限界が来てしまった。
ころんと後ろへ倒れ込んでしまった春見に、驚愕の声を上げた二人が慌てて春見に駆け寄る。
結局その後は、改築直後の秘密の基地で、春見の看病をすることとなったのだった。





秘密の基地の改築を通して、三人はよく共にいるようになった。
春見は外に出かける時は大抵月島と共にいたし、月島も春見がちょっかいをかけられないように迎えにいくようになった。苦崎も、一人で行動することは多かったが、二人が島を探して見つけ出した時は文句は言わずに共にいたし、時折苦崎の方から「勉強をしよう」と誘ってくることもある。
その勉強の時間は、苦崎が持っていた本を音読したり、お金の計算を問題形式で行ったりするものだった。苦崎が持っていた本を読み終わった際は、彼が珍しく気まずそうに「ちよの家に借りてもいい本はないか」と尋ねてきて、春見は喜んで家から読まれていなさそうな本を持ってきた。
月島は時折寝てしまうこともあったが、その時間を嫌がることはなかった。春見はと言えば、難しい文章をすらすらと読んでしまう苦崎に尊敬の意を感じて、とんでもない子たちと友達になってしまったとしみじみと感じ入っていた。

「くざきちゃん、来とったんやね」

春見はやってきた海辺近くの秘密の基地で、寝転がっている苦崎を発見した。
その日、月島は春見を家近くまで迎えにきて、別の基地の近くで「苦崎を探してくる」と言って別れていた。先に海辺の基地にやってきた春見は、すれ違ってしまった月島を思って、少し気の毒になる。
そんなことは知らない苦崎は、春見の言葉に「ああ」と返事をした。

「ちょっと休憩してた」
「基ちゃんが気にしとったよ。どこ行っとんのかわからんって」
「元気にしてるって伝えておいてくれ」

月島は時々、苦崎に関しての愚痴を言う。「また怪我して帰ってきた」「今日いると言っていた場所にいなかった」など、唇を尖らせていた。
怪我に関しては、基ちゃんも人のこと言えないんじゃ……などと春見は思っていたが、それを素直に言うほど厳しくもない。
二人の仲がいいことは重々承知していたが、それでも愚痴を聞いたら気になってしまうものである。
春見の言葉に軽口を返してきた苦崎に、春見は大人っぽいなぁと常々思っていることを再度思う。苦崎は、春見が知っている大人よりも、もっと大人のような態度をよく取る。もちろん年相応の行動をしている時もあるけれど、冷静で物をよく知っていて、頼りになる。そして、悲しんだり、怒ったりするところも見たことがない。
ある時にそう月島に口にしたら、彼は随分しかめっ面をしていた。
そんなことを思い出していれば、苦崎が小さく息をついた。それは低い音で、疲れが滲んでいた。
元気にしてる、という言葉とは対照的なその音に、つい尋ねる。

「疲れとるの?」

そう口にしている途中で、脳裏に苦崎を探していた月島の姿をよぎる。それで、自然と言葉が続いた。

「基ちゃんに頼れんの?」

多分、そうしたら基ちゃんも喜ぶのに。

「兄弟っていうのは、見栄を張りたくなるもんなんだ」

返ってきた言葉に、春見はハッとした。
苦崎は兄弟と言った。つまり、二人は友達ではなく、兄弟だったのだ! ずっと疑問で、しかしなんとなく尋ねられなかった疑問が解消された瞬間だった。けれど、ならどうして苗字が違うのだろう。そういう兄弟もあるのだろうか。今度聞いてみようかな、と考えながら遅れて「そういうのんか(そういうものなの)?」と言葉を返す。
何度か緩く首が上下して、そのまま動かなくなった。それから小さな寝息が聞こえてきて、眠ってしまったと布を被った顔を見つめる。
そうして聞き逃してしまいそうなほど小さな寝息と、波の音を耳にしながら座っていれば、待っていた人物がやってくる。
洞窟の外から顔を覗かせた坊主頭が、春見を見て声を上げた。

「ちよ、待たせた……て、みなと! こんなとこいたんか。ここじゃ休めんってのに」
「疲れとるようやったよ、くざきちゃん」
「そうけえ。寝とるんか? また喧嘩してきたんか、こいつは」

探しにいった人物が目的地にいたことに月島は驚いたようだったが、特に文句も言わず、仕方なさそうに二人の元へ歩み寄り苦崎のそばへ腰を下ろす。
すると月島が特に躊躇もなく、苦崎の襤褸布でできた袋の口部分を掴んで、ガバリと上へ開けた。
春見は思わず、見てはいけないものを見かけた気がして顔を逸らした。少しして、もう閉められているかな、と好奇心に負けて恐る恐る視線を戻してみると、そもそも中が見えるほど布は上げられていなかった。顔が見えないことを理解して、なんとなくホッと胸を撫で下ろす。
しかし覗き込めば見えてしまいそうな入り口に、春見はひどくソワソワとした。
苦崎が布を被っている理由を、春見は知らないし、尋ねたこともない。思えばかなり特殊ではあったが、春見にとって苦崎は「袋の子」であり、袋がない方がおかしかったから、わざわざ尋ねる思考になったことがなかった。

「基ちゃん、怒られんの?」
「あ(え)? ……こいつの顔のことか。うちじゃ袋を脱いどるさけ(から)、気にしとらんかった」

そう口にした月島に、基ちゃんの前だと布を取るってことは、やっぱり仲がいい。と嬉しい気持ちになった春見であったが、同時に何処か浮かない表情の月島に内心首を傾げる。
時折、月島は苦崎の話題になるとこういった表情をすることがあった。

「そうけえ。私まだ一回も見た事ないっちゃ」
「そか……うん……みなとのこれは昔からだすけん」

ほらまた、今度は嬉しいような、困ったような顔。
そんな顔をしながら、月島は袋の中に手を入れてしまった。

「まぁ、すぐに見せるやろ。気にせんでええっちゃ」
「基ちゃんがそう言うならそうかもしれん」

そう言いつつ、春見は袋の中から目が離せなかった。頭にかぶっているのだから、当然そこには顔がある。手の動きからして、どうやら月島は袋の中の顔を触っているように思われた。それに、一種の衝撃を受ける。あるんだ、顔が。
目は見えているし、本当に当然のことなのだが、一度も顔を見ていない春見としては、そこに人の顔があるという事実がちょっと驚きだった。
顔は見なくていいけど、顔は触ってみたいかも……と春見がそわついていると、月島の肩がピクリと動く。

「おい! おめ起きとるじゃろ!」
「起きてない」
「おめぇ!」

どうやら顔を触られて起きた苦崎に、月島が気づいたらしい。
怒る月島に、起きてないと飄々と返す様子に、春見は口を抑えず大きく笑ってしまった。

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